青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

短歌 184.

2010年12月16日 | 短歌に政治や社会
★ 美意識に 自然の摂理と 条理とに
    兼ね添えられる シクラメンの花  2010/12/16

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人という、哀れなもの

2010年12月16日 | 人生設計

この世に存在するものは、この世の摂理によって動く。
それは「自然の摂理」とも言い「鉄則」でもあり、且つ「道理」であり「条理」であり「法則」でもある。

しかしなが人の場合は、これらの「摂理、鉄則、道理、条理、法則」とは離れた生き方をしてしまう。
何故そうなるかというと、「精神、心理」という「心」を持っているからである。

人間の場合、身体が先に産まれてくる。
しかし人間としての「精神、心理、心」は何年か成長していくにつれてあらわれてくるが、肉体の成長が「自然の摂理、鉄則、道理、条理、法則」によって環境にさらされたりしながらも成長過程に従って成長していくのに比べて、こちらの成長は確かな成長を遂げていかない。
いわゆる「一人前」という人間的な成長を遂げ切れないでいて、むしろいつまでも子供のような「精神、心理、心」の状態でいる者が多い。
言ってみれば、「精神、心理、心」が「摂理、鉄則、道理、条理、法則」を受け入れ、且つ従い入れる事を「良し」としないでいることにある。「受け入れ、従い入れる」ことをしないならば、それは「摂理、鉄則、道理、条理、法則」背くこととなり、この為に人は「苦しみ、泣き、悲しむ」こととなる。
そして又、「恨み、嫉み、妬み」して相争う。

これが「人という者の持つ、哀れさ」である。

しかし「摂理、鉄則、道理、条理、法則」を受け入れ、従い入れるならば、人は幸せさを知る。

コメント (1)
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