横浜焼売(シウマイ)物語2024

2年ぶり再開。ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛。落語らぶ。晴れ時々ランニング、更新随時

サクサク

2013-09-19 | 日常茶話
ケーブルネットの新しいモデム


サクサクよ。凄く速くて今までなんだったのって言うくらい。

きもちいー!!

え?今までも光でWi-Fiでした。

ケーブルテレビ局が携帯電話会社とコラボして、ちょこっとお得な料金設定の光Wi-Fiをどうぞ、というので
支払いもまとまるしいいかなと、乗ったのが夏休み前。

最初は良かったのですが、
我が家の3台のパソコンのうちWindowsマシンにをプリンターをインストールしたのに、なぜか操作できない。
夏を越えたら、
スマホはWi-Fiオンのままだとネットエラー
スリープにしていないのに、ネットラジをは勝手にフェードアウト。
サイトを見ているうちにSafariは突然フリーズその度に再起動。
mailもまあ推して知るべし。

あまりの非効率にとうとう問い合わせをしました。

一度目は、いろいろ調べていただいてのですが、いまひとつ釈然とせず、
プリンター会社さんに問い合わせてみてください。ということでいったん終了。
二度目は、おなじく設定殻調べていただいたのにやはりわからず、Appleの方に問い合わせてみてください、と。
これも違うようで…。

サポートセンターの名誉のために補足しますと。オペレーターの方はどの人もすばらしく優秀で、解説はわかり易くそしてとても辛抱強いです。
まるで私の後ろにて、操作をしているかのごとく、その豊富な知識と技術はもう『神』だと思うくらい。


どれも違うようなので、いよいよ三度目の問い合わせ。
症状を話し、遠隔で魔法のように私のマシンをコントロール動作確認をする事正味10分くらい。
その人はさいごにきっぱりとこういいました。
『実はお客様と同じような環境でお使いの方から、同じような不具合の報告がいくつか上がっています。
考えられる事としては、モデムの不具合かもしれませんので交換にあがります。』

で、

これまでの、イラっが劇的に改善中。

インターネットは世界中から上がるクレームと要求によって進化し続けるのだそうです。
たとえは今は当たり前の自国語のフォント。
これも始めは英語オンリーだったものが、他国言語剣のユーザーからの需要から開発が始まりいまやスタンダード
昨日できなかった事が今日になったら解決し、明日はこれまで想像もしなかったようなものに変身。

この半年の間にもそうした劇的進化のドラマ続き。
くだんモデムだって最初から不具合品ではなかったはず。
そしてオペレーターの持つ情報も昨日と今日では改善されている事がきっとたくさんあるはず。

今回の判断も始めは小さな不満(高速なのに繋がりにくい)からの結論.なのかもしれないと思ったら、
ちょっと成長する赤ん坊を見るような気持になりました。
家のネット赤ちゃんはようやく立ち上がる事に成功したようです。

わからない事はわからない、不安な事は不安とはっきり言っていい世界。
それは進行形の分野だから。
これもサクサク、きもちいー。

13番目の月

2013-09-17 | 日常茶話


満月十五夜、2日前のお月様。
ほぼ満月。
フルムーンよりも、これから満月に育って?いくお月様のほうがパワーがあるんじゃないかな。


秋はお月様が大きく見える。
今年の十五夜中秋の名月本番は、9月19日(木)です。
___

参照;月探査情報ステーション http://moonstation.jp/ja/info/sitemap.html





ジョニーはどこへ行く?

2013-09-16 | 日常茶話
先日、ご近所スーパーの特売コーナーで。


豆腐の波乗りジョニーがスターレックとコラボしたもよう。

私、映画見てないんでなんともいえないのですが、何か関連あるの?
エンタープライズの常備食が豆腐とか?
スポックが豆腐をたべたとか?

____
スター・トレック・イントゥ・ダークネス オフィシャルサイトはこちら:http://www.startrek-movie.jp/index.php

懺悔の日

2013-09-15 | 日常茶話
真言宗では、個人の法要は33回忌まで。だそうです。

50回忌を勧めるところもあるようですが、家の檀家寺では33回忌で一区切り。
故人はあちらでの修行を終え、この後、菩薩様になるか再び生まれ変わるかを選択するんだそうです。
いってみれば、誕生日みたいなもの。

で!
母と妹から
「もしかして、去年おじいちゃんの33回忌だったんじゃない?」という発言が飛び出したのは、春のお彼岸の時でした。
何となく計算してみるとどうやらすっかり忘れていたような覚えていなかったような…。

慌ててご住職にうかがうと、33回忌の意味とそれ以上特にご法要はないという前述のお答え。
「それでも皆さんのお気持ちですから、遅れたお詫びの法要ということではいかがですか?むしろその方が故人も喜ばれると思います。」との温かいアドバイス。
渡りに船とお言葉に甘えることし、
妹の提案で、9月の祖父の誕生日を新しい誕生の日ということにしようと決めました。

そして、当日

9月というのに、まるで真夏のような日差し。




本堂のお仕度ができるまでちょっと時間があり、お座敷で待っていると、ご住職の奥様がご挨拶に見えました。

そしてまもなく、とんでもない事実が明るみになるのです!

「このたびはお世話になります。去年は何かと忙しくすっかり失念しておりまして…」と母。

すると奥様が
「こちらこそ、お手伝いさせていただきます。本日は〇〇(祖母の名前)様の33回忌法要と、□□様のご供養ということで…」

一同「え??」
今日はおじいちゃんの33回忌を忘れちゃっててごめんなさいのお詫びとおばあちゃんの23回忌を一緒に、という話では?!

「いいえ、お調べしましたら、昨年は〇〇(祖母)様が33回忌でいらっしゃいますよ。」



えええええええええええ~~~!!!!
まさかの10年ロスタイム!!!!!

その後、家族でじたばた。

本堂で平身低頭の私たちに、
「真言宗では、人間は過ちを犯すものだからそれを責めるのではなく、反省してお詫びを申し上げる『懺悔のお経』というものもあります。今日はそちらをあげさせていただきます。」と、ご住職。

はい、もうほんとうにごめんなさい。
こんなうっかり子孫ですが、末永くよろしくお願いします。

というわけで、お詫びを飛び越えて、懺悔の法要の一日でした。

そして、秋の気配。


浜のミサンガ

2013-09-13 | 日常茶話
今、話題の海女のミサンガ…じゃなくて
これは
浜のミサンガ『環(たまき)」



2年前の震災直後の3月、すっからかんの岩手銀河銀河プラザのレジにおいてありました。

これは、陸前高田浜でつくられた
製造番号012499のミサンガです。


その時の岩手銀河プラザは、こんなだったんだよ。


それでもなんとか品物販売しようとしていました。
うに弁ならぬ海産弁当も、入荷は不定期で輸送経路もまだ不安定な中、
1日数個限定にして店頭に並べようとしていたっけ。

言いようのない悲しさに沈んでいるににもかかわらず、
入り口にはかの地の状況を伝えようと
新聞や、ノートが置かれたコーナーが作られていました。
できるかぎり情報を発信し続けようとする強さ、
アンテナショップの本当の意味の一部をかいま見た思いでした。


2年と6ヶ月


復興支援とはなにか、
復興するという事はどういう事か。

忘れないで考え続けなきゃいけない、私たちの宿題。


__

三陸に仕事を!プロジェクトのホームページはこちら;http://www.sanriku-shigoto-project.com





ハイビスカス咲いたよ。

2013-09-12 | 日常茶話
思い起こせば、7月に入ってまもなく。
あのサボテンの花の解説してくださったご近所のベテランご夫婦に、
どうぞ、と,
ハイビスカスの苗をいただきました。

「水をたっぷりやって、後は放っておけばいいよ。」
という力強い?言葉に後押しされ、
恐る恐る玄関脇に……。

タイタンビカスという名前だって。


最初はこの3分の2くらいの大きさでしたがいつのまにかすくすく。慌てて支柱をたてました。(7月25日)


土が乾くたびに水やりをした以外はなにもせず(但し、その度に雲行きが怪しくなったのには参ったぜ!)

ある日気がつくと、上の方に…

え?つぼみ??(8月18日)


連日の猛暑で、どうなることかとおもっていたら、

あれ??赤だ!(8月29日)



咲きました!!(8月30日)



やほー!!

1日花なので、翌日はしぼんでしまいます。

ご夫婦に報告したら
「え?今年咲いた?!そりゃ良かった。種が取れるかもしれないから、切らないでそのままにしておきなさい。」
とアドバイスいただきました。
実は咲いた花を少し切っちゃった……。

だいじょうぶかな。
これはそのままそっとしておこう…。



日本一のもみじまんじゅう、笑っちゃいけないミツキーまんじゅう

2013-09-10 | 日常茶話
広島名物。
誰もが知ってるもみじ饅頭。


饅頭というのは土産ものの定番で、むし饅頭も焼き饅頭も、日本全国どこに行っても饅頭だらけ。
正直どこのも同じ、と思ってたんですが
これは本当に美味しいね。

さすが日本一の饅頭に選ばれただけのことはあります。

もみじ饅頭の歴史は古く、
安芸宮島の名所紅葉谷に相応しい菓子をと、もみじ型の焼き饅頭を当地の和菓子職人、高津常助が作り出したとされています。
明治39年(1907)のこと。4年後には商標登録をしたものの、20年の有効期限が過ぎた後、更新されませんでした。
おかげで、その後は焼き型さえあれば、どの店でも製造販売が可能に。これが、結果として生産量を増やし、宮島周辺だけでなく、広島県の名産として発展することとなりました。
…あれ?これって、最近のくまモンブームに似てますね。
独占しないで共有することで競争力がつ気、同時に地域や商品のアピールに繋がったのね。

が、関東圏の我々がもみじ饅頭の名前をきいたのは、おそらく1980年代のお笑いブームのころ。
個人的な意見ですが、
もみじまんじゅう!というギャグからだったので、あまりいい印象じゃありませんでした。(ごめんなさい)
ちょうどその頃、原宿辺りではタレントショップが全盛期。
中には名前だけの子供だましのような商品もあって、もみじ饅頭もその辺りだろう、くらいの認識だったのです。(ごめんなさい)

この時代、観光地、ご当地の数だけ饅頭があって、
お土産、名産といったら、おまんじゅうというのが当たり前でした。

なかでも、最も記憶に残っているお饅頭があります。
東京ディズニーランドの開業当初は、東西線の浦安駅からランドの入り口までは。一般道。
この道路の両脇にはずらりと屋台、屋台、屋台…。
まるでお祭り縁日のにぎわいで、そこで売られていたのが、問題の『ミツキーまんじゅう』
ミッキーじゃなくて、ミツキー。

もういちどいうよ。
ミツキーまんじゅう

当時もっとインターネットが普及していたら、即アップされてたと思う。
明らかにシルエットはそれ(有名なねずみ)だったり、焼き印がそれ(有名なねずみ)だったり。
で、けっこう買い込んでるおばさまや、食べながら歩いているカップルもいました。

もちろんまもなく一斉に撤去。
余談だけど、30年前の日本はこんなもんでしたよ。どこかの国を笑えないぞ。


だから、饅頭のイメージはこのへん止まり。
だったんですが、

それを見事に打ち破ったのが、このもみじ饅頭でございましたよ。
さすがです。という話。

Tさん、お土産確かに受け取ったよ~ありがとう!!

ごちそうさまでした。

白いプッチン

2013-09-09 | 日常茶話
プッチン…と、きれたわけじゃない。
日本で、いや今や世界で「プリン」といったら、プッチンプリン


ぺろりとめくって

容器の底にある小さな突起をプチンと折れば

つるりと飛び出す庶民のスィーツ。



花の形のどこから食べようかと迷うのも楽しくて
カラメルソースは、絡めるソースだと勘違いしていた子供のころのおやつの定番だった人も多いはず。

そのお子様の定番おやつの世界も少子化の影響か、
食生活の向上の証明か、
もっと高みを目指そうというものがグレードアップの再登場。

それが、これだ!

バニラのツブツブも入ってるお!
(あ、バニラが香料の一つだって知ったのも大人になってからだったよ。それまでは、イチゴとかオレンジと同じ果物の一つだと、それは白い果物だと思っていたのさ。)
というわけで、
とろとろふわふわ、本当のバニラとか、正真正銘のカスタードプディングを知ってしまった大人のために
あるいはこれから知るであろう量より質をとりたいあなたのために

白いプッチンプリンが登場。正確にはリニューアル。隠し味にチーズもはいった、ってばよ!

めしあがれ。(最初の画像にもどる。)



以下、余談(読飛ばし、可)
最近はプディングなんていいますが、
庶民はプリン。

このプリン、イギリスの料理で、オランダを経て日本に伝わったのは江戸時代。
当時のレシピをみると、型に材料を詰めて蒸し焼きにする料理をプディングと言っていたようです。
そのうちの卵と牛乳を使ったものをカスタードプディングといいまして、
我が日本で、牛乳のかわりに出汁をつかって蒸し上げる、茶碗蒸しへと変貌しました。

やがて、明治大正昭和とくだり、庶民の味方物価の優等生の卵と
子供に飲ませたいものナンバーワンの牛乳が再び出会い、復活。
長くて言いにくい名前はいつしか省略されて和製英語の『プリン』になったとさ。
そしてやはり爆発的に普及したのは、グリコ乳業のプッチンプリンのおかげです。
以上超特急の日本のプリン史でした。


ホテル・ニューグランド 3.ホテル、ニューグランド なう

2013-09-08 | 横浜ラブ
現在の、ホテル・ニューグランド
ちなみに正式名称は、株式会社ホテル、ニューグランド
名称に「、」がはいるのはとーっても珍しいんですよ。


18階建ての新館は、平成3(1991)年、開業。

銀杏並木が大きくなりすぎて、本館の宿泊客から「ロケーションが悪くなった」という声がではじめたのは1970年代。
その10年後にはバブルに湧く世相に比例して周辺に次々とホテルが林立。
老舗、というだけで、お客を待っていれば良かった時代が終わります。

横浜ニューグランドはローカルホテルから、グローバルホテルへと大きな転換を余儀なくされていました。
平成16(2004)年、JR東日本と、業務&資本提携。

賛否両論、喧々諤々。

でもね。逆風も向きを変えれば順風だ!
結婚式だけじゃなく、国内外の団体ツアー、企画ツアーにも積極的に参加。
映画やPVのロケにも解放。

創業当時から続く館内のバーにもこんな企画が。


色々工夫があって楽しいね。

現在のフロントロビー。新館1F




昼間は中庭が見渡せるラウンジ。


エレベーターには、ホテルのシンボルマーク。鳳凰の紋。金ぴかだー!!

客室は本館ならではゲストルームも残しつつ、
ロケーションもバッチリ!の新館タワー客室も充実。




昔は一見さんはお断りだった(あくまで噂。)ホテルニューグランド。
この日は、高知からサッカーの遠征試合に来たという高校生の団体とすれ違いました。
彼らもここに泊まるのです。開業当時の人が聞いたらきっとビックリ。
でも、ホテルは人が集まるところ。
ニューグランドはきっと喜んでいると思うのよ。

いまでこそ、歴史的価値ある建物は極力残して行こうという風潮だけど、ほんの20年前は新しいものがすべて、
旧いものは壊そう、建て替えてなんぼ!が当たり前でした。
その時を乗り越えて、残ってくれたニューグランド。
いつまでも横浜の顔であり続けて欲しいと思ってます。


そうだ!Suicaも、使えるんだよ。

ホテル・ニューグランド 2.ミニ昭和展。あるいはミカンを巡る回想。

2013-09-06 | 横浜ラブ
ホテルニューグランドの家紋。鳳凰。



昨日のミカン談義がけっこうSNSで盛り上がりまして、その補足。

卒業生の記憶の断片ざっとまとめると、
この行事は女子生徒が主体。1年生から3年生までの希望者。
私の記憶では男子も数名交じっていました。

なぜ女子が主体だったかというと、我が県立H高校はその前身が県立第一高等女学校のため、
圧倒的に女子が多く(男女比の関係で、毎年女子クラスが平均3クラスできる)
カリキュラムにも女子だけに特化したものがいくつかあったのです。
女子だけが踊らなければならない集団ダンスがあるかと思えば、
体育の授業でサッカーをしたり、
社交ダンスの時間があるかと思えば、近隣の県立S高校との対抗戦がくり広がられたりと
蛮カラとお嬢さん学校がごった煮になったような校風でした。
本当に公立?!って感じです。

マナー教室の話にもどります。

コース料理の内容は、コンソメ、サラダ、舌平目、チキン、そしてアイスクリーム、ミカン。
アイスクリームは富士山の形をしているものを、取り分けてくれるのですが
人数が多くて、全員に行き渡る頃にはほとんど溶けてしまってたという残念な記憶もよみがえりましたよ。
(本当.私の意識はデザートばっかりだ!!)

一日、日を間違えて早く行った人とか、
さぼって親からもらった参加費を別のレストラン(洋食のうまい店)でのハンバーグに投資した人とかの武勇伝?もありまして。
企画する方も、迎える方も、参加する方もそれぞれにドラマがあったんでしょうなあ。


この建物の2階の大宴会場が、その舞台でした。
ちょうどその宴会場の下、大階段裏のスペースと壁面を利用して、ホテルの資料が展示されています。


トラベルラベル。トラベルステッカー。

スーツケースより,トランクに貼りたい。すてきレトロステッカー。

昭和32年のパンフレット。

宿泊料1,000円。
当時の大学卒の初任給(男子)が平均15,000円(実際の実感は10,000円前後ってとこ)
外貨レート;1ドル=360円。じぇじぇじぇ!!!
英文タイプライター。ワープロもパソコンもなかった時代の美しいビジネスツール。



特別な日の食器。もちろん日本製。


マッチADも


そして、

クリスマスの舞踏晩餐会のご案内。

舞踏会ですって、奥様!!!晩餐会!なんてロマンチックで優雅な響き!

余談ですが、この階段周りの空間はちょっと不思議な感じがします。

この他にも映画で見るようなシーンを捉えた写真も多く、此処だけでもミニ昭和展覧会。
宿泊はしなくても見学は可能です。
山下公園や元町、中華街におでかけの際、ぜひ。

明日は新館紹介します。