青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

幸せのための条件と要素

2011年09月05日 | 人生設計

「幸せ」になるためにはどうしたらいいか、ということをよく聞く。
「幸せ」は、条件と要素が整えば、簡単に「幸せ」になれる。
とはいっても、これが簡単なようで難しい。

「幸せ」になるには、その条件と要素として、この「幸せになりたい」ということを捨てなければならない。「幸せになる」ということを、放棄することが、「幸せ」になるための絶対条件であり、且つ要素としてある。
この「幸せになる」ということを捨て、放棄しないならば、絶対といいほど「幸せ」とは無縁になる。

何故このように「幸せになろう」ということを捨て放棄しなければならないかというと、我々人間というものは「感情と五感」に左右される生物だからである。
このため我々は、「感情と五感」に常に揺り動かされ動揺している。動揺しているということは、欲望が際限もなく尽きないでいるということになってくる。

例えば食事をする。
我々は、美味いものを、食べたがる。
ところが、この美味いものというものは、肥満の原因にもなり、メタボリック症候群の原因にも、糖尿病や高血圧の原因にもなる。
美味い物を食べて「幸せ」な気分になろうとすると、健康を損なって行く。これは今云った「感情と五感」の欲するままにすると、却ってつらい思いをしなければならなくなる。

それに控えて、漢方でだったか、「食事を薬」として戴く戴き方、「薬膳」といって、「感情や五感の欲」が欲するものではなしに、本当に肉体が求める「エネルギー」などだけを求めるような、食事の仕方がある。

さて我々は、どっちを選ぶか・・・・。

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続・二度と、敷居を跨げぬ覚悟で

2011年09月05日 | 人生設計

我々は、「幸せになりたい」という観念を持つ。
この観念には、「自分の思い通りになって欲しい」という条件と要素を必要としている。
しかしこの条件と要素は、他の者の条件と要素でもあり、そうなるとこれはお互いが相容れないこととなるから、それは自分の思い通りにはいかないこととなってくる。

「二度と、敷居を跨げぬ覚悟で」ということも、二通りの覚悟の仕方がある。
一つは「行ってきてやる」という行き方。
もう一つは、「行ってきますから、留守を頼みます」と言って行く行き方。

私が住んでいる街には、古城がある。
この古城の殿様は、こんな文を家族に宛てて旅立っている。有名なので、ご存知だろう。

「一筆啓上 火の用心 おせん泣かすな 馬肥やせ」

この文には、「行ってきてやる」という傲慢さを持っていない。むしろ「後の留守を頼みます」という家族への託す思いが語られている。
ここには、よく言われる「親しき仲にも礼儀あり」の心が、ひたむきな形で「二度と、敷居を跨げぬ覚悟」でと伝わってくる。

我々が「幸せになりたい」とするならば、その条件や要素として、相対するすべての者に「礼儀と礼節」を尽くしていくことにこそ、この条件と要素が整うものといえる。

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短歌 298.

2011年09月05日 | 短歌に政治や社会

★ いがみ合い 嫉み合いして 角立てず
    親しき仲に 礼儀ありせば   2011/9/5

近くして親しき仲なれば、礼儀と礼節を持って対するならば・・・・・。

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