★ 秋半ば 昔懐かし 献立の
精進料理に お腹ふくれて 2009/10/21
★ 夕焼けに はらりと落ちる 落ち葉かな
2009/10/20
★ 秋半ば 昔懐かし 献立の
精進料理に お腹ふくれて 2009/10/21
★ 夕焼けに はらりと落ちる 落ち葉かな
2009/10/20
>これからの日本自身の国防を考え直す時期にあると思います。
自分の国は自分で守る普通に国に 日本もなってほしいと思います。
というより 米国の衰退でそうせざるを得ないと思います。
勇ましいですね。
でも、実情や実態と外れており、国家のあり方としても疑問者です。
これは貴方方ばかりでなく、歴代の首相、閣僚など政治家や官僚たち、知識人も余り言っていない事ですが、今の我が国「日本」の現実の実情と実態は、こういうふうになっています。
我が国は、世界有数の長寿国です。少子高齢化社会でもあります。
この事は、働き手の若者が少ないということでもあります。
若者が少ないということは、貴方方が「国を守る」ということを願っても、その国を守って貰う若者が少ない訳です。
そこえ持ってきて、この少ない若者の内には病弱な人や障害者もいられます。又五分の三は女性。
後の五分の二の男性に、主に「国を守る」事を担ってもらわなければならないことになりますが、ところがこの半数近くは、民主主義の基本的人権「自由と平等」を盾に、女権が強くなりました。高学歴になり、教養を持ち、社会進出して発言権が強まっています。これにより青年男性はどうなったかというと、「草食系男性」といわれるようなひ弱な男が増えています。
こういう「草食系男子」のようなものが国を守ることに従事できるでしょうか。いや「国を守る」事ばかりではなく、食糧生産などにも従事してもらわなければならないものなのですが、芸能ごとや装飾ごとには向いていても、とてものこと自然と取っ組み合えは出来ないでしょう。
若い女性のほうも、コンサートや芸能人の取り巻きで「わいわい」騒ぐばかりで、料理や洗濯、掃除などの生活活動が出来ない者がいると良く眼耳にします。
貴方方がどんなに勇ましいことを言われても、現状の実情と実態はこういうものです。
「国を守る」者は、ほんのわずか。そして国を支えるものは、ずぼらな「草食系男子」や「コンサート、ファッション、芸能ごと」などにうつつを抜かす若い女性は役に立たず、年寄りが勤めなければならないようです。
★ 眩し日の 秋は深まる ふるさとは
予算取り合う 中に和みて 2009/10/19
穏やかに和む秋のふるさと、だが人間の勝手気ままに予算分取りでどうなっていくのか・・・・・
日本国憲法 第25条
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。[1]
1 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の 向上及び増進に努めなければならない。
憲法ではこのように「健康で文化的な生活を営む権利を有する」とある。
だが我々人間というものは、この「文化」というものを、「文化」によって崩壊し、自滅させようとするような浅ましさと疎かさとを持っている。
我々は「健康」でいたい。そして「長生き」したい。
それが故に「文化」を、発展させてきたといえる。
「医科学」がそうである。
それに「豊かさ、楽しさ、楽(快適さ)」な生活を営むために、科学技術を発展させ、芸術も発表させている。
こうした「文化の発展」が、今日は「発展」を通り越して、自虐的な自滅への崩壊現象を起こしている。
我々が「健康でいたい」という思いから、医学が発達した。そして長寿社会になってきている。
一方科学の発達によって「豊かに、楽しく、楽(快適)」になったのに伴い、運動不足になり、また晩婚化し、核家族化し、それは少産化を伴うとともに少子化社会となる。
これまでの人口構造が、子供が多く、高齢者が少ないビラミット型だったのが、「文化」が「発展,発達」するとともに、逆ビラミット型の少子高齢化社会となっている。これによってこれまでは十人の働き手で一人の子供や老齢者の面倒を見ればよかったのが、三人で一人を見なければならないような社会構造になった。
ところが、この働き手ともなる三人たちの中には、いい年になったのに独身の人もいるし、あるいは働き手といっても、生産としての働きてでは無く、金銭を稼ぐという働き手でしかないものもいる。
「金銭を稼ぐ」というのは、「金融、スポーツ、芸能、報道、文芸」などでの働き手ということで、第一次産業の担い手ではない。
こうした第一次産業の担い手で無い人たちが社会の第一線でがんばるような社会が、今日の文化社会となっている。
このために、民主主義の理念ともいえる「自由と平等」の精神も揺らぎ、政治から、経済から、教育から、そして家庭からも「人間として生きる覚悟と責任感」が薄れて、「文化による、文化への自滅的な崩壊」が始まっている。
「文化」とは、「そのままを受け入れて生きる」ことであるだろうに・・・・・。