二葉鍼灸療院 院長のドタバタ活動日記

私が日頃行っている活動や、日々の鍼灸臨床で感じたことなどを綴っていきたいと思います。

ノーベル物理学賞・化学賞

2008年12月13日 | 社会
今年はノーベル物理学賞に、小林 誠さん(64)、益川敏英さん(68)、南部陽一郎さん(87)が、化学賞では、下村 脩さん(80)がそれぞれ受賞されました。皆さまノーベル賞の対象となった業績を仕上げてから30~50年後の受賞です。情熱と継続する力に脱帽です。そして、刺激になります。

読売新聞 2008年12月11日(木)より

≪ノーベル化学賞 下村氏の足跡≫より

いばらの道を歩んだ下村氏の信条は『困難はただ乗り越えろ』というものだった。母校・長崎大の校舎が原爆で破壊されて基礎的な研究を積めず、今も自分を「アマチュア科学者」と呼ぶ。
              ※※※

61年、米ワシントン州のフライデーハーバーでオワンクラゲを光らせる物質の特定を頼まれた時も「やりましょう」と淡々と承諾した。光る物質はクラゲの中に微量しか含まれず、誰もが尻ごみする作業だった。
アルバイトの高校生らも使ったが、夫人と二人で切り盛りする研究スタイルを貫いた。指導を受けた寺西克倫・三重大教授(46)が言う。「普通なら助手や学生に任せる実験も自分たちでやっていた。だから流しにクラゲの抽出液を捨てた時、海水に反応して光ったのを見逃さなかった」

              ※※※

19年間にすくったクラゲ85万匹。重量50トン。一夏で捕まえる数万匹のクラゲから生み出される成果は、片手に収まる白っぽい塊「クラゲケーキ」だった。さらに精製し、少量の発光たんぱく質イクオリンが残る。廃墟の倉庫を改造した作業場に冷房はなく、研究室というより工場だった。


情熱、好奇心、何のために仕事や研究をやっているのか、困難を乗り越えてしまうパワーとは何なのか、さまざまなことが勉強になります

≪小林・益川氏 ノーベル物理学賞への道≫より

京大助手の小林 誠と益川敏英がノーベル賞の対象となる議論を始めたのは、1972年5月の連休明けだ。夏休みが終わる頃には、論文はできあがっていた。

アイデアの核心は、「CP対称性の破れ」という10年来の物理学の難問を説明するには「素粒子クォークが6種類以上あるはず」という点。それまで見つかっていたクォークは3種類。理論的に予想できるのも4種類という時代だった。

京大基礎物理学研究所の九後太一教授は「京大のほかの連中は『クォークは四つと言われているのに、六つもあるわけはない』とぴんと来ていなかった。自由な学風で有名な、坂田昌一・名大教授の研究室出身の二人だからできた」と話す。

考えに考えた益川は風呂につかりながら、「どうしてもダメ。明日、ダメだという論文を書こう」と決心したが、立ちあがった瞬間、クォークを6種類にすればいいと気づいた。「自縛が消えたら、そこから先は手で数えるように簡単だった」と振り返る。


科学にしても医学にしても、素晴らしい発見や技術革新がされてきましたが、それは大自然の中の一部であり、人類が少し自然の絶妙な仕組みの一端に触れただけのことだということ、発見というのはそういうものだと思います。だから、それが確定ではなく、常に変化するものだから、人類は今まで様々なものを創造してきたのだと思います。

私も日々、患者さんにどう対応すれば治癒に導いていけるだろうか悩むことが多いです。そして、医学あるいは様々な鍼灸治療の研究、鍼灸の古典などに答えがないか勉強しています。

過去や人のやった基礎的な勉強をすることは大切であり、欠かしてはいけませんが、そこから発展させるには、自分の信念というか、患者さんの体に答えがあるというか、芯を持つことが大切だなと思いました。そういう意味でも東洋医学研究所で勉強せて頂き幸せだったなと思います。

私もじつは風呂へ入っていると、いろいろとひらめくことがあるんですよね~ さ~て、これから風呂にゆっくりつかって脳の血流を良好にして 「これだ」ってひらめくことにしましょう

そんなことを感じたノーベル賞受賞者の記事でした~

二葉鍼灸療院 田中良和
コメント (2)
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