青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

社会の心

2012年12月04日 | 人生設計

釈尊に対し、ある弟子が次のように問うている。

「世に辺があるか、死後に魂が残るか。この事に答えて戴けないなら、私は釈尊の傍を去る」

これに対して釈尊は、

「そのような事は四苦八苦の解決にはならず、判らない事は判らないままに捨て置き、私が語る事のみを受け入れるが良い」。

この釈尊の言葉は、科学することの愚かさを語っている。
「幹細胞、ips細胞、不妊治療、臓器移植」等とか、「宇宙開発、原子力利用」だけでなく、「軍事兵器開発」にまい進している事は、一時的には四苦八苦を和らげる事は出来ても、完全には解決できず再燃する。この再燃も、前のものとはより増したものになる。

我々が産まれ生きているこの世という世界には、無数に無限なほどの「原物質、素粒子」が充満している。これは一つとして「減る事も増すこと」も無い。
そしてこの「原物質、素粒子」は、そのままの単体ではいず、他の「原物質、素粒子」と結合していき、この世という森羅万象の世界を形成し、我々を産まれさせ、生きて生かせる世界となっている。

物はすべて他のものと結合していくという事は、社会を形成するということとなる。人間でいえば、家族、地域社会、国家社会、人類社会となる。
人間のこうした社会は、「自由と平等」を建前とした「民主主義」とは言いながら、差別化している。「評価、数値」でである。
この評価、数値化というものは、ある事が出来る数値が上ならば優遇し、そうでない場合は捨ててしまわれる。

しかし人は皆、出来るものと出来ないのを持っており、その出来るものでも出来ない事があるし、また出来ないものにも出来る事がある。
それをうまく引き出し、生かしていける社会構造を作り上げていかなければならない。
「できない」こととして放置されている人たちも、「自分には人が出来ないこういう事が出来る」と、そういう人たちが集えるように心がけてほしい。
それが「社会の心」となっていく。

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