青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

宗教的尊さ

2016年09月10日 | 短歌に政治や社会

ミサイル防衛、より困難に=北朝鮮の技術向上で

安倍晋三、菅義偉、麻生太郎に、稲田朋美、高市早苗、片山さつきなどは、教育を受けていたことだろう。みんなとも大学を出ていると思う。それなのに、在学中に学んだことは、もう忘れてしまっているらしい。
元々教育とは、心と精神の人間性を育ませるものである。それが戦後の毛経済拡大とともに、富、地位、権威を得るためのものに取って代わってしまっている。いわゆる数値評価で色分けしてしまい、偏差値によって待遇が異なることになってしまっている。
それに今の教育は、学校現場だけに終わらせてしまい、社会へ出てからも行わなければならないことは教えずしまいになっている。

教育では、歴史として次のようなことを習っているだろう。

参禅必ずしも 山水を用いず 心頭(を)滅却(めつきやく)すれば火もまた涼(すず)

無念無想境地にあれば,どんな苦痛苦痛感じない。 〔杜荀鶴夏日悟空上人」より。禅家公案とされ,1582年甲斐(かい)国の恵林寺織田信長焼き打ちされた際,住僧快川かいせんがこの偈(げ)を発して焼死したという話が伝えられる〕

今の現在、中国が海洋拡大しているとか日本領海や領空を犯しているとか、北朝鮮がミサイル発射や核実験したとかで右往左往しているが、昔の時代にははこんなことは日常茶晩飯のことであった。そういう中で生きていかなければならないことを、ここで語り述べている。
こういうことが浮世の定めで習い事なのである。

先日のNHKテレビで貧困家庭の子が、自分が置かれている環境を語っていたが、その映像に出ているものを取り上げて、これは捏造されていると言って非難している。
しかしそれは番組の中でも告げているように、アルバイトして得たものなのであり、親の脛を齧って得たものではない。むしろアルバイトして家計を助けている。
この子たちも、どんなにスポーツに精を出してオリンピックに出たかったことだろうに、それを思いる気持ちが持てないように教育されてしまっている。
他の若者たちはまた、災害被災地にボランティアとして駆け付け、復興に取り組んでいる。
こうした貧困家庭の子やボランティアをしている若者たちの姿に、宗教審にもとずぃた心と精神を育ませる尊さを見てしまう。

9月9日(金)のつぶやき

2016年09月10日 | ニュース