二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

岩国市長選挙に注目してみる

2008年02月07日 | 社会
山口県岩国市の市長選挙が、今月、2月10日(日)に投開票されます。昨今の報道では中国製冷凍ギョーザの問題がメディアを席巻しており、米国大統領選挙のメガチューズデイなる話題で持ちきりになっています。しかし、日本の国民にとって大切な選挙は米国大統領選挙ではなく、岩国市の市長選だと思います。

私が思う、この市長選で大切なことは、「人」を失ってはいけないということだと思います。それは 井原勝介 前市長のことです。市民・国民のことを思い、市政を実践されている素晴らしい人材を失っては、岩国市民、日本国民の損失につながると思います。

井原さんは、9年前に「市政をガラス張りにする」を公約に掲げ市長となり、私欲渦巻く市政体質を一掃し、赤字財政を脱却すべく、余分な支出をカットし、借金を少しずつ返済できるようにした人物だそうです。

また、現在、この選挙が注目されるのは、米軍再編による基地移駐問題があるからです。岩国市には元々基地があり、井原さんは、ギリギリのところで政府と交渉し、苦渋の選択の中、現在の米軍基地機能の受け入れを決めてきたのだと思います。市民には多くの負担をしてもらっており、これ以上、負担を強いることはできないし、危険をさらに増し、騒音などの苦痛を増やすわけにはいかないという気持ちで地方自治を行ってきたのだと思います。

日米両政府の合意では、2014年までに厚木基地から岩国基地へ59機もの空母艦載機部隊の移駐を行うということになっているそうです。これはとりもなおさず、全国最大規模の騒音地帯となると言われています。訓練は昼夜問わず行われます。特に基地周辺の地域の人たちは心身ともに疲れてくるのは目に見えています。だから厚木基地でも騒音などの訴訟問題が起きています。この問題は、国から補助金(迷惑料)が出れば済むことなのでしょうか。

石川県小松市にも航空自衛隊があります。小学生の時に遠足へ小松空港へ行った記憶があり、近くを戦闘機が通り抜けました。カッコいいとか、すごいという感想とは正反対で、すぐ隣の友の話も聞こえず「うるさい」「周りの人は迷惑だろうな~」と小学生ながら感じたことを思い出します。

岩国市も基地がある以上、当然、政府から補助金をもらっています。それを財政に活かすのも自然です。しかし、新市庁舎建設への費用に当てていた、07年度交付金約35億円の支給が凍結されたようです。決定していたお金がなぜ凍結されてしまうのでしょうか。

それは、2007年に国民投票法の成立と同時に、話題にあまり登らなかった補助金の特措法「米軍再編推進法」も成立していました。簡単にまとめてしまうと”政府で決めたことに言うことをきく所にはお金をあげます。言うこときかない所にはあげませんよ」という法です。このおかげで新市庁舎の工事はストップしています。

2006年3月の住民投票、4月の市長選挙では移駐反対派が制しました。これが民意であるから、井原さんは国(&米軍)と地方に渦巻く権力に挟まれながら、市民のことを思い、世の行く末を考えて行動していたと思います。地方自治は市民、県民のためにあり、市民が安心して生活できるようにという基本原則において行動してる井原さんは素晴らしいと思います。

どこの地方自治体も赤字でたいへんなご時勢、当てにしていたお金が凍結されることは非常に苦しいと思います。そんな中でやりくりして予算案を作り議会にかけたところ否決され、それじゃあ、もう一度民意を聞いてみようじゃないか、ということで辞職され、今回の選挙になったようです。

人の体では、糖尿病でインシュリンを大量に打ってしまったら、膵臓の機能は衰退していきますし、人類の進化にしても環境に適応して必要なものは残り、使わないものは無くなるか、機能を失ってしまいます。体には用不用の法則というのがあり、使わない器官や組織は退化していきます。

一度基地の拡大を受け入れ、補助金をもらい潤ったとしたら、基地に依存するようになっていくとたいへんです。何かあると再び受け入なくてはならなくなるかもしれません。衰退していくのは地域の人々であり、地域の経済かもしれません。一部の人たちは儲かるかもしれません。

明治時代、日本では優秀な人材を失いました。ご存知、西郷隆盛です。「天敬愛人」を身上とする人物です。人民のことを心から思い行動してきた西郷が、当時の政治情勢、真実、真に国を思う若い人たちに押され、人民のために西南戦争に突入していきまいたが、残念ながら、この戦いで帰らぬ人となりました。

西郷さんと比較すると話が大きくなってしまうかもしれませんが、今回も日本の行く末を占う大事な選挙になると思います。素晴らしい人材が日本からいなくならないように応援したいと思います。

すべてを我が事として、何でも見ていくことが大切であり、そう心で感じることが、自分の身(実)になっていくのでしょう

再び長くなってしまいました。最後までお読み頂き、ありがとうございます。
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中国製冷凍ギョーザに対する私見

2008年02月07日 | 社会
食は「命」です。食べるものと水がなければ、人間は生きていくことはできません。根本的にはお金がなくても飲食ができれば生きていけます。

報道各社が一斉に中国製冷凍ギョーザの中毒問題に対する情報合戦をしています。どこのチャンネルもこの問題で持ちきりです。食の安全・安心は生活をしていくためには、家族の安全を守るには重要なことです。しかし、あまりにも中国産農産物、冷凍食品の危険性ばかりを大きく報道しているのではないかと感じてしまいます。

確かに、中国産の農産物には今まで農薬問題や、汚染された水の問題など様々な課題が中国側にもあるのは理解できます。今回の問題は、どこで農薬が混入されたか、誰が行ったのか、組織的なのか、どこの過程で混入されたのかが問題であって、そこの調査、追及なくして何の問題も解決しないと思います。現在は国をあげて捜査している段階ですので、過剰に中国産の農産物、冷凍食品の批判は避けるべきだと思ってしまいます。

話は違いますが、中国にいた私の友人の話によると、肉まんにダンボールが混入されていた問題が報道を賑わした時、疑問に思い首を捻ったそうです。肉と同じくらいダンボールは値段が高いのだというのが、その友人の話でした。「なぜダンボール入れたんやろ?」「その方が美味しいからじゃない!?」こんな話をしていました。

少し方向を変えてみてみると、私の記憶が確かなら、冷凍食品の60%は中国からの輸入に頼っています。農地が減り15億人とも言われる国民を自国の農業だけでは養えなくなり、2004年には農産物の純輸入国になってしまったのが中国です。その中国をアメリカに次ぐ、第二の食料輸入国にしているのが日本であるということを考えると、私たちのこれからの問題の一つが見えてくるのではないでしょうか。

日本の食物自給率は40%を割り込むまでになり、先進国中最低です。もし、戦争や気候の大変動が起こり食物の輸入がストップしてしまったらどうするのでしょうか。疑問でなりません。もし、そうなった場合、備蓄されている食物で国民が暮らせるのは数ヶ月であるという話も聞いたことがあります。

自給率をあげる一番の食品は「米」だと思います。しかし、現状では米価が下落し、山間部の農家などでは、採算がとれず農地を放棄したり、農業地の過疎化も手伝い跡継ぎがなくなり、農地を放棄する農家が多いと聞きます。昨年から大規模耕作を行う農家や、集落営農を優遇して経営規模の拡大を目指す新政策が導入されましたが、その影で地方では悲鳴が上がっているのも現状でしょう。

食=農業=人の命 であるとするなら、農業も自由化して競争させるという原理、経済原理にのるということは、いい風に見えますが、大きな規模の資本が入って来れば、そこに飲み込まれるということにもなりかねません。本当に国民の命を守るという目的のためには、「食」は欠かすことのできない重要な要素であり、農家の人が安心して働けるように、また、国民が安心できるように、国がしっかり補償していくべき問題だと思います。

全国の耕地放棄地は、埼玉一県分の面積にほぼ匹敵する38万5791ヘクタール(05年)に達するそうです。1995年の1.6倍で、その54%は中山間地ですが、最近は、米作りに適している平地部でさえも広がりを見せているそうです。

また、日本は輸入した食品の30%をも廃棄しています。あるコンビにの04年の経常利益が400億円、廃棄された食品も400億円であるという報告もあります。これこそ日本人の昔からの精神である「もったいない」です。世界67億人の多くの人たちが一日1ドル以下の生活を強いられていることを考えると「おかしい」と思わない人はいないと思います。

「もったいな」(無駄)をなくすには、食品偽装はいけないと思いますが、賞味期限に代表される、食品衛生管理法 自体を変えていかなければいけないんではないかと思います。過度の安全は、何か違うものを生み出してしまうのではないでしょうか。

私たち日本人は周辺の多くの国の人たちと繋がって生きています。食品にしてもしかりです。ほとんどが輸入食材です。そう考えると、中国にもたいへんお世話になっています。私たちが豊かな生活を送るために。だとすれば、今回の事件に関しては、捜査の動向を冷静に注視していくことが大切です。報道に対し過度に反応しないことだと思います。

そして、経済、食品、環境技術など近隣諸国の人たちと、自分達の足らないもの、自分達の持っているものをお互いが共有して、アジアが仲良くしていくことこそ、これからの明るい未来をつくっていくのではないかと、今回の中国製冷凍ギョーザの問題の私見、思いを書かせて頂きました。

長くなりました~。最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。
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