青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

腰砕け

2013年03月12日 | 短歌に政治や社会

4月28日に主権回復記念式典…閣議決定(読売新聞) - goo ニュース

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、「奄美、小笠原、沖縄が戦後一定期間、我が国の施政権の外に置かれた苦難の歴史を忘れてはならない。沖縄の基地負担の軽減に取り組むとともに、奄美、小笠原、沖縄を含めた我が国の未来を切り開いていく決意を新たにすることが重要だ」
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こういう風に、米軍基地による苦難を軽滅させる方向しか示さない。
完全に基地を無くそうという、そういう施政方針を持っていないということで、腰砕けなものの言い方をしている。

http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/politics/20130312-567-OYT1T00580.html

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続・・・・・人生の要

2013年03月12日 | 人生設計

前回の「人生の要」において、この「人生の要」は「信仰と宗教」が関連していなければならないと述べた。しかしこの「信仰と宗教」というものは曖昧であり漠然としている。そのためにいかがわしい信仰や宗教がはこびり、そうした信仰や宗教に人々は惑わされてしまう。
ここではこの「信仰と宗教」が正しいものかどうかということから、語ることにする。

「正しい信仰か宗教か」を判断する目安は、実は簡単なことである。次のことを語るものこそ、正しい信仰であり宗教であるということができる。
「正しい信仰と宗教」は、「悪い行いをせず、良い行いをしていく」ということに尽きる。この「悪い行いをせず、良い行いをしていく」ということは、「心の思い、体での行い、言葉での行い」を指す。即ち「心の思いを良くし、体での行為を良くし、良い言葉使いをする」というのが「正しい信仰と宗教」なのである。
この「正しい信仰と宗教」としての「悪い行いをせず、良い行いをしていく」ということということは、簡単に言ってしまえば「心の掃除をする」ということである。よって「正しい信仰と宗教」とは、「心の掃除を行い」ものでなければならない。
そうでない「信仰や宗教」は、単なる「信仰と宗教」という語弊をもったものでしかないものとなる。

しかしこうした「悪い行いをせず、良い行いをしていく」という「信仰と宗教」を持つものであっても、それが「人生の要」とはならない。前回述べたように、自分だけがすればそれで済むというものではないからである。
これを例えて言うとすると、我々は家の掃除をするが、その掃除は気持ちよく生活するためのものとだけであってはならない。
自分だが気持ちよく生活するものだけでなく、次の者に受け継がせていくためのものとしての掃除でなければ、掃除のし甲斐はなくなる。

仏教の経典には、昔ある国の王女、妃は、敬虔な仏教信者であったという。この妃はある時外出した先で、伝染病か何かで全身できものだらけで膿が出ている人に出会い、妃はこの人のできものに口を付けて膿を吸い取られたという物語が残っている。
こうした妃の行為の中に、我々人間の「人生の要」を見い出させてくれる。

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