「仏の心」とは、何も仏教での事ではない。
全ての宗教に、通ずるものである。だからこれを「神の心」といっても差し支えない。
普通一般的には、「神の心」を「愛」といい、「仏の心」を「慈悲」といっている。
だがこれは、正しいものではない。
このように「愛、慈悲」というものは、「神や仏の心」を曲解している。
真実の「神や仏の心」というものには、言ってみれば「何も無い」ものなのである。「何も無い」という中で、それが「法」の基で「神や仏の心」が存在している。
この事を述べているのが、仏教の経典の一つである「般若心経」に収められている。
「般若心経」では、「絶対無」としている。
しかしながらそれは宇宙観とか自然観というもので、そこに我々が生きているという事により、その我々が他との関わりを持つということとなる時、この「神と仏の心」としての「愛と慈悲」が必要になっている。
だがこの「愛と慈悲」という「神と仏の心」は、我々が「景気拡大とか経済成長」とか、あるいは「国威強権大国」という道を歩もうとしている事により、「愛と慈悲」は砕け散り、我々がどんなの栄光とか優秀といっても、野蛮な生物や生命体でしかなくなる。