青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

変容性の中で

2008年12月05日 | 人生設計

私は、これまで思っていたことや考えていた事を、上手く表現できる「言葉」が見当たらなかった。それが今年のノーベル物理学賞の対象になった理論「自発的対称性の破れ」という表現が、よく似合っているようなので多用させてもらっている。著作権や商標の侵害とか何とかになるのかもしれないが・・・・


「自発的対称性の破れ」というのは、以前にも紹介したように、素粒子が「質量を持っていなかったのが、持つようになる現象」というようなことを言う。私がこのブログでこの「自発的対称性の破れ」という事を取り上げる場合は、普遍的分野(普遍的だから、分野というのは可笑しい)について言う。
ここでは主に、心の分野、精神分野を中心に「自発的対称性の破れ」というものを引用したい。

私達は「確かなもの」を、持っていたい。愛するものでも、財産でも、血縁でも、お金なんかでも、確実なものを手にしていたいと願っている。しかしこの「確実にしたい」というものは、変化する。変容する。
それのみに止まらず、この「確実にしたい」ものは、「確実にしたい」がために、我々自身が操られることになってしまうことになる。

「愛する者」と「確実にしたい」ものなのに、変容するだけでなく、そのものにこちらが操られてしまうのである。
殊にそれは、財産やお金の場合が、特にそうなる。一儲けしようとして、反対にすっカンピンになってしまっている。
今では、先日のニュースにあったが、親子の絆というものも、中三の娘に売春させるのが親の絆のだと思っている親がいた。

我々の心、精神をこのように確実なままに据え置かず混乱させるのは、他でもない、心が異常な「自発的対称性の破れ」という現象を起こすからである。
しかしこうした異常な心の「自発的対称性の破れ」という現象を起こさずに、私達みんなのために平安になるために「自発的対称性の破れ」という現象を起こす事もできる。
それが「信仰」であり、「宗教」である。

コメント
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