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ニッポンのゆる~い日常

 小沢氏依存はドーピングと同じ

2010-02-16 19:33:30 | 正論より
2月16日付    産経新聞より


 小沢氏依存はドーピングと同じ    東洋学園大学准教授・櫻田淳氏


http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100216/stt1002160301000-n1.htm


 1988(昭和63)年夏季オリンピック・ソウル大会での一つの衝撃は、陸上男子100メートル競走におけるベン・ジョンソンの圧勝とその後の顛末(てんまつ)であった。ジョンソンは、当時は人気、実力ともに世界随一であったカール・ルイスを世界新記録の成績で下したけれども、競技後にドーピング(禁止薬物使用)が発覚し、金メダルと記録を剥奪(はくだつ)された。

 ジョンソンは、一転して「汚れた英雄」として記憶されるようになった。


 ≪止められない「薬物」≫

 「政権交代」以降、鳩山由紀夫総理と小沢一郎幹事長の「政治とカネ」に絡む醜聞への対応に揺れた民主党の様子を前にして、筆者は、このジョンソンの「一瞬の栄光」と「転落」の軌跡を想い起こす。というのも、筆者は、小沢一郎氏という政治家は、民主党にとっては「強烈なドーピング」の類であったのではないかと考えているからである。小沢一郎幹事長は、田中角栄氏から、竹下登氏、金丸信氏へと連なる「利益誘導」依存の政治スタイルを民主党に持ち込んだ。


 しかしながら、そもそも、鳩山総理や菅直人副総理兼財務大臣を中心として結成された民主党は、「1955(昭和30)年体制」崩壊前後の政治状況を反映して、そうした田中角栄流の「利益誘導」依存の政治スタイルを乗り越えることを目指していたはずである。民主党は、小沢幹事長が率いた自由党との合併を通じて、その「利益誘導」依存の論理をも取り入れた。それは、確かに、民主党の党勢の底上げを図ることには、貢献したのであろう。


 然るに、現下の民主党が総じて小沢擁護一色になっているのは、「昨年の衆議院議員選挙での勝利は、小沢氏の功績であるし、小沢氏の手腕がなければ、党内結束の維持も参議院議員選挙への対応も覚束(おぼつか)ない」という想定が、民主党内に自明のものとして受け容(い)れられているからであろう。


 それは、「ドーピングを続けなければ試合に勝てない」と思い込む故に、薬物使用を止められないアスリートの姿を髣髴(ほうふつ)させる。事実、小沢幹事長の法律上、政治上、道義上の責任はともかくとして、民主党内に「事の理非」を問う雰囲気は、希薄なままである。結果として、民主党は、昔日の自民党に比べても、「政治とカネ」に絡む醜聞に際して、「自浄能力」に乏しい印象を世に与えるに至っている。

 民主党が「小沢ドーピング」に走った代償は、誠に大きいと断じざるを得ない。



 ≪問われる政党の存在意義≫

 加えて、現下の紛糾は、政党の存在意義をも問い直している。たとえば、「55年体制」の下では、自民党政権下で「政治とカネ」に絡む醜聞が表沙汰(ざた)になれば、それを追及するのは、社会党の役割であった。


 ロッキード事件の際、当時は「社会党のホープ」と呼ばれた横路孝弘現衆議院議長が、疑惑追及の急先鋒(せんぽう)として名を馳(は)せていたのは、その象徴的な風景であろう。然るに、目下、その後嗣である民主党内旧社会党議員や社会民主党議員は、何故(なぜ)、鳩山総理や小沢幹事長に絡む同種の紛糾に際して、峻厳(しゅんげん)な追及の姿勢を示さないのであろうか。


 旧社会党は、村山富市内閣発足時に「自衛隊合憲・日米安保体制堅持」に踏み切り、政党の看板の一つを捨てたけれども、彼らは、「政治とカネ」の面でも看板を捨て去るつもりであろうか。現下の紛糾は、そうしたことも浮かび上がらせているのである。

 「皆、負けて反省はするんですけど、勝って反省しないんですよ。そこに皆さんの落とし穴があったんじゃないかと思います」

 これは、先月中旬、野村克也前監督が自民党大会で行った来賓挨拶(あいさつ)の一節である。



≪昨年選挙の勝因を考えよ≫

 昨年の衆議院議員選挙における自民党の下野の理由は、2005年の「郵政選挙」における大勝の意味を適切に検証しなかったことにある。「郵政選挙」以後、特に小泉純一郎内閣退陣以降、自民党は、小泉元総理が体現したような「改革」への期待を反故(ほご)にした結果、小泉元総理が「宝の山」と呼んだ無党派層の支持の離反と党勢の失墜を招いた。


 そして、この野村前監督の指摘は、現在では民主党こそが真摯(しんし)に受け止めるべきものであろう。前に触れたように、民主党議員の大勢は、「昨年の衆議院選挙は、小沢一郎が勝たせた」と信じているのかもしれない。しかし、筆者は、その勝因の認識は率直に誤っていると断じる。昨年の衆議院議員選挙における「政権交代」は、第一義としては、自民党の「自滅」の結果であったにせよ、民主党の掲げる政策や小沢幹事長の政治スタイルが積極的に支持された故のものではない。

 故に、民主党が、「小沢ドーピング」から手を切れない限りは、その末路は、推して知るべしであろう。それは、日本の政治全体にとって、何と不幸なことであろうか。(さくらだ じゅん)





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「陸奥宗光よ、ふたたび」を思う

2010-02-16 18:30:12 | 正論より
2月15日付     産経新聞より


「陸奥宗光よ、ふたたび」を思う  拓殖大学学長・渡辺利夫氏


 
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100215/plc1002150302000-n1.htm


 一国の政治指導者に求められる資質にはさまざまなものがあろうが、最も重要な条件は国家的危機を機敏に予見しこれに迅速に対処する能力の如何(いかん)である。平時にあってはきたるべき危機を想像し、危機が現実のものとなった場合にはピンポイントの判断に誤りなきを期して恒常的な知的錬磨を怠らざる士たること、これである。


 ≪三国干渉の苦汁をのむ≫

 開国・維新から日清・日露戦争にいたる緊迫の東アジア地政学の中に身をおいたあまた指導者のうち、位を極めたものはすべてがこの資質において傑出した人物であった。象徴的な政治家が陸奥宗光である。近代日本の最初の本格的な対外戦争が日清戦争であった。この戦争に勝利して下関の春帆楼で日清講和会議が開かれ、一進一退の攻防の末に条約調印に辿(たど)り着いたのが明治28年4月17日、明治天皇が広島の大本営で条約を批准したのが同月20日であった。


 しかし講和条約によって清国から割譲を受けた遼東半島の清国還付を強圧する露仏独の三国干渉が始まったのは、そのわずか3日後の同月23日のことであった。日清戦争で国力を蕩尽(とうじん)し、いまだ澎湖(ほうこ)諸島への侵攻の最中に加えられた三国干渉は首脳部を徹底的に困惑させた。

 この時点で陸奥は末期の肺結核の業病に苦しみ、兵庫県の舞子で伏臥していた。訪れた伊藤博文との協議のうえで陸奥が三国干渉の屈辱に甘んじることを決したのが5月10日、その日のうちに明治天皇による遼東半島還付の宣詔。三国干渉の開始から宣詔までの期間はわずか18日である。


 東学党の乱に始まり三国干渉という煮え湯を飲まされるまでの、国家の存亡を賭した外交過程を凜(りん)たる漢語調で記した名著が『蹇蹇(けんけん)録』である。進むべしと判断した時には全力をもって相手に挑み、志ならず後退を余儀なくされた時には潔く身を引いて次の好機に向け万全の態勢を整える。政治家としての資質の在りかを知るのにこれほど優れた著作もあるまい。



 ≪沖縄の心を弄んだ現政権≫

 「畢竟(ひっきよう)我にありてはその進むを得べき地に進みその止まらざるを得ざる所に止まりたるものなり。余は当時何人を以(もっ)てこの局に当らしむるもまた決して他策なかりしを信ぜんと欲す」

 連戦連勝の報に湧(わ)いた国論は収まらず、在野各党は激烈な弾劾上奏(じょうそう)案を提出して政府を攻め立てた。しかし三国干渉は所詮(しょせん)は軍事力の相違であることを国民にめざめさせ、「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の時代を経て日露戦争へと日本を向かわしめたのも往時の政治指導者の決断であった。三国干渉受諾に対する国論の厳しい批判に押されて指導者が瞬時の判断を狂わせたならば、ロシア、ましてやこれに仏独が加わった連合艦隊に日本が抗することができず、亡国の淵(ふち)に立たされた蓋然(がいぜん)性は高い。

 このようなことを私が記しているのも、現在の政治指導者が日本外交の基軸である日米同盟が日に日に劣化しているのを知りながら、なんと5カ月にもわたり確たる方針を下すことなく迷走をつづけているからである。「進むを得べき地」がどうにも定まらないのである。


 中国による東シナ海の制海権掌握、北朝鮮による核ミサイル保有の危険な可能性が日本の周辺にひたひたと迫っている。「進むを得べき地」は思考をどうめぐらせようと世界最大の覇権国家米国との同盟以外にはあり得ない。日米同盟とは日米の安全保障のための条約であるばかりではない。台湾や朝鮮半島の有事に備えるための地域公共財でもある。日米同盟なき東アジアはいずれ中国の地域覇権システムの中に身をおくことを余儀なくされよう。


 沖縄の世論がきわめてデリケートであることを私が知らないはずもない。沖縄戦の苛烈(かれつ)、在日米軍の集中立地によって沖縄住民が心ならずも強いられている物心両面の負担、これは大戦後日本人のトラウマである。沖縄県民のセンチメントを易々(やすやす)と弄(もてあそ)んできたのは日本の現政権である。その帰結が名護市長選における米普天間飛行場基地の県外・国外移転派の勝利となってあらわれたのであろう。



 ≪意思決定のポイントを逃す≫

 日米合意の基本が沖縄県知事、名護市長によって容認され、長年の懸案であった東アジアにおける抑止力維持と沖縄の負担軽減をバランスさせ、両々を手にすることが可能になったのは、民主党が圧勝して民意をみずからに引き寄せ新政権を発足させたまさにその時点であった。

 こここそがピンポイントの判断、迅速な意思決定を要するわずかな時間であった。この時機を逸したことはまことに日本の痛恨事であった。


 普天間基地の新たな移転先がそう容易にみつかるはずもない。沖縄はおそらく今後しばらくは現状に甘んじざるを得まい。日米同盟は存続するにしても「名存実亡」のものとなりかねない。懸案解決の「逸機」のコストは日本にとって耐え難く重い。「陸奥宗光よ、ふたたび」の思いを胸に無念の筆を擱(お)く。(わたなべ としお)






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小林議員側「裏金」疑惑 組織的癒着にメス

2010-02-16 18:29:36 | 民主党
小林議員側「裏金」疑惑 組織的癒着にメス 「火のないところに煙は立たない」(産経新聞) - goo ニュース


小林議員側「裏金」疑惑 組織的癒着にメス 「火のないところに煙は立たない」


長年指摘され続けた教職員組合と政治家の癒着構造に捜査のメスが入った。裏金疑惑をめぐる札幌地検の北教組本部への家宅捜索。選挙のたびに組合員である教職員を動員し、民主党議員を組織的に支援してきた北教組は「人」「物」だけでなく「カネ」も提供していたのか。提供先は小林氏側だけなのか。札幌地検の本格解明が始まった。

 札幌市中央区の北教組本部が入居する北海道教育会館には15日午後6時ごろ、札幌地検の係官20人以上が捜索に入った。現場は約40人の報道陣で騒然となり、係官が「差し押さえのじゃまになるので出ていって」と声を荒らげる一幕も。


 関係者によると、北教組が小林氏の支援を始めたのは、小林氏が比例復活して初当選を果たした平成15年の衆院選。各選挙区を担当する労組を決めた際、激戦区の5区には組織力がある北教組に決まり、それ以降、小林氏陣営の選対本部には北教組幹部が入って選挙を仕切ってきたという。


 組合員である教員にノルマを課し、組織的な選挙活動を展開する-。こうした活動が、北教組では半ば公然と続けられてきた。


 17年9月の衆院選の前には「指令書」という文書を全分会(地域や職域の下部組織)に配布。1区の横路孝弘氏、2区の三井辨雄(わきお)氏、3区の荒井聡氏、4区の鉢呂吉雄氏、そして5区の小林氏の計5人の選挙を応援することを明示した上で、候補者ごとに計5人の教員をリストアップし、選挙戦の専従担当者に任命。さらに組合員に対しては集会参加やチラシ配布、電話作戦などの動員行動を指示し、1人につき5人の支援者獲得を目指すよう呼びかけた。


 こうした組織的な政治活動に対し、自民党議員からは「教員の政治的中立性を損なう行為で、勤務時間中の選挙活動となれば、職務専念義務違反になる恐れがある」と問題視する声も上がっていた。


 地元政界関係者は「他の議員と比べても、小林氏は自身で資金集めをしていなかった。選挙は北教組の丸抱え。北教組から違法な形で資金が渡っていたとすれば、やはりそうだったのかという気持ちだ」と話す。


 北教組の小関顕太郎書記長(54)は産経新聞の取材に組織的な裏金づくりや小林氏側への資金提供を否定する一方、「火のないところに煙は立たないということもある」と述べ、過去にさかのぼって内部調査を実施する意向を示した。





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