我々人間というもの、人類というものは、「宴のあとの恐ろしさ」というものを知らない。気付かない。
いかに「ノーベル賞、文化勲章、五輪メダル、アカデミー賞」などを習得出来たりしても、この「宴のあとの恐ろしさ」の恐ろしさには無関心になっているのだから、「阿呆と違う」にもほどがある。
そしてせっせとまだ更に、「豊かに、楽しく、楽(快適、便利)」になるようにとか謳歌しようと懸命になっている。
生活において、食生活が危機に際しているのに、住生活や衣生活には関心がある。
食生活も、食べることには関心があっても、生産事には無関心。
いや「無関心」というよりも、生産に関わる事を「嫌う」。
いやはや全くの「阿呆と違う」という事となる。
いつも何かに「依りかかり、当てにして、甘えて」いながら、宴を貪っている。
そうしているうちに、「宴のあとの恐ろしさ」が襲いかかってきますよ。