青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

消滅国日本

2017年10月06日 | 短歌に政治や社会

9条改正「議論」=増税凍結で「ユリノミクス」―希望公約【17衆院選】

私はかねがね、今日の日本は消滅し、消沈し、沈没していきかねない状態になっていると思ってきた。それが安倍首相が衆院解散を宣言し、そしてその後の世の動きを黙って見ていると、更にその思いが強くなってきている。

その一つが、国中を見回すと文字や外来語を表したカタカナ語の氾濫。
これがマスコミにも文芸界にもテレビなどの放送媒体でも使用されていて、母国語のに日本語はもはや影が薄くなっている。
学校教育でも小学1年から英語教育が始まる。まだきちんと母国語の日本語が培われない中で、言葉使いがどうなるか心配になる。
大人からして日本語のちゃんとした意味が分からない、そんな時代になっている。
選挙公約、選挙マニフェストの多くにも、こうした日本語を追いやって、外国語で占領させてしまっているから、どれほどまでに日本という母国を粗末にされているのかがわかる。

選挙マニフェストでは、よく「安保」という言葉が多用されている。
何故このように「安保」という言葉が多用されているからというと、「人間が人間に対する安全保障であるからである。
しかしこうした安全保障は、自然に対しては効力発揮できない。打ち続く自然災害に対しては、全く役に立たず、単なる無用の長物でしかない。

人間は、豊かになろう、便利に過ごそうとしいて自然界のものを採伐してきた。
鉱物や森林資源や石油などをである。
ここで万物の霊長類という人間に対して、問わなければならない。
人間豊かになり便利になるために採伐してきたものには、自身を守ろうという安全保障はないのだろうか。何も物言わないけれども、あるはずだ。
その思いを踏みにじって人間は、無残にも食い荒らしてきている。
そして今、自然界はその傷跡を癒そうとしている。それが人間に対しては、自然災害という形となって表れている。
そして自然が自身の手当てを行う行為として、富と便利さを追い求める者同士を戦わせるという手段まで講じている。しかし我々人間は、こうした自然の胸の内は知らず、ただ泣き悲しんでいる。
消滅していくのは国だけでなく、人類全体になりかねないのに。

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10月5日(木)のつぶやき

2017年10月06日 | 国際
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