★ 進み行く 一歩の内に 一歩引き
見詰める中に 誠の一歩が 2012/1/7
「政局より大局を」首相、野党に協議呼びかけ(読売新聞) - goo ニュース
かって「国民総背番号」制が持ち上がっていた。
この「国民総背番号」制は、当初は税、社会保障、防災の各分野で利用でとされていたが、「消費税増税」のためには、「政治家、官僚、企業の首脳」などとその家族などに対しては、「消費税額」を30パーセントくらいにさせ、一方の低所得者に対しては「据え置き」にすればよい。
これを、製品や商品を購入する場合、「国民総背番号カード」をレジで認識させていく。
ただし、他人のカードを使用する場合があるので、自分のカードには「暗証番号」を使用させるものとする。
今の首相や政治家は、庶民に厳しさを要求しているだけで、自分たちは厳しさから逃れようとしているだけのもの。
自分たちが先に厳しさを背負い、庶民は後回しにしてもらいたい。
慈悲の君 2012/1/6
逢いたい逢いたい あの君に
何時か逢いたい この願い
訪ね行くとも 姿なく
思おうほどに 消えていく
逢いたい君を 胸に持ち
我が身の胸に ありながら
見ざる聞かざる 君が故
訪ねることも あたわざる
夢にと追いし 君なれど
我が身を捨てて 目を閉じて
愛の心に 目覚めれば
目蓋に浮かぶ 映し身が
愛に目覚めた この時に
我欲の思い 滅びゆく
現れ来たる 慈悲の君
ようやく逢えて 永久なりし
身の内なれし 慈悲の君は
自分を良くすることで 蘇る
辛苦に耐え 悲しみに耐え
命の心を 歌いあげる
首都高、1兆円規模の改修へ 老朽化進み地震対策急ぐ(朝日新聞) - goo ニュース
こうやる事や--------------
JR山手線の新駅が約40年ぶりに建設されることになった。
羽田空港まで15分、いずれは名古屋まで40分で結ばれる東京・品川エリア。JRの車両基地跡地を利用する再開発により、政府の「国際戦略総合特区」として、国際的なビジネス街を目指す。
などという事は、万一の時は多大な「帰宅難民」が出る。
リニア新幹線などでも、長大なトンネルの中で停止してしまったら、どうなる。
「夢の未来都市」なども、出来っこない。
何故なら、弱者を過疎地に追いやるものでしかないからである。
マグロ1本5649万!史上最高値の購入者は…(読売新聞) - goo ニュース
このマグロを調理して貰って食べるのは、「政官界、企業の首脳、金持ち、芸能界やスポーツ選手などのスター」ぐらい。
一般庶民は、お呼びでない。震災地被災者などは、指をくわえて見ているべし。
新年早々、こんなんですね。政治からして、混乱が予想される。
安心して暮らせるのは、いつの日か……。
消費増税法案 首相「不成立なら解散」 首相経験者に伝える(産経新聞) - goo ニュース
我々が生きていく上では、必ず何らかの「行い」をする。
この「行い」には、行為としての行いと、言動としての行いがある。
こうした行いをしていくと、必ずに結果が現れる。
これは当然的で必然的な、我々が生きていく上で受け取らなければならない結果である。
こうして行いという「行為と言動」によって現れた結果は、そのままの状態を維持しない。
現れた「結果」に対して、我々はすぐに行動に出る。新たなる行為と言動を行う。そうすると、「結果」が現れた事に対して新たなる行いによって、すぐにこの結果への結果が現れる。
その「結果の結果」に対しても、「結果の結果の結果」が現れる。これが永遠に続く事になる。
こうした結果を招く本元は、我々の」心での思い」によって行う「行為と言動」によって引き起こされている。そしてこの「心の思い」によって引き起こされた「行為と言動」がそれなりの結果を出し、その結果に対する「心の思い」が、また「行為と言動」という行為を行う。そして「結果の結果」が現れ、これが永遠に続く。
こうした結果を招く「心の思い」によって行う「行為や言動」が、単なる「自分さえ良ければ他のものはどうなってもいい」というものならば、その結果がどうなるかは必然的に判るだろう。
対して、「自分の事はさて置き、他の人たちの喜びになる」ような「心の思い」を持った「行為や言動」ならば、人々と仲良くでき、助け合いし力を合わせつつ、良い社会を作り出していける。
それもただ単に一度だけのものの「結果」に留まらず、次から次絵と「心の思い」からの「行為と言動」を、そうなるように努めていくならば……。
初詣の親子、酒酔い運転の車にはねられ死亡(読売新聞) - goo ニュース
今日の「 箱根駅伝5区(小田原中継所~箱根・芦ノ湖23・4キロ=2日)――」には、多数のパトカーや白バイが伴走している。
という事は、こういう事に「交通違反、飲酒運転」などを取り締まるパトカーや白バイが割かれてしまっている事を意味する。
だから、このように痛ましい事故に見舞われる事は、むしろ「よかったね」と言って上げなければならないのかもしれない。
物事の「使い道」が判らないでいるのが、今日の姿。
それで「いい事、偉い事」をした気になっている。