私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

自分を殺して自分を生かす

2013年06月20日 23時18分20秒 | Weblog
通常状態91日目。

不安なことがあります。

創価学会のことで。

どうも周囲の学会員さんは私を創価班や牙城会の大学校に入れようと考えているようです。

創価班・牙城会とは、簡単に言うと創価学会の会館の守衛さん、みたいなものです。

とても厳しいそうです。

折伏や聖教新聞の購読推進などのノルマが課せられるそうです。

入らずに済むなら入りたくはない。

でも、断らせてくれないだろうなとも思う。

5時間くらいかけて説得してくるともきく。

母親も先日私に「できないことはできないっていいや」と言っていました。

ただ、もう諦観というか、自分を殺して流された方が楽なんだろうなってのがあって、あとなんせ過食症が治まりつつある気配を感じているのもあって、自分は本来過食症でもう死んだも同然の身なんだから、この身をどう使われようが構いやしないみたいな考えもあり、この上は我を捨てこの身投じようか、なんて思っていたので、この母親の言葉には内心混乱しました。

気持ちが前向きな部分もあるんです。

何かが変わっていると感じる部分もあるんです。

会合に参加するだけなら、喜んでとまではいかなくても、やっていけそうな気がします。

創価学会の人と接することはいいことだと思えるからです。

折伏もいつかはやってみせたいとも思います。

でも、創価班や牙城会はどうなんだろう。


なんか、ネットとか見ていると嫌な気持ちになりますね。

大学校に入って辛い思いをしたり、嫌な幹部を目の当たりにしたり、きついことを言われたり。

兄も昔、大学校に無理やり入れさせられ、今では学会嫌いになりました。

弟はどちらかというと活動家で、大学校にも入っています(たしか創価班の方です)。

真面目にやっているみたいです。

弟の姿を見て、刺激されている部分もあります。

それは別に学会活動している姿をというわけではなく、弟そのものを見て、という意味です。

真面目に生き生きと生きている感じがします。

弟と話せる機会があればいいなと思います。