岡山レポート第二弾です。
前々から細君が訪れたいと言っていた街の一つに、倉敷がありましたが、今回は備前焼の窯元を
訪ねた際に地理的には比較的近いこともあり、もし可能ならとの思いもありました。
たまたま長男の業務も一段落ついたこともあり、案内してもらうことが出来、細君共々ラッキーと
叫んだほどでした。
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倉敷は白壁のまち、大原美術館に代表される文化と芸術の町とのイメージがありました。
窯元から山陽道をへて約50分ほどで着いた倉敷は、期待にたがわず、江戸時代天領として
栄えた商人のまちの面影をそのまま残し、白壁なまこ壁の屋敷や蔵が柳並木の倉敷川畔に沿って
続き江戸の風情を色濃く漂わせていました。
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その一角にある大原美術館を訪れましたが、そのコレクションの膨大さと、質の高さに圧倒
される思いでした。
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エル・グレコの『受胎告知』、ルノワールの『泉による女』、モネの『睡蓮』等、西洋美術は
言うに及ばず、エジプト・中近東美術、中国美術などを含めて展示され、さらに、
「木彫彩色女神坐像」(エジプト・プトレマイオス朝)、「一光三尊仏像」(中国・北魏)(重文)、
ロダンの「カレーの市民 ジャン・ダール」と貴重な彫刻も展示されていました。
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エル・グレコ『受胎告知』(パンフレットよりお借りしました)
この美術館は実業家大原孫三郎と、収集に携わった洋画家児島虎次郎との深い信頼関係、
高い志し、さらに審美眼とによって築かれたとの印象を持ちました。
また、本町・東町界隈は、大部分が町並み保存地区に指定されて、現在も約200世帯の人々が
暮らしているとのこと。白壁や格子窓のある家々からは、ちょうど昼食時のこともあり、
さんまを焼く匂いも漂い、住む人の息づかいも聞こえてきました。
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そんな町並みに溶け込むように、ギャラリーや雑貨店、デニム店、茶道家元を改築した喫茶店などが
点在し、古い歴史や文化の中に、新しいセンスやモダニズムが調和しているとの印象をもちました。
そこには、私たち世代をも包み込み心をなごませ、落ち着いて散策できる雰囲気がありました。
デニム店の続く「デニムストリート」の奥には、元星野監督の胸像もある「星野仙一記念館」が
ありました。
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倉敷川畔のお店で「きび団子」を求めて屋台で頂きましたが、素朴な味で、これを食べて桃太郎と
鬼退治に向かったイヌ・サル・キジたちの心意気を改めて思い返していました。
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昼食は長男が倉敷に来るとよく訪れるという天満屋の又来軒という中華レストランで、名物と
言われるもやしラーメンと炒飯のセットを頂きました。
サブメニューとして注文した餃子も含めて味は絶品で、コクがありながら、しかも爽やかさの
感じる中華料理を久しぶりに味わうことが出来ました。
こんな経緯を即興で歌ってみました。
☆集めたる何れの作も世を越えて 志(し)の誠をも熱く語りし(大原美術館)
☆こころざし秘むるも滲む大原の美術のやかた ため息の渦
☆倉敷の川のほとりの街並みに溶けゆく人ら柔らかな笑み
三日目は帰る日でしたが、16:20の出発であったため、岡山藩主池田光政によって開設された
日本最古の庶民学校と言われる閑谷学校(しずたにがっこう)を訪ねてみました。
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ここは「旧閑谷学校」として特別史跡に指定され、講堂は国宝に指定されているとのこと。
元禄の時代、藩主が庶民のための学び舎を作るという、その先見性には打たれるものがありました。
講堂をはじめ学舎の屋根は備前焼の瓦で葺かれ、300年たった現在でもほとんど割れないで使用で
きているとのこと。一般の瓦が寿命60年といわれるのに対して驚くべき耐久性でもあり、備前焼の
優れた特性をここでも示していました。
前々から細君が訪れたいと言っていた街の一つに、倉敷がありましたが、今回は備前焼の窯元を
訪ねた際に地理的には比較的近いこともあり、もし可能ならとの思いもありました。
たまたま長男の業務も一段落ついたこともあり、案内してもらうことが出来、細君共々ラッキーと
叫んだほどでした。
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倉敷は白壁のまち、大原美術館に代表される文化と芸術の町とのイメージがありました。
窯元から山陽道をへて約50分ほどで着いた倉敷は、期待にたがわず、江戸時代天領として
栄えた商人のまちの面影をそのまま残し、白壁なまこ壁の屋敷や蔵が柳並木の倉敷川畔に沿って
続き江戸の風情を色濃く漂わせていました。
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その一角にある大原美術館を訪れましたが、そのコレクションの膨大さと、質の高さに圧倒
される思いでした。
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エル・グレコの『受胎告知』、ルノワールの『泉による女』、モネの『睡蓮』等、西洋美術は
言うに及ばず、エジプト・中近東美術、中国美術などを含めて展示され、さらに、
「木彫彩色女神坐像」(エジプト・プトレマイオス朝)、「一光三尊仏像」(中国・北魏)(重文)、
ロダンの「カレーの市民 ジャン・ダール」と貴重な彫刻も展示されていました。
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エル・グレコ『受胎告知』(パンフレットよりお借りしました)
この美術館は実業家大原孫三郎と、収集に携わった洋画家児島虎次郎との深い信頼関係、
高い志し、さらに審美眼とによって築かれたとの印象を持ちました。
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また、本町・東町界隈は、大部分が町並み保存地区に指定されて、現在も約200世帯の人々が
暮らしているとのこと。白壁や格子窓のある家々からは、ちょうど昼食時のこともあり、
さんまを焼く匂いも漂い、住む人の息づかいも聞こえてきました。
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そんな町並みに溶け込むように、ギャラリーや雑貨店、デニム店、茶道家元を改築した喫茶店などが
点在し、古い歴史や文化の中に、新しいセンスやモダニズムが調和しているとの印象をもちました。
そこには、私たち世代をも包み込み心をなごませ、落ち着いて散策できる雰囲気がありました。
デニム店の続く「デニムストリート」の奥には、元星野監督の胸像もある「星野仙一記念館」が
ありました。
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倉敷川畔のお店で「きび団子」を求めて屋台で頂きましたが、素朴な味で、これを食べて桃太郎と
鬼退治に向かったイヌ・サル・キジたちの心意気を改めて思い返していました。
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昼食は長男が倉敷に来るとよく訪れるという天満屋の又来軒という中華レストランで、名物と
言われるもやしラーメンと炒飯のセットを頂きました。
サブメニューとして注文した餃子も含めて味は絶品で、コクがありながら、しかも爽やかさの
感じる中華料理を久しぶりに味わうことが出来ました。
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こんな経緯を即興で歌ってみました。
☆集めたる何れの作も世を越えて 志(し)の誠をも熱く語りし(大原美術館)
☆こころざし秘むるも滲む大原の美術のやかた ため息の渦
☆倉敷の川のほとりの街並みに溶けゆく人ら柔らかな笑み
三日目は帰る日でしたが、16:20の出発であったため、岡山藩主池田光政によって開設された
日本最古の庶民学校と言われる閑谷学校(しずたにがっこう)を訪ねてみました。
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ここは「旧閑谷学校」として特別史跡に指定され、講堂は国宝に指定されているとのこと。
元禄の時代、藩主が庶民のための学び舎を作るという、その先見性には打たれるものがありました。
講堂をはじめ学舎の屋根は備前焼の瓦で葺かれ、300年たった現在でもほとんど割れないで使用で
きているとのこと。一般の瓦が寿命60年といわれるのに対して驚くべき耐久性でもあり、備前焼の
優れた特性をここでも示していました。