昨日のどこの番組でのニュースでだったか、「人生の最後の死」をどこで迎えたいかというアンケート集計が放送されていた。
「自宅で、老人ホームで、病院で」などというものが上げられている。
私はこれを見ながら、「なんだこれは」と思わないではいられない。
人であれ生物あれ、岩石や水や空気などこの世にあらわれているもの全ては、時と所戸を選んで産まれ来るものではない。みなそういう切っ掛けによって、この世に生まれ来ている。
それならば、最後の時も所も、自分の望み通りの時と所を選ぶことはできまい。
それなのにこんなアンケートを取ること自体が無意味なことで、ただ人心を混乱させ迷わせるものにしかならないだろう。
孫悟空はトンキン雲に乗って、世界の果てから果てまで飛び回られると自慢していた。ところが実際は、お釈迦様の台の上での、一人遊びのようなものであった。
それと同様に、我々が生きていくのもお釈迦様の台の上、死んでいくのもお釈迦様の台の上で、決してそこから落ちることはなく、地獄にも魔界にも落ちていくことはない。
だから恐れることなく、安心していればいいのだ。
それなのに、そんなことを言いふらしている宗教家がいる。金儲けのために。
【北朝鮮核実験】安倍晋三首相「圧力新たな段階まで強化。国際社会の意思明確に示した」国連安保理の制裁決議採択に
こういう風に、「新たな段階」のまで規制や圧力を強化するという。
そしてそれを口実にしてあやかり、防衛予算増加ばかりでなく、改憲して9条を改正し、自衛隊を国防軍に改変させようという腹だ。
北朝鮮の行為があやかりになったと、嬉しがっているだろうて。
安倍首相、財源確保を重視=「人づくり革命」具体化へ初会合
安倍首相は、また新たな政策課題を立て上げた。
目玉政策というが、これまでそういっていくつもぶち上げては、尻切れトンボになっている。
新聞のコラム記事には、こんな記事が見られる。
http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/237092
人が生きるということは、厳しいものだ。いや人だけでなく、すべとの動植物も含めた生命を持つものの生きるということもまた。厳しい。
そういう中で生きていかなければならないのが、定めになっている。
昔の人々はも苦学し下宿生活で自炊し、アルバイトして学費を稼いできていた。
それを教育費無償化と、まるでぬるま湯の中で教育を受けさせやれば、役に立つ人材が育つと思っているららしい。
役に立つどころか、ナヨナヨとして、我儘ばかり言い、気に入らないとすぐキレるような人間らしか出来上がるまい。
教育を受けながら、その教育の中に「金を払ってでも苦労をせよ」とか「可愛い子には苦労をさせよ」ということは、今はもう忘れ果ててしまわれている。
子を苦労させたくない親の気持ちがあるなら、苦労をさせる中で見つける価値を大成していくことが、そこにほ本当の親としての愛情となるだろう。
しかし今の親や大人には、こうした親になり大人になるという「親育て」の心がなくなっている。