昨日、渋谷オーチャードホールのパリ国立オペラのトリスタンとイゾルデを観に行ってきました。
今まで見たものとは全く違う印象でした。
まず、前奏曲から違う。
このお話は、アイルランドとコーンウォールが舞台ですから、ブリテン島の北の海を航海するシーンから始まるのですが、オーケストラの奏でる前奏曲は、明るくクリアな響きでした。
北の暗い海ではなく、むしろ、ルキノヴィスコンティー監督の「ベニスに死す」の舞台である、地中海の太陽がさんさんと降り注ぐベネチアの海を連想させるような響きでした。
そして何よりも気になったのは舞台上に大きく映し出された映像です。
舞台上のセットはほとんどなく、歌手の衣装もすべて黒っぽい単色の目立たない色合いです。
それだけに余計に映像に目が行ってしまいます。
この映像の意味するところは何かというようなことが気になって、音楽と舞台上の歌手に集中したいのに、映像の存在感が大きすぎて、邪魔に感じることもありました。
このトリスタンとイゾルデは舞台上の動きが少なく、頭の中に情景を浮かべて鑑賞するという形が多かったですから、このように映像を出されてしまうと、それができず、どっぷりとその世界に浸るということができないので、ちょっと残念に思うこともありました。
しかし、第3幕のラストシーンの映像にはしびれました。
トリスタンとイゾルデの愛の死の表現として、こういう表し方もあったのかと目の覚める思いでした。
ただ、この演出では、トリスタンとイゾルデの2人の世界を表現することに終始しているため、イゾルデとブランゲーネ、トリスタンとクルべナール、トリスタンとマルケ王など、それぞれの人間関係における愛憎劇という側面がなおざりにされており、深みにかけているような気がしました。
ちょっと変わっていて面白いなと思ったのは一幕では2階上手で舵手が、二幕では3階下手でブランゲーネが、また、三幕では2階下手でイングリッシュホルンのソロといったように、いくつかの象徴的な場面で、舞台上ではないところで演技、演奏が行われたことです。
この手法はよく歌舞伎でも使われていて、オペラなのに歌舞伎っぽいななんて感じもしました。
オーケストラもゆったりたっぷりした演奏で、主役のソリストたちも力強く、全体的に明るい、ゲルマン的というよりラテン的なトリスタンとイゾルデになっていました。
パリのエスプリのきいた演出、演奏を想像していましたが、映像とオペラのコラボレーション、あるいはオペラ映画をみているような感じでした。
以前、ベルリン国立歌劇場のダニエル・バレンボイム指揮のトリスタンとイゾルデをNHKホールで観ましたが、私の好みでいうと退廃的な官能美に満ちた、ベルリンのほうに軍配を上げたい感じです。
それと、もうひとつ、これは終演時間についてですが、帰りの電車の予定もあるので、前日、会場に予定時間を尋ねたところ8時15分とのこと。
この時間なら21時のあずさ号に乗れるので指定席を購入していました。
ところが、開演したのは15時10分、開演時間の15時を10分も過ぎています。
そして、一幕が終わり40分の休憩時間、その時すでに20分遅れ、二幕が終わり2回目の休憩時間では30分も遅れています。
これでは到底、終演予定時間の20時15分に終わるはずもありません。
結局終演したのは20時25分過ぎ、21時までは30分ほどしかありません。
21時のあずさ号に乗り遅れると次の列車まで1時間待たなければなりませんので、カーテンコールも待たずにダッシュで会場を後にしました。(残念)
通常これほど終演予定時間をオーバーすることはあまりありません。
遠くから、観劇に行く人間にとって、このように大幅な時間変更があると、時間が気になって集中できません。
できれば、時間オーバーは5分か10分までにとどめてもらいたいものです。
このように時間にアバウトなのもラテン系の血なせる技なのでしょうか。
でも、まあ、真夏の明るいトリスタンとイゾルデを堪能させていただいた一日でした。
こ今度は、のオーケストラで、色彩豊かなフランスものの演奏を聴きたいものです。
<とっても高~い高いパンフレット、3000円です。>