日木流奈さんのことは、「月のメッセージ」という本に出会うまで全く知らなかった。しかしこの一冊の本を読むことによって、他の十冊ほどあるらしい著書を拝見しなくても、その心の世界を知ることが出来たし、合い通じることができた。
ネットなどで見れば、日木流奈さんはNHKテレビでも取り上げられているとのことで、そこでは詩人として紹介されている。しかし日木流奈さんは、詩人と枠内に限定して受け止めるべき人ではない、大きさと深さのある人である。むしろそうすべきでもないが、「信仰の人、宗教の人」とも言える人である。
一般に宗教は、哲学などは道理と理性から見るのに対して、神秘に依存しがちなところがある。だが真の宗教は、この神秘性と道理と理性とを兼ね備えたものであり、調和を持っている。ただ神秘なだけのまがまがしいものは、真の宗教とはいえないものである。
日木流奈さんの心の世界は、こういう信仰の元に宗教観に立っているとみなされるが、それはさて置き、日木流奈さんの心の世界の要となる「基本」について述べることにする。
日木流奈さんの心の世界の基本は何かというと、「幸せを求める」ということに尽きるだろう。「幸せを求めて」止まない事が原動力になっていて、尽きることがない。
しかしこの「幸せ」とは、私達が思い考えているような「幸せ」とは異なるものである。
私達が求める「幸せ」は、損得を選んで欲得を満足させ、楽しいこと、楽なこと、気持ちの良いことを言い、そうであって欲しくないものをいう。苦しいことや辛いこと悲しいことなどは。
ところが日木流奈さんが求める「幸せ」はそうではない。苦しい中にも辛い中にも悲しい中にも寂しい中にも、そんな中にあっても見出される幸せで、それはそんな中で人として、人らしく生きていくことの生きがいという「幸せ」のことを意味している。安らぎと平安のあるという「幸せ」こそが、真の「幸せ」ということだろう。
釈尊、お釈迦様も語っていられたが、「私ほど真剣に幸せを求めていたものはいない」と。それが日木流奈さんにもあり、心の世界を築く基本になっている。