@ベトナム戦争の史実を知る事の大切さ(教訓)
『空虚な勝利』(北ベトナム)それは勝利側から見た戦争の無惨さ、多くの市民を犠牲にした結果である、と言う。共産社会主義は不安材料を戦争に変え、あたかも平和を叶える術として見えるが、決して長い目で見た市民の平和、幸福にはつながらないと言うことをこのベトナム戦争は教えてくれた。だが、現代、ロシアのウクライナ侵攻はその「史実を学ばない輩」が暴走しているのはとても悲しい。戦争で得るものは勝者でも無い、それ以上に多くの国民の犠牲者を出し、過去の文化を破壊し、回復するまでに長い時間と費用がかかる。それでも人間は戦争を繰り返すのだ。
#073ベトナムの記憶
古森義久2022年4月
「概要」ベトナムに特派員として3年半赴任していた著者が、離任した後、現地でいまだ続く激動のドラマを書きとめてきた記録をまとめたもの。20年の歳月を経て彼らが得た物は何だったのか。数奇な運命の数々。
ーベトナム戦争:北ベトナム(中国・ロシア)vs南ベトナム(アメリカ)
1949年ベトナム国家成立
1962年米国、在ベトナム軍事援助司令部を設置
1963年南ベトナムで戒厳令・軍事クーデター
1964年米駆逐艦がトンキン湾で北ベトナム魚雷艇に攻撃される
1969年南ベトナム共和国臨時革命政府樹立
同年ホー・チ・ミン・ベトナム民主共和国大統領没
1973年米・南ベトナム、北ベトナム、南ベトナム臨時革命の和平協定調印
1975年南ベトナム、ミン政権無条件降伏(サイゴン陥落・戦争終結)
1976年ベトナム社会主義共和国樹立宣言
1979年~1989年カンボジアとの戦争 (1980年ドイモイ政策)
1995年4月20日 ベトナム戦争終結20周年
ー戦争と革命
共産主義の革命としてマルクス・レーニン主義を強調、「資本主義の悪」として根こそぎ破壊、民間産業を解体した。約2百数十万人が国外離脱(人口の10人に1人)し、アメリカ、フランス、カナダ、オーストラリアに難民として移住(ボートピープル)
ー戦後の南ベトナム
共産主義政権への反対や批判は一切許されず、民間経済活動が国有化、施設没収となり市場経済は低迷、大量失業となり不況が広がった
ー戦争終結後
1986年ベトナム共産党の政策変更「性急な社会主義建設路線を放棄し、市場経済の導入を図り、対外的には国際社会への復帰を目指す」基本政策を決定、共産のイデオロギーや革命闘争を改めた
ー南ベトナム市民(ボートピープルとしてアメリカに移民した)
「アメリカに来て本当によかった。これ以外に生きる道はなかった。故国を捨てたことを少しも悔やまない。でも悔やまないことはもしかすると、故国を捨てること自体よりもずっとずっと悲しいことかもしれない」「解放されたサイゴンの市民の表情は暗く、あの戦争の本質はなんだったのかという疑問に苛まれ重苦しく思い出す」
ー北ベトナムの中佐、その後アメリカに移民
「歴史の皮肉であり、ベトナム戦争終結は『終わりの始まり』だった」「長年分断された祖国がついに統一され、民族の独立が達せされたと感じた。だが、戦争での勝利の後、熱望していたベトナム民族の和解も、ベトナム社会の繁栄も結局実現せず、飢餓に悩まされ、絶望した。それは、平和をどう保ち、育てていくかを知らない政府首脳部で、マルクス・レーニン主義は国民の自由も創造も踏み潰し、産業全体を麻痺させてしまったことが原因だった。あの革命闘争はリーダー達だけの『自己陶酔』だったのだ」
「空虚な勝利、意味のない勝利のため同志達が生命の犠牲にして戦ったと思うと心が引き裂かれるように痛みます。私自身も一体なんのための生涯を通じての闘争だったのかと考え込んでしまいます」
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