祖機に「教育と宗教」のタイトルで投稿いたしましたが、それに対する次のようなコメントをいただきました。
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いつも思うのですが、宗教はあなたの言う「愛と慈悲」を謳いながら、実は世界の紛争の大半は宗教が原因というのはどういうことなんでしょう。
他の宗派を認めないという時点で、本当の宗教家なんてこの世界にいないのではないかと思います。
僕は日本の神様が好きです。
大層な出雲の神様じゃなく、例えば田んぼの片隅に祀られている神様、トイレの片隅にいる神様。
畏れと感謝。
それこそが日本の宗教の原点の原点だと思っています。
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このコメントの問いかけに対しての、返信です。
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なぜ人間が殺し合いなどの戦争をしているのかというと、宗教の心を取り違えているからです。
宗教は「愛と慈悲」なのですが、この「愛と慈悲」を離れ離れにしているところから、真の宗教とはなっていません。とりわけ「愛」について言いますと、この「愛」はどんな「愛」にしているかというと、「自愛」にしています。即ち自分が一番「可愛い」ことです。
この一番可愛い自分を満足させようと、それは物を盗ったり人殺しするのも厭いません。いじめや虐待も行います。これらはみんな、自分が可愛いがための行いになっています。
こういうことになるのは、「自愛」と「慈悲」とが結び合っていないことによっておこるといっていいでしょう。
即ち宗教とは「愛」と「慈悲」とをしっかりと結び避けること、そこには受動性と能動性との共同作業によるものと言えます。
しかし教育には、これがあません。