私達は四六時中、常に何らかの事象や事態に直面している。一秒一刻、一瞬一瞬において、瞬間的に直面している事象と事態に対応していかなければならない。(寝ている間も、あるかもしれない)
この直面している事象や事態に対応する仕方次第で、後の状態が左右されてくる。
日木流奈さんは、この直面する事象や事態に対して私達がどのように反応するかというと、感情によって反応すると語っている。それは、心の状態次第の反応なのだ、という。
釈尊も、物事は「原因となるものが縁によって結果を表す」と縁起観を示され、苦しみとか悲しみとかの元は、心の無智からくるものと説かれた。即ち心が感情によって支配された状態で直面している事象や事態に遭遇した場合、適切な判断や対処が出来なくなってしまうという事である。
しかし一般的として私達は、そういうことがない。物事の事象や事態とで、とやかく言っている。釈尊の説かれた縁起観も、縁を結ぶと言うことが重視されているみたいで、因となる自身の心のあり方には、余り関心が払われていないように思える。
日木流奈さんは、直面する事象や事態には何等の意味がないと述べて、そして大事なのは、その事象や事態を受け止める自身の心の状態が、安定した状態であることが望ましいと述べられている。
自分で、自分の心を、どう導くか、なのである。もちろん最初から出来るものではないが、続けていく内に、いわば修行していく内にそうした心の状態になっていきますよ、と呼びかけている。
ちなみに、釈尊の縁起観を判りやすく、簡単に言うならば、
「善因善果、悪因悪果」
である。
「良い心を持ち行うならば、良い結果となり、
悪い心を持ち行うならば、悪い結果となる」