2月2日付 産経新聞より
「保守の精神」が問われる自民党 拓殖大学大学院教授・遠藤浩一氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100202/stt1002020243001-n1.htm
勤務先(拓殖大学大学院地方政治行政研究科)で担当している科目の一つに「選挙」がある。実践的な研究に重きを置いていて、例えば、院生をいくつかのグループに分け、そのうえで模擬“候補者”および“選対”を設置する。政策の策定から、ポスター・ビラなどの器材作製、ITの活用、遊説スケジュールの組み立て、集会や街頭演説の設定、候補者の演説内容、さらには資金調達にいたるまで、選挙戦略を総合的にきめ細かく立案させ、相互に批評させたりしている。
≪「当選第一主義」が間違い≫
そのとき“候補者”および“選対”に求めるのは、(1)想定した選挙区(都道府県、市町村)の実情を正確に把握し、(2)理念的裏付けのある地に足のついた政策を立案して、(3)それを分かりやすく広報する戦術を検討し、(4)なるべく低コストで政治活動および選挙運動の予算を立て、(5)候補者と政策・選挙戦術との間にズレが生じないよう気をつけること、である。
中でも、5番目が特に重要だと強調している。テクニックは大事だが、それに溺(おぼ)れて候補者自身を見失うなということである。当選第一主義で有権者に諂(へつら)うだけの政策、自分が信じてもいないような主張を打ち出すなんぞはもってのほかである。洒落(しゃれ)たコピーをひねり出したり、カラフルなポスターをデザインするのもいいが、それが候補者の実体と懸け離れたものであったならば、早晩そのウソは見破られる。選挙の戦略・戦術は、候補者・政党自身の主張や魅力を最大限有権者にアピールするための手段でしかないのである。
谷垣禎一自民党総裁は、こうした“手段”については熱心らしく、「鳩山政権はH-FAKEだ」と巧(うま)いことを言っている。変転、はぐらかし、開き直り(H)、普天間飛行場移設問題(F)、天下り(A)、虚偽献金(K)、経済(エコノミー)政策(E)の頭文字を組み合わせたものだという。国民に分かりやすくアピールする上で、こうした造語や語呂合わせもいいだろう。
≪敵失追及できない執行部≫
しかし、そんなことで自民党は再生できるのか。鳩山由紀夫政権の迷走、小沢一郎民主党幹事長の政治資金疑惑および開き直り、民主党の全体主義的体質の露呈と、「敵失」がボロボロ出ているのに、自民党に対する支持は回復の兆しが見えない。
このたびの党大会で自民党は保守色を前面に出したと伝えられる。しかしそれが戦後体制擁護の“保守本流”にとどまるものなのか、それとも国柄を見据えた本格的な保守の再生なのかは不明である。美人市議にアピールを読ませてお茶を濁すなどというのは、それこそFAKE(まやかし)ではないか。
昨年谷垣総裁自身を議長として発足した「政権構想会議」では、何を血迷ったか、「保守」は「使い古された言葉」で支持者拡大の障害になるとして、別の言葉に変更することが検討されたという。そのとき議長代理の伊吹文明氏は「(昭和30年の保守合同は)反社会主義や反共産主義の政党が一緒になっただけ」で、「保守主義の政党が一緒になったわけではなかった」と解説してみせたものだが(本紙昨年11月28日付)、確かに理念・思想的紐帯(ちゅうたい)の弱い自民党を保守主義政党とは呼び難い。しかし、イデオロギーとしての保守主義自体、もともと進歩主義や革命思想への後発的反応として生まれたものであり、その点で、保守主義も保守合同も後発的発生という成立の経緯は変わらない。
日本のような歴史的国家にとって、保守とは生存そのものである。改革は保守するための手段であり、その歴史は保守するための改革の繰り返しだった。自民党は「保守主義政党」ではなかったかもしれないが、結党時は疑いなく「保守政党」だった。
≪外国人参政権や夫婦別姓≫
しかし理念的鍛錬を怠ったために、保守すべきものと改革すべきものについての判断が場当たり的になり、近年は特に迷走が目立った。そこを民主党に付け込まれ、政権を奪われた。
その民主党が意欲を見せる外国人参政権も夫婦別姓も「保守」への挑戦にほかならないが、自民党内にもこれを迎える空気がある。党大会では「拙速な法案成立に断固反対する」(石破茂政調会長)と表明したものの、「拙速な」という一言を敢(あ)えて付けるところに、自民党の困難が染み出ている。
このところ、浮足だった何人かが離党しているが、こんなことは何でもない。真の危機は別のところにある。「保守」という言葉に問題があるのではないし、ましてや古くなってもいない。民主党の社会主義的政策や小沢幹事長による専制的な運営を前にして、保守の再生は改めて今日的な課題として提起されている。言葉を弄(もてあそ)んで危機から脱却できるわけではない。「保守の精神」を喪失した自民党の存在理由が問われているのである。
本格的な保守再建に取り組まない限り、自民党は再生できないだろう。(えんどう こういち)
「保守の精神」が問われる自民党 拓殖大学大学院教授・遠藤浩一氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100202/stt1002020243001-n1.htm
勤務先(拓殖大学大学院地方政治行政研究科)で担当している科目の一つに「選挙」がある。実践的な研究に重きを置いていて、例えば、院生をいくつかのグループに分け、そのうえで模擬“候補者”および“選対”を設置する。政策の策定から、ポスター・ビラなどの器材作製、ITの活用、遊説スケジュールの組み立て、集会や街頭演説の設定、候補者の演説内容、さらには資金調達にいたるまで、選挙戦略を総合的にきめ細かく立案させ、相互に批評させたりしている。
≪「当選第一主義」が間違い≫
そのとき“候補者”および“選対”に求めるのは、(1)想定した選挙区(都道府県、市町村)の実情を正確に把握し、(2)理念的裏付けのある地に足のついた政策を立案して、(3)それを分かりやすく広報する戦術を検討し、(4)なるべく低コストで政治活動および選挙運動の予算を立て、(5)候補者と政策・選挙戦術との間にズレが生じないよう気をつけること、である。
中でも、5番目が特に重要だと強調している。テクニックは大事だが、それに溺(おぼ)れて候補者自身を見失うなということである。当選第一主義で有権者に諂(へつら)うだけの政策、自分が信じてもいないような主張を打ち出すなんぞはもってのほかである。洒落(しゃれ)たコピーをひねり出したり、カラフルなポスターをデザインするのもいいが、それが候補者の実体と懸け離れたものであったならば、早晩そのウソは見破られる。選挙の戦略・戦術は、候補者・政党自身の主張や魅力を最大限有権者にアピールするための手段でしかないのである。
谷垣禎一自民党総裁は、こうした“手段”については熱心らしく、「鳩山政権はH-FAKEだ」と巧(うま)いことを言っている。変転、はぐらかし、開き直り(H)、普天間飛行場移設問題(F)、天下り(A)、虚偽献金(K)、経済(エコノミー)政策(E)の頭文字を組み合わせたものだという。国民に分かりやすくアピールする上で、こうした造語や語呂合わせもいいだろう。
≪敵失追及できない執行部≫
しかし、そんなことで自民党は再生できるのか。鳩山由紀夫政権の迷走、小沢一郎民主党幹事長の政治資金疑惑および開き直り、民主党の全体主義的体質の露呈と、「敵失」がボロボロ出ているのに、自民党に対する支持は回復の兆しが見えない。
このたびの党大会で自民党は保守色を前面に出したと伝えられる。しかしそれが戦後体制擁護の“保守本流”にとどまるものなのか、それとも国柄を見据えた本格的な保守の再生なのかは不明である。美人市議にアピールを読ませてお茶を濁すなどというのは、それこそFAKE(まやかし)ではないか。
昨年谷垣総裁自身を議長として発足した「政権構想会議」では、何を血迷ったか、「保守」は「使い古された言葉」で支持者拡大の障害になるとして、別の言葉に変更することが検討されたという。そのとき議長代理の伊吹文明氏は「(昭和30年の保守合同は)反社会主義や反共産主義の政党が一緒になっただけ」で、「保守主義の政党が一緒になったわけではなかった」と解説してみせたものだが(本紙昨年11月28日付)、確かに理念・思想的紐帯(ちゅうたい)の弱い自民党を保守主義政党とは呼び難い。しかし、イデオロギーとしての保守主義自体、もともと進歩主義や革命思想への後発的反応として生まれたものであり、その点で、保守主義も保守合同も後発的発生という成立の経緯は変わらない。
日本のような歴史的国家にとって、保守とは生存そのものである。改革は保守するための手段であり、その歴史は保守するための改革の繰り返しだった。自民党は「保守主義政党」ではなかったかもしれないが、結党時は疑いなく「保守政党」だった。
≪外国人参政権や夫婦別姓≫
しかし理念的鍛錬を怠ったために、保守すべきものと改革すべきものについての判断が場当たり的になり、近年は特に迷走が目立った。そこを民主党に付け込まれ、政権を奪われた。
その民主党が意欲を見せる外国人参政権も夫婦別姓も「保守」への挑戦にほかならないが、自民党内にもこれを迎える空気がある。党大会では「拙速な法案成立に断固反対する」(石破茂政調会長)と表明したものの、「拙速な」という一言を敢(あ)えて付けるところに、自民党の困難が染み出ている。
このところ、浮足だった何人かが離党しているが、こんなことは何でもない。真の危機は別のところにある。「保守」という言葉に問題があるのではないし、ましてや古くなってもいない。民主党の社会主義的政策や小沢幹事長による専制的な運営を前にして、保守の再生は改めて今日的な課題として提起されている。言葉を弄(もてあそ)んで危機から脱却できるわけではない。「保守の精神」を喪失した自民党の存在理由が問われているのである。
本格的な保守再建に取り組まない限り、自民党は再生できないだろう。(えんどう こういち)