-戦時下、空白の短歌史を掘り起こす その9-
「沈丁花の香り」
闇のそこから沈丁花の香りが漂ってくる。甘くなぜか官能的とも言える匂い。それは目覚めへと向かう、生命のいぶきの香りでもある。春を告げる他の花々と比べ、決して華やかとは言えない慎ましやかな沈丁花。はにかみにも似た、薄紅を浮かべた白い花。香りとの絶妙なバランスの上に、気高さと凛々しさをまとっている。
冬の季節からの解放を静かに人の臭覚に訴え告げる花。その香りは廻る季節の中で、春を心待ちする少なからぬ人々に、鮮やかで懐かしい記憶をよみがえらせて来た。北風の未だ吹く家々の庭隅で「もう春はそこまで・・・」と漏らす女人達の言葉を、沈丁花は幾たび聞いたことか。
昭和二十年三月十日未明、既に日本の制空権をも手に入れたアメリカ軍の、B29による東京大空襲で一面焦土と化した大東京。その下町の片隅で半身を焼かれながらも、白い花を咲かせ芳香を放っていたという沈丁花。その花の生命力の強さと、懸命に咲き継いだ花の祈りにも似た思いを今思い起こしている。
推定十万人と言われた死者の一人ひとりの思いを、残された半身の花で弔うかのように懸命に咲き継ぎ、匂い立った花の生命。その花が命がけで語ろうとした言葉と思いを戦時下の文学の世界に訪ねてみたい。
「咲き初めた 沈丁花」
昭和二十年四月発行の「綜合詩歌」四月号。この詩歌誌について、前号に引続き短歌、歌論を中心に紹介、鑑賞を行っていきたい。当月号に作品を寄せた代表的歌人は、谷鼎、泉四郎、大澤衛、米田雄郎、千賀すず子、野村泰三の各氏を含む十六名である。
昭和十九年三月。日本ビルマ方面軍はインド侵攻作戦を開始しインパールを目指したが、たちまち英印軍の反攻をうけて敗退し作戦の中止を余儀なくされた。これらの作戦失敗に象徴されるように、戦局は熾烈さを極め敗色が日毎に増していった。
「必勝の信念剛操の志」との戦時スローガンを表紙に掲げた「綜合詩歌」誌に、代表歌人として名を連ねた、これら歌人の歌にも戦局を覆う暗雲は重くのしかかっていた。これらの情況を己の裡に取り込み、表現者としてぎりぎりの地平で歌った歌。時代の一つの証言として、また、先達の魂からの叫びとして心に刻み、受け止めて行きたい歌を抄出させて頂いた。
南の島 大澤 衛
撓みつつ雪撥ね返すつげの枝のかへす力の今盛り上がる
今はしも働きがひのある世とふ言葉残して弟出で征きぬ
海 泉 四郎
あめつちの深きなげきやきさらぎの沖へひと色この海の凪
国の名を知れるかぎりが戦ひて或はなげく民やあるべし
国難 和田 山蘭
我等が行く手みちは只一つ国難を乗越ゆるべき大き直き道
ケゼリン、コット 全員戦死と発表すああ玉砕も三度となりし
戦う冬 千賀 すず子
ひとりゐに聞くや戦況うらたぎちかたへに眠る猫揺り起こす
節電はただに思へり日暮れ時残り仕事を縁に持ち出す
ますらをの道 水城 秋歩
ますらをの道ひとすじをゆききはめのこらず死してたたかひやみぬ
かへり路は消しぬべくもあらぬ面影にかつはさびしきわが理性なる
冬の白百合 野村 泰三
寝しづまり霜ふる夜は惜しめども開きひらかず白百合の花
脾肉の嘆きわれにはふかし戦局の推移はげしきなかに暮らしつつ
老いの身への「自愛」を、心の弛みとして自省しつつ詠った千賀すず子氏の「戦う冬」一連。戦場を遠く離れた「もう一つの戦さ場」で闘う女性たちの、秘めた悲しいまでの決意の表出でもある。これらの決意が固ければ固いほど、それに至る葛藤の日々への思いが行間に滲んで見える。
「ヒマラヤ雪ノ下」
前号では中断した「古典抄」が、当月号には復活し、香川景樹氏の「新学異見」、伊澤幸平氏の「加茂の行方」等の歌論が掲載され厳しい戦局の下、なお初学者への系統的な啓発が図られている。また、前号にも掲載し紹介した「誌上歌会」とも言える作品評欄はさらに拡充され、本誌の「顔」として定着した感がある。この欄から一部抜粋し歌評のポイント、あり方等を学んでいきたい。
○熟れ茱萸のあけのあけ実を見てあればいのちほとほといとしくなりぬ
海輪小枝子
【熊倉】技巧が眼に付く。しかし、かさかさした拙い戦争歌よりも良い。
ただし、平俗な感を私はもつ。「あけのあけ実」および、
「いのちほとほと」にわざとらしさを感じませんか。もっと直接の
写生による必然的な哀感が欲しい。
私はむしろ海輪さんの「旅を来て心足へり茱萸の実のふさなりの
実のひかる川原に」を好む。
【田辺】歌意は明瞭であるが、自己感傷に陥ってしまっている。それに、
読者に凭れ過ぎてはいないか。しかし、歌は美しい。
【小田部】かような一種の古今調の歌(もっともその萌芽は万葉集中
「水の江の入り江のはちす花はちす」等にみえていますが)を
排斥する人もいますが、私の考えでは、それは却って今日の忙しさに
素直さを失っているためではないでしょうか。この歌はその意味で、
細やかな美しさと素直さをもっています。
抜粋文中、熊倉、田辺、小田部は、それぞれ熊倉鶏一、田辺信晴、小田部胤明の各氏である。歌の持つ「細やかな美しさと素直さ」を評価しつつも、「直接の写生による必然的な哀感が欲しい」と言う厳しい指摘もある。結社内の仲間褒めが、云々される昨今の潮流の中で歌評の厳しさ、深さ、それゆえの温かさをこれらの批評内容から学んで行きたい。
当月号にはこれら作品評、歌論と共に金井章次博士の「二つの支那観」を初め、久松潜一、大野勇二、泉四郎、鶴田吾郎、海輪小枝子の各氏が論文、随筆、評論等多彩な研究成果を寄せている。
特に金井博士の論文は、モンテスキューとケネーという十八世紀の法理学者及び、経済学者の世界観を比較検討しながら自らの建国体験を法則化しつつ、漢民族のもつ歴史観を深い理解の下に平易に解き明かしている。
今月号より新企画として前田夕暮氏ら代表歌人による題詠選歌の欄が設けられた。
課題は「海」であったが「秀逸」は次の五首であった。
○ このあした海の果てまでひびけとて出港用意のラッパ吹奏す 鈴木 康三
○ あだふねが砲撃したる北千島寒波のうねり眼に顕ち来る 井上 龍生
○ 南に戦ふ弟の蔭善は海遠く見ゆる窓に据ゑけり 権田 俊男
○ 益荒男はのどには死なじと海峡をいゆきこえ征きいまぞ戦う 小島 赤麿
○ 沖暗くこもれる雲の南におしうつりつつ明るき海さか 飯塚 清
与えられた課題に挑戦し自らの詩情を研ぎ、歌心を磨き作歌技術の向上を図る企画 として、この題詠選歌の欄は画期的と言える。戦時下と言う背景を考慮に入れても、この試みのもつゆとりと静謐さは今日の結社誌にも継承したい企画でもある。
アッツ島、ケゼリン島、さらにコット島と三度の玉砕の報により、戦局の暗雲が実感として人々を重く包み始めた。この重苦しさと肉親、隣人の戦死に直面した人々の慟哭、呻吟を句間に滲ませた歌を、紙面の許す限り投稿歌より抄出させて頂くものとする。
○なまやさし戦ひならず征き征きて遂に還らぬ若者(わか)等いくたり 笹川 祐資
○事しあらば吾子にかたみのみ心か討伐行を前のこの文 土井 博子
○木枯らしの吹きすさぶ夜は火によりてはるけき人をひたぶるに恋ふ 小笠原一二三
○庭隅の埃まみれの沈丁花つぼみ赤らむ春はいまだし 阿部 鉄子
○大戦果の終りに小さく印されし未帰還四機の文字の現実 三日月信之
○二十余機なき故に玉砕すてふマキンタラワは聞くにたへめや 沼田 直梓
○吾子故に吾子故にとぞ繰り返す母が言葉にあつきおもひす 吉本 長子
○事あれば静かに散らんと夫が文さりげなくして我に迫りぬ 小島 かずよ
○想ひ深くは言葉で征かむと最後なる君がみ文はおだしかりけり 菅野 貞子
○海征きてつひに還らぬつはものの最後の叫び波に聞かなむ 夏原 栄一
○言ひそびれ言葉のみし悲しみは告ぐる人もなく今も残れり 橋詰 公乃
○吾子の死の打電いかにか見ますらん故里に在す父母はらからは 飯田 秀男
「事あれば静かに散らん」と記した夫の文を受け取った妻の思い。吾子の戦死を告げる電報を受け取った父母の嘆き。波間に消えた「つわものの最後の叫び」を聞く戦友の慟哭。これらが表現を超えて歌群より聴こえてくる。抑制された表現ゆえに、その悲しみの深さと痛ましさを際立たせている。
紅のつぼみが一転して白い花となる沈丁花。どんな厳しい冬の季節にも必ず春が来ることを、いち早く香り立ち慎ましやかに告げる花。大空襲で半身を焼かれながら、なお咲き継ぎ死者を弔い、悲しみから立ち上がろうとする人々を励ましたと言う沈丁花。
暴君となった人間の愚かさと、政治の道具に使われる戦争の悲惨さを改めて想起しつつ、ロシアのウクライナ「侵略」の戦禍は、今まさに続いている。
沈丁花が自らの生命を賭して語ろうとした言葉、それは「神でない人間の限界と、その原罪」だったのかも知れない。
春浅い闇の底から、時代を越えた戦死者達の呻吟が、沈丁花の香りにまぎれて響いてくる。その響きに深い悲しみと、むなしさを感じて涙するのは我々の世代で終わらせなければならない・・・。歴史から、そして時代の情況から何を学び、何を次の世代に引き継ぐべきか、その重い選択は我々の世代にも課せられている。 了
注)現在の情勢を踏まえ一部修正しました。 初稿:2008年3月10日