青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

阿呆と違う (4)

2010年05月20日 | 人生設計
口蹄疫は問う なぜ感染拡大は防げなかったのか 10年前の経験が生きなかった畜産王国、宮崎の瀬戸際(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

我々人間というもの、人類というものは、「宴のあとの恐ろしさ」というものを知らない。気付かない。
いかに「ノーベル賞、文化勲章、五輪メダル、アカデミー賞」などを習得出来たりしても、この「宴のあとの恐ろしさ」の恐ろしさには無関心になっているのだから、「阿呆と違う」にもほどがある。
そしてせっせとまだ更に、「豊かに、楽しく、楽(快適、便利)」になるようにとか謳歌しようと懸命になっている。

生活において、食生活が危機に際しているのに、住生活や衣生活には関心がある。
食生活も、食べることには関心があっても、生産事には無関心。
いや「無関心」というよりも、生産に関わる事を「嫌う」。
いやはや全くの「阿呆と違う」という事となる。

いつも何かに「依りかかり、当てにして、甘えて」いながら、宴を貪っている。
そうしているうちに、「宴のあとの恐ろしさ」が襲いかかってきますよ。

短歌 115、

2010年05月20日 | 短歌に政治や社会
★ ディ行けば 重なりあえし 移り世も
      豪華弁当に 苦労もなんの  
2010/5/19

今日の献立は「超」を付けたい、
     「季節のお弁当」
でして、ご飯の上には大きな「カツ」が付いている「カツ弁当」です。

今年は私にとってこれまでに、過労からか家内が二ヶ月入院して、退院の目安がついて間近になった時に家内の実家の母親が亡くなり、次いで私の母親が亡くなったり
して、正直のところ心臓発作を起こして手術を受けた事があるだけに胸がアウチそうになったり、葬儀を済ませてお七夜も済ませて気楽になったせいか「グタッ」となる時があって、先日月に一度通う内科に行ったときに医師に告げて診察してもらいましたら、「疲れているようだが元気がある」と言われました。
こうした色んな困難な中で元気にやってこられたのも、ディサービスに行っていたからのようです。

けいれん発作の後、認知症気味でディサービスに通うようになりましたが、当初は何もする気はなく、寝ているばかりでした。それが上手な介護や、色んな美味しい献立などを戴いていくにつれて元気になり、事に精神的に充実してきて今回のような困難を乗り切れたのですね。
今後は心配や気遣いはする必要はないけれども、問題や混乱、支障なく慰霊などをしていけるよう、ディサービスを受けながら落ち付いてゆっくりと自分の任務や責務を果たして行く事にします。

上記の句は、そうした気持ちや思いを込めたものです。



阿呆と違う (3)

2010年05月18日 | 短歌に政治や社会

憲法改正の手続きを定めた国民投票法が施行(読売新聞) - goo ニュース

いつまでたっても「日本国憲法」をどうするかというと、外向き的というか外回りばかりいじくる事に懸命になっている。
大事なのは、内向きなこと、「日本国憲法を我々国民にどう落ち着かせるか」ということには、無関心になっている。
いや、というよりも、「金儲け、権力欲、地位欲」などの対象にしようとしてしまっている。
そして「豊かに、楽しく、楽(快適、便利)」になろうとしている。

しかし一方では、虐げられ、疲弊されられ、放置され、たらい回しの末に捨てられたりするものの、何と多い事か。
なのに「進歩、成長、拡張」を続けようとして見捨ていき、内面的な潤いを満たそうとしないでいる。

全く「阿呆と違う」といいたくなる。

内なる「内面性を満たす」ことを持って、「日本国憲法」を生かしていくものは、いないのだろうか。


阿呆と違う (3)

2010年05月17日 | 人生設計

我々人間、人類は、優れた才能を持っている。

その才能とはどういうものかというと、すぐに「けんか腰になる」という才能である。
この「けんか腰」になる才能は、天才的と言っていい。
すぐに「腹を立てる」、そして「仕返し、報復、復讐」を企む。仕組む。

一方この「けんか腰」は姿を変えて、「権力志向、金銭志向、名誉志向、地位志向」などともなり、他を蹴落としてでも優位に立とうとする。いわゆる「弱肉強食」である。
そうした「弱肉強食的けんか腰志向」は、我々人間特有の才能、それも他の生命体、動植物には見られない天才的才能といえる。

他の生命体は、自然の中での生命の営みに生きている。
それに対して我々人間は、生命の維持をもくろんで生きようとしている。
「生命の維持」をもくろむがために人間は、天才的才能を行使して、「けんか腰」になり、その「けんか腰」に必要な物を天才的才能を持ってして次々と作りあれげた。
それが「爆薬、銃器、戦車、艦艇、戦闘機、ミサイル、大陸間弾道弾、そして核兵器」であり、金融システムまで作り上げて、「平和、平和」と叫びながら、それは自国の領土と国民を優先させてのものだから、どうしても「けんか腰」の叫びになり、その陰に武器等を忍ばせた「けんか腰」のものの平和の叫びでしかない。

こういった事が大統領、国家主席、首相らいつもの変わり映えしない言い分ばかりか、国連総会や安全保障総会でもそうなのだから、全く「阿呆と違う」とも言いたくなる。


阿呆と違う (2)

2010年05月13日 | 人生設計
参院選出馬も…谷にロンドン五輪“最後通告”(スポーツニッポン) - goo ニュース

我々が生きていく上で大切なもの、必要なものは「衣食住」である。
この「衣食住」は、稼げばよいというものではない。
「お金」を転がし、利殖し、金融化し、取引し、いわゆる「マネーゲーム」のようにして得たもので「衣食住」を営めばいいものではない。
「衣食住」は、「培う」ことによって成り立つ。

「培う事によって成り立つ衣食住」は、文化文明をもたらすが、その文化文明が「衣食住」を培うものではない。
ところが現代社会は、文化文明が「衣食住」を培うものだと思っている。
文化文明は単なる「衣食住を培う」ことの補助的役割しか持っていない。
「衣食住を培う」には、「衣食住を培う」ことに従事し、この「従事する」という事は「力を合わせ、助け合いして仲良くする」ことによって培われてゆく。

民主主義における男女同権は、それぞれの「性」が持つ特性を働かせることを意味する。
「同権意識」が、男女同権の権利とはならず、男性には男性としての役割を行使する事を持って異性に対しての同権であり、かつ女性が女性としての役割を行使する事を持ってして異性に対する同権である。それが男女同権である。

それなのに「母親らしさ、妻らしさ、主婦らしさ」などをなおざりにして、スポーツなどでメダルを取る事や宇宙飛行士などとか国会議員になる事とかいうのは、「阿呆と違う」。

国会議員になるような事は、母親業、妻業、主婦業をしっかり努めて夫を自分の代弁者のように育て上げて国会へ送り出してあげるのが、女性の務めとしての男女同権といえる。
今の国会議員などは、そうした「内助の功」ともいうべは男女同権者が「阿呆と違う」といった状態になっているから、政治がうまく機能していない。

阿呆と違う (1)

2010年05月07日 | 短歌に政治や社会
もんじゅ原子炉内のガス検知器、6度の警報 公表遅れ(朝日新聞) - goo ニュース

「電気を作る」ということばかりしているけれど、「使わないように、節約する」という事をなおざりにして、作る事ばかりしているのは阿呆と違う。

「深夜営業、ナイター、深夜放送」などや、自動販売機などの二十四時間販売など電気の使いっ放しにしておいて、「豊かに、楽しく、楽(快適、便利)」に過ごそうとするから、電気で苦労する。

いや、苦労するのは電気だけではない。
「水、ガス、石油、空気、穀物や野菜」というものまでにも、苦労しなければならなくなる。
それは「不平、不満、不服」というものを「我慢、忍耐」していく事に、我々の生き方の道が開けてくるものといえる。

そもそも・・・・

2010年05月07日 | 短歌に政治や社会
普天間移設修正案、米国防総省は冷ややか(読売新聞) - goo ニュース

「普天間」問題を考え、解決する上で、そもそも重要なのは、安全保障を軍事力に頼ろうとするところにある。
我々が「力を合わせ、助け合いして仲良くしていく」という事を「安全保障」とするならば、軍事的な「同盟関係」は必要ない。必要ないから、必然的に、他国の基地などが国内におかれる必要もない。

「日本国憲法 第九条」の真意は、この「力を合わせ、助け合いして仲良くしていく」という事で「戦争放棄できる」という意味が込められている。