小沢氏、バランスのいい人事と評価 山岡氏明かす(朝日新聞) - goo ニュース
これは昔の、武家としての教訓である。
「家を出て敷居を跨いだら、二度とは敷居を跨いで帰られない覚悟で出かけよ」
それ故に、火打ち石で切り火して、家を出て行った。
これは戦の時も、参勤交代の時も、また登城する時にさえ、この切り火をして家の敷居をまたいで門を出て行った。
太平洋戦争の時も、出征する兵士たちは、これも同じように二度とは敷居を跨げぬ覚悟で出征して行っている。
それは「勝敗、云々」ではない。たとえ勝ったとしても、それは多くの犠牲者の上に、勝って帰ったこととなり、帰れなかった同胞たちの家族の悲哀の上に帰ったこられたものとなる。
我々は、普通は「美味さ」とか「見栄え」などで食事をしているものが多いが、この食事が「今戴ける」ということを感謝しなければ、次には災難などで戴けなくなる覚悟を持って戴く必要がある。
こうしたことは話は違うが、成長した子供を都会へやって喜んでいたのに殺害されてしまうというようなことや、楽しそうに車で家族旅行に行ったのに交通事故死してしまったということなどもあるように、我々の行く手の「一寸先は闇」なのである。
元々我々人間は勝手なもので、何彼と物事が自分の思う様になるものと思っている。
というよりは、思う様になならないと気が済まないし、気に入らない。
これは、早く言えば「身勝手さ」だからであり、その分人に依存しているからこんな態度に出られる。
だから「めでたしめでたし」と結婚しながら、簡単に離婚してしまう。
これは、「家の敷居を跨いだら、二度とは戻れない」という覚悟がないことにある。
いったん結婚したならば、相手と生涯否応なく添い遂げていくことが、敷居を跨いだ者の果たす勤めとなっている。
こういう簡単に離婚したりしようとする人達には判らないだろうが、生れながらに障害を背負って産まれた人たちは、誕生という敷居を跨いだ瞬間をして、障害を生涯の伴侶とすることを運命つけられている。
しかし彼らは、幼い内は中々このことに気が付かない。
「なんで自分はこんな体に…」などと、世を呪ったりしている。だが呪ったところで解決する代物でないことに気が付いた彼らは、ここに示された肉体と、自分を取り巻く世界との融合を図ろうとし、そこから「自分で出来ることは、出来るだけ自分が行う」といった自立心と独立心が芽生えてくる。
こうした人たちは、新しい世界への敷居を跨いでいったことになる。