青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

青い鳥の歌詞  一、人のやさしき詩

2008年01月09日 | 作詞

人のやさしき詩                  2007/8/19

 

人はなぜに 人がいとしい

              それは自分で 自分を生かされないから 

だから人は 人がいとしい

 

人はなぜに 人がかなしい

              それは自分で 自分を生かされないから

だから人は 人がかなしい

 

人はなぜに 人がにくい

               それは自分で 自分を生かされないから

だから人は 人がにくい

 

人はなぜに 人がうれしい

             それは自分で 自分を生かされないから

だから人は 人がうれしい

 

人はなぜに 人にやさしい

             それは自分で 自分を生かされないから

だから人は 人にやさしい

 

ああ・・人はやさしく  ここにやさしく

            宇宙の中で 光を受けて

 ほおえむる 人はやさしい

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自分の都合ではなく

2008年01月09日 | 人生設計

私の思いや考えは、人の思いや世の流れに逆らう思いや考えであるようだ。殊にこれから述べる死生観とかで見る人生観は、人の思いと世の流れに逆らう思いと考え方といえるだろう。年末に薬害肝炎訴訟が一律和解し、立法化に向けて動き出した。

一方こんなニュースもある。腎臓移植についてのニュースである。この腎臓移植に関するニュースは、移植に際しては脳死や呼吸死以前の臓器が移植に適しているとかで、それで延命処置を取りやめて自然死させ、臓器を新鮮な状態で移植する、そういう是非が問われているというニュースであった。

この薬害肝炎と腎臓移植という二つのことを見詰めるとき、人の死生観だけでなく人のあり方を思ってしまう。:

人は極限に陥ったとき、二者択一を選ぶべきなのかもしれない。しかし現実というあがない、別の二者択一の方法を取ろうとしても、それは迷いとしかならないだろう。

薬害肝炎患者がそうであり、腎臓移植を待つ人々がそうである。薬害肝炎患者が薬害肝炎になったのは、彼らの死を救うために止血剤が使用されて薬害肝炎になった。言わば死の変わりに、薬害肝炎になったわけである。

私は別に制約会社の肩を持つために言うわけではないが、薬害肝炎患者方々はこういう事実を忘れていると思う。

腎臓移植についても、現実を有りのままに見詰めて欲しいものだ。秦の始皇帝が不老長寿の薬を求めたように、他人の臓器を移植してまで生きたいのか。そういう思いでいる人達のために臓器売買業者が現れているが、そのうちに自分にあった臓器を手に入れるために殺人まで行われるようになってしまうだろう。

他人の臓器を提供されたとはいえ、奪ってまで生きるべきなのだろうか。それまでにして欲を出し迷いながら生きなくても、有りのままを受け入れて安らかに生きるのも人生なのではないのだろうか。

こんなことを述べると、本人の気持ちも知らずに、と言われるかもしれないが、私は幼少時に地震の時に家屋の下敷きになり一命を取り止めたし、二度意識不明にもなったし、心臓発作を起こし心臓手術もした。こんな具合だから、いつでも死と向かい合う状態にあり、今の命はおまけみたいなもので怖くも無く受け入れるつもりでいる。そうして日々を有りのままに受け入れていると迷うこともないし、愛憎に泣くこともないのに、なぜ人々がそのように生にこだわり死生観にこだわり迷うのか私には判らない。

そしてそれは、自分の都合本位になっているからなのだと思える。代理出産の是非も産れてくる子の都合はなおざりにされた上での是非で、むしろ赤ちゃんポストに捨てられた子供達の里親になって上げた方が救われる。

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