青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

「自由人権」崩壊の原理

2008年12月10日 | 人生設計
先日新聞に、こんな特集記事が出ていた。
「結婚って必要 ?」というのを、金婚式を迎えた論客と、未婚の論客の二人の対談が、載せられていた。

未婚の論客は言う。

「結婚しているかどうかで、輪に入れたり外したりするのは疑問」
「生き方は自由。それさえ共有できないのか」
「独身は二十四時間私のもの。結婚すると、何かを背負ったり断念したりは仕方が無い」
「結婚すると、リスクが高い確立がある」
「結婚生活に妥協があるように、独身生活にも仕事や私生活に妥協がある。独身が生きにくい社会で、自由を選択する事と自由を謳歌することは違う」

等々、何だかんだといって、最後には「結婚すべきだという画一化がいけないのであって、結婚したい人は結婚して欲しい」と結んでいる。

この未婚主義ともいえる女性の論客の言い分を聞いていると、その根底には「自由人権」が存在しているのがわかる。
だがその一方、この「自由人権」を振り回すために、「自由人権」そのものが崩れ去っていくのが眼に見える。しかしこの人には、それが感じられないようだ。

「自由と人権」を振り回しているために、今の現在の私達の社会は、「他との関り」が希薄になり、「他との関りあい」が希薄になっていった事により、「思いやり」が無くなっている。今の未婚を通す論客の言葉にも、「他との関わりとの思いやり」が感じられない。
「自分勝手」な「我侭」を、言っているだけのようなものである。
このために、確かな「自由人権」は、崩壊しようとしている。
この「自由人権」を崩壊させる原理は、今言った「他との関りと思いやりの無さ」にあるが、そうさせるものが原因になっている。

だが、それは今、語らない。語ったところで「ああ、そうか」で済まされるのが、落ちだからである。
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