青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

猫にカツオ節

2008年05月26日 | 短歌に政治や社会

私達の国民生活の源となる政治政策は、簡単に言うと官僚が立案し、それを国民が選挙で選んだ議員が議決し、そして首長により施工命令が出されて官僚が実行に移しているといえるだろう。
この施工実行は、タダでは出来ない。私達国民が納めた、税金によって賄われている。しかしこの税金を管理し、出納するのは、官僚や議員や首長であって、我々国民は蚊帳の外に追いやられている。
このために官僚や議員や首長らによる贈収賄と言うようなことに止まらず、血税を私したような事件が相次ぐことになっている。
それはもう、枚挙に暇があるまい。そして彼らは、こう釈明する。
「法にのっとって処理している」
とーーーーーーーーーーー。
「法にのっとって・・・・」と言っても、それは彼らが、彼らの特権によって、彼らの都合の良いように仕上げられている。
一方では、国民に対しては律しることを求め、絞め付けが強化されている。自分に甘くて、国家の主人公には手厳しいのである。
それはまるで、猫に鰹節を与えてしまったに等しい。
それは血税の管理、出納管理だけではなく、法と言うものの施工管理も、正しく施工されたか管理する機能までが国民には任されてはいない。
もちろんオンブズマン団体があるが、彼らの権限はやはり官僚や議員が作成し議決したものによって制約され、枠をはめられた内でしか活動が許されない。
いわば議会制民主主義には、国民を外に置くための主義であり、税金などをどのように処理しようが意のままになると言う論理がまかり通ると言う、「猫に鰹節」を与えたような有様になっている。
我々国民には、納税者として、納税した税金の使途を正確に監視する義務があるはずだ。
官僚や議院や首長ばかりに任せておくべきではあるまい。


まず母国語から

2008年05月26日 | 短歌に政治や社会
5000校で小3から英語 教育再生懇が中間報告へ(朝日新聞) - goo ニュース

日本語の使用が乱れているのに、正しい母国語の使い方、是正に取り組まないで、何故英語教育なのか。
ことに会話が出来ても、対話が出来ない今の幼少年には、これは成人にも当てはまるが、正しい母国語の使い方こそ急がなければならない。
マスメディアなど言論界にも、それが求められる。