青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

安全保障の混沌化 (上)

2009年10月09日 | 短歌に政治や社会
安全保障とは「国外からの攻撃や侵略に対して国家の安全を保障すること」ということになるが、それは言い換えると、次のようなこととも言えることになる。

我々が「豊かに、楽しく、楽(便利さ)」に生活できるように何彼としたり行っているが、そうしたことをただしたり行っていただけで済むものではない。
そうしたことを維持していかなければならないし、のみならず、後始末や整理整頓をしていかなければ、その後が続けられなくなってくる。
こうした「維持すること、後始末、整理整頓」などが、安全保障として大切なことといわなければならなくなる。

安全保障とは、外に対してではなく、内に対しての安全保障であってこそ、安全保障足りえる。
それが内に向かず、外ばかりに向かっていることにより、安全保障体制は混沌としてしまっている。
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短歌 四十九、

2009年10月07日 | 人生設計

★ 人が世は 騒ぎかえれど 秋中は
    実り終りて 静まりかえる 2009/10
/7


       こんなにも 食べていいかと 思うほど
   今日のバイキング おいしかったな
             2009/10/7

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今日の新聞記事

2009年10月05日 | 人生設計

今日の新聞には、次のような記事が出ていた。

●1 耕作放棄地、28万ヘクタール。農家の高齢化、いわゆる限界集落などの農業問題を金儲け無視で企業家。

●2 マラソン疾走者、6880人。

●3 五輪招致費用、150億円。

●4 奨学金未返済額、723億円。

これらの記事を見ると、社会の暗部、恥部を見せ付けられているように思える。
●1のように、多くの耕作放棄地があるというのに、●2のようなことには精を出している。
これだけ多くのマラソン参加者や応援者が、マラソン競技時間ほど耕作放棄地の草刈でもしたら、限界集落は蘇えるだろうが、そういうことには手間隙をかけたがらない。

●3や従来線があるのに新幹線建設、また高速道建設等して「観光、行楽、ビジネス、レジャー」などを優先しようとして、●4や、今日では雇用不安から義務教育さえ受けられない「教育難民」が増えているのに、お構い無しになっている。
それに「医療不安」もあり、「介護不安」もある。

「無駄遣い削減」と言いながら、せっせと政府専用機を乗り回し、政策そっちのけでイベントなどに顔を出している。

記事には、暗部や恥部ばかりが並ぶ。

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執拗なしっこさ

2009年10月04日 | 短歌に政治や社会

昨夜(21/10/3)のNHK総合テレビ「日本のこれから」で、「鳩山政権に問う」が放送されたが、この番組に投稿しようかと思ったが、止めた。
事は「鳩山政権がどうのこうの」と、言うことではなかったからだ。
今日のこのような事態、有様は、我々人間の「社会理念、生活理念」そのものが、基調から歪んでいることにある。それを正すことなく、ただ単に「鳩山政権」ではない訳である。

わが国でいうならば、国家の理念ともいうべき憲法の精神に立ち返らなければならない。

その一つは、「戦争放棄」と定めたなら、「交戦権、報復権、服集権」も放棄した「完全無防備」に成らなければならない。
そういうことでないから、「次期主力戦闘機性能情報」代として、十億円も請求される。
我々が成さなければならないことは、「共生、共存」のための「平和路線」だけである。

二つ目は、民主主義の基本である「基本的人権」、即ち「自由と平等」が、人間の欲望ともいえる「豊かさ、楽しみ、楽」を求めるという「執拗なしっこさ」のために、至難滅裂に崩壊している。
ちょっと例を挙げると、「表現の自由」ということが、週刊誌であったか、「皇太子紀と秋篠宮紀のどちらが皇室の女性としてふさわしいか」というようなことをアンケートしていた。
これでは皇太子紀のストレスがたまったものではないだろうに、こうしたことを行うのが、「表現の自由」な行いとしてまかり通っている。
「自由」にせよ、「平等」にせよ、越えてはならない枠がある。
今日、こうした「枠」を、平気で越えてはばからない事が「美徳」とされといる。
一般的に、この「枠」を定めるのが「法」ではあるが、この「法」は他によって縛るものであり、自らの手によって自らを律するものとはならない。自分で、好いように解釈してしまう。
これを、自分で自分を律し、正しく引っ張っていくようにしていかなければならない。この「自分を律し、正しく引っ張る」ようにしていくのが、「宗教」だといえる。

だがこの「宗教」、怪しいものが多い。
第一、「信教の自由」として憲法で保障されているのをよいことに、「法で守られ、税で守られ」て、「信教の自由」の枠をも、踏み外しているものがある。
これは、人間の「欲望」ともいえる、「豊かさ、楽しみ、楽」を、執拗なまでにしっこく求める事にある。

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寝言

2009年10月04日 | 短歌に政治や社会
官僚にも「生活ある」…天下り抜本改革は先送り?(読売新聞) - goo ニュース

非正規社員にも、パート社員にも、期間従業員にも、それぞれに生活がある。
何も「官僚」に限ったことではなく、特別視されることではない。
そういう「寝言」みたいなことを言って、甘えている。
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短歌 四十八、

2009年10月03日 | 短歌に政治や社会

★ まる月の 空に輝く 美しさ
     昨夜の雨は 忘れて果てて    2009/10/3

★ 窓からの 丸く輝く 名月に
     光の中に 己が心も        2009/10/3

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報道では

2009年10月01日 | 短歌に政治や社会
私の家で取っている新聞には、次のような「みらい・つなぐ交差点」という特集記事がある。この日は、こんな記事が出ていた。

3Rってなに?

 





ゴミ減らしモノを大切に使う


 
 コウ リサイクルって言葉はずいぶん一般的になったけど、もう一歩進んだ考え方があるらしいね。「3R」って言ったっけ。
 博士 よく知っておるな。3Rとはリサイクル(Recycle)、リデュース(Reduce)、リユース(Reuse)の頭文字から名付けられた言葉じゃ。
 コウ どういう意味か一つずつ教えて。
 博士 リサイクルは知っておるようじゃから、リデュースから説明するぞ。必要ないものは買わない、使い捨ての商品などゴミになりそうなものは使わないよう心掛け、廃棄物の発生を抑える、という考え方じゃ。
 コウ ふーん。リサイクルと同じくらい大切なことだね。
 博士 リユースは、いらなくなったものを捨てるのではなく、洗ったり修理したりして、もう一度使うこと。身近なところではビールやジュースの瓶を回収、洗浄して何回も使う「リターナルビン」がそうじゃな。
 コウ なるほど。いらなくなったモノを別のモノに再利用するリサイクルは、作り替えるときに燃料などが必要だ。それに比べ、瓶は瓶として、洋服は洋服として再び使うリユースは、再生するときのエネルギーが最小限で済む。そう考えると、リサイクルより“地球に優しい”取り組みといえそうだね。
 博士 最近では3Rに加えて、過剰な包装などゴミになりそうなものを拒否するリフューズ(Refuse)、壊れたら修理して使うリペア(Repair)を加えた「5R」という考え方も広がりつつあるんじゃよ。
 コウ ボクもなるべくたくさんの「R」を実践してみるよ。

しかし一方では、「ハッピーニュース」といって、豊かで楽しいものを求めている。

たとえば、楽しく豊かなイベント行事を開催することを報道したりすると、今日は食べ物は「割り箸、トレイ、カップ」などと使い捨てにしている。
3Rどころでではない。こんなことは、美辞麗句でしかない。
このために、報道機関の記事と記事とが、矛盾してしまう。
報道機関そのものが、まず改めなければ、本当の主旨は浸透していかない。

コメント (1)
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