4月27日付 産経新聞【正論】より
すべてが悪とは限らない「密約」 学習院大学教授・井上寿一氏
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100427/plc1004270252003-n1.htm
先月、外務省の「密約」問題に関する有識者委員会が調査報告書を公表した。今月、東京地裁が沖縄返還をめぐる密約文書の開示を命令した。首相が自ら定めた普天間基地問題の「決着」の期限が来月末に迫っている。6月には日米安保条約の改定の承認から50年目を迎える。
以下では戦後の日米安全保障関係を振り返りながら、このような状況のなかで、あらためて今、何が問題なのか、これからどうすべきかを考えてみたい。
≪二重の非対称性の矛盾≫
戦後の日米安保関係は、二重の非対称性を特徴としている。一つは敗戦国と戦勝国の関係である。もう一つはアメリカの核兵器が「唯一の被爆国」日本の安全を保障しているという関係である。戦後日米関係の諸問題は、この二重の非対称性に起因している。
第一の非対称性は旧安保条約が表している。基地の自由使用権を持つアメリカに日本防衛の義務がなかったからである。片務的な条約の改正は当然だった。
ただし旧安保条約の締結に際して、つぎのような議論が外務省内にあったことは想起されてよい。「平和憲法」を持つ日本の安全保障は国連に委ねる。国連軍が日本を危機から救出するまでにはタイムラグがある。自力で軍事的な対応ができない日本は、国連軍の介入までの間、対米基地貸与協定としての安保条約によって、アメリカが守る。
要するに国連安保のサブシステムとして日米安保条約を位置づけようとしたのである。
≪「暗黙の合意」で事態打開≫
ところが実際には国連安保が機能することはなかった。片務的な日米安保条約はそのままだった。
日米安保条約の片務性は50年前に是正された。1960年の安保改定によって米国の日本防衛義務が明文化されたからである。しかし二重の非対称性は克服できなかった。不平等な関係を平等な関係に装おうとすれば、無理が生じる。その無理を糊塗(こと)したのが密約である。有識者委員会は、安保改定時に、米軍の自由出撃に関する密約と核持ち込みに関する暗黙の合意があったと認定した。
非対称性を克服することなく、佐藤(栄作)首相が非核三原則を掲げ、「核抜き・本土並み」の沖縄返還をめざしたことは、日米の安保関係を複雑なものにした。有識者委員会は沖縄への核再持ち込みに関する合意議事録を発見し、返還時の原状回復費の肩代わりに関する広義の密約があったと報告している。
これらの密約に関連して、外務省の元幹部の証言によれば、いくつかの重要文書が破棄されたという。有識者委員会も調査が必要との結論を出した。密約問題は終わっていない。
以上にみたことを踏まえて、何が問題なのか、どうすべきかを三点にまとめる。
第一に、密約は必要な場合もあり、すべてが悪とは限らない。たとえばキューバミサイル危機(1962年)の際の米ソ密約が核戦争の危機から世界を救った例もあるからである。
それでは日米密約はどうだったか。密約を正当化できるほどの目的があったとは思えない。日米密約は「ちゃちでいじましく、みみっちい」ものだった(石井修『ゼロからわかる核密約』)。
≪重層的な安保システムも≫
第二に、国益にかかわる現在進行形の情報であれば、非開示でかまわない。たとえば北方領土問題に関する情報は、50年以上前のものであっても開示すべきではないだろう。欧米の情報開示の30年ルールにも例外があることはよく知られている。
日米密約の場合の問題は、日本側関係者の勝手な判断で文書が破棄されたことにある。密約は止(や)むに止まれぬ事情によって結んだ。後世の人は必ず理解してくれるだろう。そういう意識が当時の関係者にあれば、文書を破棄することなどなかったはずだ。
第三に、二重の非対称性の克服をめざして、重層的な安全保障システムを構築すべきである。日米の二国間関係のレベルで考えている限り、非対称性の克服は困難だろう。この点に関して、旧安保条約締結の際の先にみた議論が示唆的である。
日米安保条約は、その第一条に「国際の平和及び安全を維持する国際連合……を強化することに努力する」とあるように、国連安保のサブシステムである。国連安保と日米安保の中間に、地域安保協力の枠組みを位置づける。このような国連安保-地域安保-日米安保の重層的な安全保障システムが確立する時、二重の非対称性の問題は問題ではなくなる。
5月末の普天間基地問題の「決着」に向けて、何が起きるかわからない状況になっている。何が起きても、日米安保条約の重要性に変わりはない。
そうである以上、安保条約の改定から50年を経た日米関係は、重層的な安全保障システムの確立のために、新たな協力関係を築いていかなくてはならない。(いのうえ としかず)