青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

阿呆と違う (2)

2010年05月13日 | 人生設計
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我々が生きていく上で大切なもの、必要なものは「衣食住」である。
この「衣食住」は、稼げばよいというものではない。
「お金」を転がし、利殖し、金融化し、取引し、いわゆる「マネーゲーム」のようにして得たもので「衣食住」を営めばいいものではない。
「衣食住」は、「培う」ことによって成り立つ。

「培う事によって成り立つ衣食住」は、文化文明をもたらすが、その文化文明が「衣食住」を培うものではない。
ところが現代社会は、文化文明が「衣食住」を培うものだと思っている。
文化文明は単なる「衣食住を培う」ことの補助的役割しか持っていない。
「衣食住を培う」には、「衣食住を培う」ことに従事し、この「従事する」という事は「力を合わせ、助け合いして仲良くする」ことによって培われてゆく。

民主主義における男女同権は、それぞれの「性」が持つ特性を働かせることを意味する。
「同権意識」が、男女同権の権利とはならず、男性には男性としての役割を行使する事を持って異性に対しての同権であり、かつ女性が女性としての役割を行使する事を持ってして異性に対する同権である。それが男女同権である。

それなのに「母親らしさ、妻らしさ、主婦らしさ」などをなおざりにして、スポーツなどでメダルを取る事や宇宙飛行士などとか国会議員になる事とかいうのは、「阿呆と違う」。

国会議員になるような事は、母親業、妻業、主婦業をしっかり努めて夫を自分の代弁者のように育て上げて国会へ送り出してあげるのが、女性の務めとしての男女同権といえる。
今の国会議員などは、そうした「内助の功」ともいうべは男女同権者が「阿呆と違う」といった状態になっているから、政治がうまく機能していない。
コメント
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