度肝を抜いた米軍の支援 日本政府の不作為を問う
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110403/dst11040303510005-n1.htm
東日本大震災で、宮城県に隣接した福島県の母方の祖父の故郷が町ごと津波にのまれた。文部省唱歌「故郷」に出てくるような、日本の原風景を残した、人も風景も美しい町だった。他にも多くの町が甚大な被害にあっている。国外にいても自分に何ができるかを考えながら、心の底から一日も早い復旧、復興を祈り続けたい。
●プロの仕事
こうした中、何度でも強調したいのは、自衛隊や消防、警察など日本のプロフェッショナルの奮闘とともに、米軍の物心にわたる全面支援の存在だ。
米軍準機関紙「星条旗新聞」によると、空軍第320特殊戦術飛行中隊は、仙台空港復旧のためパラシュート降下という度肝を抜く作戦を敢行した。その後、自衛隊とともに海兵隊が重機を使い、3月20日には「仙台空港の約80%を復旧させた」(コゼニスキー海兵隊大佐)というから、実戦を経験した部隊はやることが違う。
陸軍のグリーンベレーとともに米軍最強ともいわれる沖縄県キャンプ・ハンセン(名護市など)の第31海兵遠征部隊も救援のため被災地にいち早く乗り込んだ。洋上の強襲揚陸艦「エセックス」から宮城県気仙沼港に上陸し、離島の大島に物資を搬入して電気復旧工事まで行っている。
●自治体は反対
特に注目したいのは、第320特殊戦術飛行中隊だ。
同中隊は今回の大震災が起きる約1カ月前の2月16日、沖縄県の嘉手納基地でパラシュート降下訓練を行い、嘉手納町議会が抗議決議を全会一致で可決した。日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は3月2日付電子版で、「パラシュート降下訓練はアフガニスタンやイラクでの特殊作戦に直結していることが判明した」と伝えた。
また、イラクでの米空軍の活動を紹介し、「日本での低空飛行訓練も、こうした『日本防衛』とは無縁な軍事作戦のために行われているとみられる」と結論付けていた。飛行中隊が訓練の成果を発揮し、仙台空港の復旧にいち早く着手したのは、そのわずか10日あまり後だった。「日本防衛」に無縁どころか、「感謝してもしきれない」(児童養護施設の職員)ほどの作戦を展開中なのだ。
沖縄県内では過去、米兵による凶悪犯罪やヘリ墜落などの重大事故が起き、県民の不信と反発を買っているのも事実だ。だが、その一方で、今回の支援活動のように命がけで被災民を救助し、インフラ復旧に全力を傾け、それを心から感謝する人たちも数多くいる。
米軍の支援は、食料など物資調達だけにとどまらない。
福島第1原発事故で、米北方軍は、核や生物、化学兵器の専門家9人をウィラード太平洋軍司令官の補佐として日本に特派。放射能被害管理を専門とする米軍155人の追加派遣を決定した。
●ためらう日本政府
日本政府はなぜ、原発事故処理のノウハウを持つ米国にもっと早く協力を仰がなかったのか。まさかとは思うが、メンツの問題だというのなら言語道断である。
日米首脳は地震発生後、計3回電話会談しているが、腑(ふ)に落ちないのが、3月16日の2回目の電話会談だ。発表内容が外務省とホワイトハウスで微妙に違うのだ。
原発に関し日本側は、オバマ大統領が「さらなる原子力の専門家の派遣」に言及したと発表しただけなのに対し、米側は「(大統領が)核融合や原発の被害管理に通じた米軍の特殊専門部隊の派遣を含め、追加支援の用意があると伝えた」と詳細に発表していた。
この発言は、米国が有効な手を打てないでいる日本政府に代わって原発の被害管理を行うことを示唆したとも受け取れる。行間から伝わってくるのは、原子炉の冷却が思うように進まず、連鎖事故の誘発に手をこまねく日本政府へのいらだちだった。
事実、米政府高官は翌日、「オバマ大統領は日本政府が原発事故の深刻さに気づいていると確信した」と語っている。だが、いくらオフレコとはいえ、「日本は深刻さが分かっていない」などと被災国を非難できないだろう。この発言自体、日本に不信感を抱いていることの裏返しといえる。
「われわれには監視から除染まですべて行う能力がある」。ウィラード司令官が3月17日の会見でこう語ってから2週間たってようやく米軍の本格支援の受け入れを決めた。防災服を新調したり、危機管理に無知な素人を何人官邸に集めても国民は守れない。
1979年3月28日のスリーマイル島原発事故を経験し、2001年9月11日の米中枢同時テロ以降、テロリストによる原発攻撃対策を練ってきた米国。彼らの協力をためらってきた合理的な理由を日本政府に問いたい。(ささき るい)
2011.4.3 03:51
仙台空港 復興の陰に在日米軍の尽力
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110325/dst11032521520105-n1.htm
津波が押し寄せ、軽飛行機が浮かんだ仙台空港。早期の再開は困難と思われたが、被災5日後の16日には早速メーン滑走路を使って空輸を開始、被災地への物資輸送の拠点として大いに役立っている。早期再開の陰には、がれきの撤去までした在日米軍の協力があった。
空輸が再開した仙台空港に輸送機が到着した。運ばれてきたのは、水や食料など被災地への救援物資。降ろされた物資を、日本の自衛隊の隊員らとともに在日米軍の兵士らが自衛隊のトラックに積み込む。トラックが向かう先は、被害の大きい太平洋沿岸の避難所。運搬する自衛隊員は「これまで気仙沼や石巻を回った」と話す。
在日米軍は震災直後から、仙台空港を救援物資の運搬拠点として利用しようとしてきた。しかし、空港はがれきだらけ。国土交通省東京航空局仙台空港事務所の大坪守所長が「空港全域が水没し、復旧のめどが全く立っていない」という状態だ。
このため、在日米軍は横田基地(東京)や嘉手納基地(沖縄)などから214人の兵士を集め、自衛隊員らとともに、滑走路のがれき撤去に取りかかった。フォークリフトなどの重機も持ち込み、津波で流されてきた乗用車を撤去。必死の作業でメーン滑走路を確保し、16日から離着陸が可能になった。
まだ民間機の離着陸はできないが、現在、米国内や、国内外のボランティア団体などから届いた物資を1日平均11機の輸送機で運んでいる。
在日米軍はシャベルを使って手作業で泥を空港建物から取り除く作業にも従事。今後、津波で1階部分が完全に水没し、電気や通信設備のほとんどが使用不能になったターミナルビルの復旧にも携わる予定だ。
日米共同調整所仙台空港現地調整所長の笠松誠1等陸佐は「米軍が早い時期に空港に重機を持ち込んで整備してくれたことで、救援物資の拠点として活用できるようになった。感謝している」。米海兵隊のクレイグ・コゼニスキー大佐は「復旧のため、日米合同で作業を続けたい」としている。
2011.3.25 21:50
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110403/dst11040303510005-n1.htm
東日本大震災で、宮城県に隣接した福島県の母方の祖父の故郷が町ごと津波にのまれた。文部省唱歌「故郷」に出てくるような、日本の原風景を残した、人も風景も美しい町だった。他にも多くの町が甚大な被害にあっている。国外にいても自分に何ができるかを考えながら、心の底から一日も早い復旧、復興を祈り続けたい。
●プロの仕事
こうした中、何度でも強調したいのは、自衛隊や消防、警察など日本のプロフェッショナルの奮闘とともに、米軍の物心にわたる全面支援の存在だ。
米軍準機関紙「星条旗新聞」によると、空軍第320特殊戦術飛行中隊は、仙台空港復旧のためパラシュート降下という度肝を抜く作戦を敢行した。その後、自衛隊とともに海兵隊が重機を使い、3月20日には「仙台空港の約80%を復旧させた」(コゼニスキー海兵隊大佐)というから、実戦を経験した部隊はやることが違う。
陸軍のグリーンベレーとともに米軍最強ともいわれる沖縄県キャンプ・ハンセン(名護市など)の第31海兵遠征部隊も救援のため被災地にいち早く乗り込んだ。洋上の強襲揚陸艦「エセックス」から宮城県気仙沼港に上陸し、離島の大島に物資を搬入して電気復旧工事まで行っている。
●自治体は反対
特に注目したいのは、第320特殊戦術飛行中隊だ。
同中隊は今回の大震災が起きる約1カ月前の2月16日、沖縄県の嘉手納基地でパラシュート降下訓練を行い、嘉手納町議会が抗議決議を全会一致で可決した。日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は3月2日付電子版で、「パラシュート降下訓練はアフガニスタンやイラクでの特殊作戦に直結していることが判明した」と伝えた。
また、イラクでの米空軍の活動を紹介し、「日本での低空飛行訓練も、こうした『日本防衛』とは無縁な軍事作戦のために行われているとみられる」と結論付けていた。飛行中隊が訓練の成果を発揮し、仙台空港の復旧にいち早く着手したのは、そのわずか10日あまり後だった。「日本防衛」に無縁どころか、「感謝してもしきれない」(児童養護施設の職員)ほどの作戦を展開中なのだ。
沖縄県内では過去、米兵による凶悪犯罪やヘリ墜落などの重大事故が起き、県民の不信と反発を買っているのも事実だ。だが、その一方で、今回の支援活動のように命がけで被災民を救助し、インフラ復旧に全力を傾け、それを心から感謝する人たちも数多くいる。
米軍の支援は、食料など物資調達だけにとどまらない。
福島第1原発事故で、米北方軍は、核や生物、化学兵器の専門家9人をウィラード太平洋軍司令官の補佐として日本に特派。放射能被害管理を専門とする米軍155人の追加派遣を決定した。
●ためらう日本政府
日本政府はなぜ、原発事故処理のノウハウを持つ米国にもっと早く協力を仰がなかったのか。まさかとは思うが、メンツの問題だというのなら言語道断である。
日米首脳は地震発生後、計3回電話会談しているが、腑(ふ)に落ちないのが、3月16日の2回目の電話会談だ。発表内容が外務省とホワイトハウスで微妙に違うのだ。
原発に関し日本側は、オバマ大統領が「さらなる原子力の専門家の派遣」に言及したと発表しただけなのに対し、米側は「(大統領が)核融合や原発の被害管理に通じた米軍の特殊専門部隊の派遣を含め、追加支援の用意があると伝えた」と詳細に発表していた。
この発言は、米国が有効な手を打てないでいる日本政府に代わって原発の被害管理を行うことを示唆したとも受け取れる。行間から伝わってくるのは、原子炉の冷却が思うように進まず、連鎖事故の誘発に手をこまねく日本政府へのいらだちだった。
事実、米政府高官は翌日、「オバマ大統領は日本政府が原発事故の深刻さに気づいていると確信した」と語っている。だが、いくらオフレコとはいえ、「日本は深刻さが分かっていない」などと被災国を非難できないだろう。この発言自体、日本に不信感を抱いていることの裏返しといえる。
「われわれには監視から除染まですべて行う能力がある」。ウィラード司令官が3月17日の会見でこう語ってから2週間たってようやく米軍の本格支援の受け入れを決めた。防災服を新調したり、危機管理に無知な素人を何人官邸に集めても国民は守れない。
1979年3月28日のスリーマイル島原発事故を経験し、2001年9月11日の米中枢同時テロ以降、テロリストによる原発攻撃対策を練ってきた米国。彼らの協力をためらってきた合理的な理由を日本政府に問いたい。(ささき るい)
2011.4.3 03:51
仙台空港 復興の陰に在日米軍の尽力
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110325/dst11032521520105-n1.htm
津波が押し寄せ、軽飛行機が浮かんだ仙台空港。早期の再開は困難と思われたが、被災5日後の16日には早速メーン滑走路を使って空輸を開始、被災地への物資輸送の拠点として大いに役立っている。早期再開の陰には、がれきの撤去までした在日米軍の協力があった。
空輸が再開した仙台空港に輸送機が到着した。運ばれてきたのは、水や食料など被災地への救援物資。降ろされた物資を、日本の自衛隊の隊員らとともに在日米軍の兵士らが自衛隊のトラックに積み込む。トラックが向かう先は、被害の大きい太平洋沿岸の避難所。運搬する自衛隊員は「これまで気仙沼や石巻を回った」と話す。
在日米軍は震災直後から、仙台空港を救援物資の運搬拠点として利用しようとしてきた。しかし、空港はがれきだらけ。国土交通省東京航空局仙台空港事務所の大坪守所長が「空港全域が水没し、復旧のめどが全く立っていない」という状態だ。
このため、在日米軍は横田基地(東京)や嘉手納基地(沖縄)などから214人の兵士を集め、自衛隊員らとともに、滑走路のがれき撤去に取りかかった。フォークリフトなどの重機も持ち込み、津波で流されてきた乗用車を撤去。必死の作業でメーン滑走路を確保し、16日から離着陸が可能になった。
まだ民間機の離着陸はできないが、現在、米国内や、国内外のボランティア団体などから届いた物資を1日平均11機の輸送機で運んでいる。
在日米軍はシャベルを使って手作業で泥を空港建物から取り除く作業にも従事。今後、津波で1階部分が完全に水没し、電気や通信設備のほとんどが使用不能になったターミナルビルの復旧にも携わる予定だ。
日米共同調整所仙台空港現地調整所長の笠松誠1等陸佐は「米軍が早い時期に空港に重機を持ち込んで整備してくれたことで、救援物資の拠点として活用できるようになった。感謝している」。米海兵隊のクレイグ・コゼニスキー大佐は「復旧のため、日米合同で作業を続けたい」としている。
2011.3.25 21:50