四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

ノーベル平和賞

2024年10月13日 14時47分18秒 | 日々の歩み

 2024年のノーベル平和賞を、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が
受賞しました。

     「未だ咲く 芙蓉」

 ノルウェーのノーベル賞委員会は10月11日、日本被団協に今年のノーベル
平和賞を授与すると発表しました。ノーベル委員会は受賞理由について、
 「核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が二度と使用
  されてはならないことを証言によって示してきたと説明しました。
  その上で、被団協の活動について、「日本被団協は、数千件に
  及ぶ証言を収集し、決議や公開アピールを発表し、毎年代表団を
  国連やさまざまな平和会議に派遣し、核軍縮の緊急性を世界に訴え
  続けてきました。
  いつの日か、被爆者は歴史の証人ではなくなるでしょう。しかし、
  記憶を留めるという強い文化と継続的な取り組みにより、日本の若い
  世代は被爆者の経験とメッセージを継承しています。彼らは世界中の
  人々を鼓舞し、教育しています。このようにして、人類の平和な未来の
  前提条件である核兵器のタブーを維持する手助けをしているのです」
と評価しました。

     「秋の陽ざしの中で未だ咲く 夾竹桃」

 この受賞を聞き、このブログで前にも触れましたが・・・。
「夾竹桃は美しいけれど、たまらなく嫌いな花。なぜって、生きることを
強いるから・・・」と、 遥かな青春の日の友の呟きが甦ります。
長崎での体内被曝と言う重い十字架を背負いながらも、「はんなり」の趣き
そのままの楚々とした雰囲気をまとう女性であったその友。重い血液の病との
死闘の果てに、夾竹桃の咲く葉月のつごもりに身罷りました。
炎暑のもとで敢然と咲く夾竹桃は、つらい生を貫こうとする者へ、無言の
励ましを送っているようにも見えますが、時にはむごい鞭のようなしなやかさを
もって、生への希求を主張しているかに感じます。

 夾竹桃は、人類史上初めてもたらされた一発の原子爆弾によって焼野原と
なった広島で、「75年間は草木も生えない」と言われながらも、いち早く
咲いた花でもあります。それは、瀕死の傷を負い、生き残った広島市民に
復興への希望と勇気を与えてくれたと言われており、市の花にもなっています。
 重い血液の病を背負いながらも、「自分と同じ辛いめに合う者をこれ以上
作ってはならない。そして、ナガサキに続く原爆の被害を三度起こしては
ならない」との強い想いと祈りを秘めた、行動するキリスト者でもあった友。

 その時代、既にニューロコンピュータ(人工知能・AI)の新進の研究者の
一人で、その研究に打ち込む傍ら、核廃絶の運動に真摯に取り組んでいました。
 襲い来る激痛と、不安とによる死よりも惨い生をひたすらに、ひたむきに
生きた友。「十万を越える人々の死の代償として、この世に生を受けた私は、
その人達の分も一分でも長く生きなければ・・・。生きることが辛いなんて
言ったら、 天国へ行ったあの人達に申し訳ないわよね」との言葉と共に…。

 また、「怒りを祈りへ」と、祈ることの深淵を血気盛んな私に教え諭した
方でもありました。 青春の真っ只中、研究室の片隅で出会ったその友の印象は
あまりに鮮明で、その友によって教えられ、切り開かれた世界は未だ私の中に
鮮明な映像として残っています。その友が取り組んだ「ニューロコンピュータ」の
研究課題は今、生成AIとしてコンピュータ等ICTの新たな革新的な扉を開けようと
しています。さらに、その後の研究で今回のノーベル賞の対象にもなっています。

     「白い 百日紅」

 この友は、赤と白の夾竹桃の咲き乱れる、夏の日に短い生涯を閉じましたが、
この友の想いと仲間たちの取り組みは、今回のノーベル平和賞ということで一つの
結実を見ました。
これは天国の友にも届いていることと思いますが、今の世界の現状をみると決して
楽観は出来ません。この受賞を新たな出発点として文字通り「核廃絶」に向けての
取組みを加速し、その手前の「核兵器禁止条約」の締結を、私達の国でも現実の
ものとしていく必要があると思っています。

 この受賞は、核廃絶の運動に取り組みながら、その道半ばで逝った多くの方達、
そして生きたくても生きられなかった多くの方の想いと祈りも込められた賞で
あったと思っています。先ずは、手向けの花の一つとして「受賞の知らせ」を
天国の友に届けたいと思います。即興の一首と共に・・・。
  ☆祈りさえ無力に思える日々を経て 君が想いの結実を見る


コメント (7)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第一部「口語短歌・水曜サロ... | トップ | 第二部「口語短歌・水曜サロ... »
最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (knsw0805)
2024-10-13 19:30:32
こんばんは。

全文読みましたし。その友のことも思い出しました。今回のノーベル平和賞授与のニュースを聞いて遅すぎると思いました。ロシア・ウクライナ、イスラエル・ガザ・レバノンヒスポラ、イスラエル・イランと核兵器使用のタイミングはもはや一刻の猶予もありません。私からしたら歴史を顧みない、そして広島の広島原爆資料館を視察していない権力者の驕りとしか思えません。

実は家業を継ぐと決心した私に、昭和45~6年頃父から命令されて最初の赴任地が広島営業所でした。当然原爆資料館があるわけですがずっと行くのが怖くて行かなかったのです、しかし1年位して行きました。壮絶に悲惨でした。その当時は今と違い生々しくて凝視出来ないほどでした。今は嫌な表現ですが博物館的でさえあります。アメリカ元大統領オバマ氏も行きましたが、いつの時代の日本首相も必ず全世界の首脳に広島訪問を呼びかけるべきと思います。そして全世界の首相に「百聞は一見にしかず」と再認識させることこそが今回日本被団協に今年のノーベル平和賞を授与された目的と考えます。
返信する
政治的な… (デ某)
2024-10-13 20:33:49
ノーベル平和賞は 文学賞と並んで「政治的」だと言われます。
被団協の受賞がこんなにも遅くなった理由は
原爆投下に関する米国の歴史的見解、米国世論と無縁ではなく
今! 受賞する理由も ウクライナ、パレスチナ情勢と深く関わりましょう。
しかし そうした政治的背景を超えて 今回の受賞を嬉しく思います。
同時に ナニゲに!?改憲を口にする最近の政党・政治家を見るにつけ
日本国憲法(九条)にノーベル平和賞が贈られる政治的!出来事を願います。
返信する
Kenさんへ (ポエット・M)
2024-10-13 20:35:12
Kenさん こんばんは。
お休みのところ、全文読んで頂き、コメントまで頂きありがとうございました。

かつて尊敬する友と多くの仲間たちの、命がけとも言える取り組みが
このような結実を見たことを素直に喜びたいと思います。
おっしゃるように、ウクライナ、ガザ、レバノン・・・等々の現実を
見ると、取組みは未だ道半ばで、次の世代への継承も含めて、これからが正念場とも思っています。

それぞれが核の十字架を背負い、病と共に精神的にも、身体的にも
厳しい中、それでも三度自分たちと同じ辛い目に合わせてはいけない
との、取組みは「草の根」とも言える地味で、地道な活動でしたが、
「人の神性」すら感じることがありました。

kenさんもおっしゃる通りですね。今の原爆資料館でも、直接凝視し、
そこから感じて頂く意味は十分あると思っています。
人の想像力を超える「核による破壊と破滅」の現実は、先ず見て
感じて頂くしかないと思っています。その意味で今回の受賞は国の
リーダーはもとより多くの国の人々に、実際に見て感じて頂く契機になればと思っています。

力強いKenさんのコメントに勇気を頂きました。
ありがとうございました。
返信する
デ某さんへ (ポエット・M)
2024-10-13 20:55:47
デ某さん こんばんは。
コメント頂きありがとうございます。

おっしゃる通りですね。「ノーベル平和賞、文学賞は政治的」との説は
是としたいと思います。いずれも現在の世界情勢と国家間の政治的、
歴史的関係性を抜きには決められない背景があったことは推測できます。

今の情勢下で「核は決して使われてはならないとの前提が崩れつつある
危機感」を、ノルウェーのノーベル賞委員会がいだいた表れとも考えます。
その意味で、デ某さんも言われる通り、今回の受賞を素直に喜びたいと思います。
そして、「日本国憲法(九条)にノーベル平和賞」の実現を「推し」たいと思います。

これからも諸々ご意見を頂ければ嬉しいです。
よろしくお願い致します。
返信する
Unknown (クロママです😆)
2024-10-15 13:42:27
20歳の頃、長崎資料館、更に広島の資料館も行きました。今でも『むごい』光景の写真や、石にこびり付いた悲惨な情景が忘れようも無くて〜平和すぎる我が国が幸せながらも本物なのか?とふと立ち止まる事もあります。終わりのない〜更にあちこちでの紛争〜ただ恐れて見ていることしかできなくて、それとも終焉を迎える手立てがあるのだろうかと……
NEWSを見るたび思ったりしますが、
今回のノーベル平和賞が多いに平和への関心に繋がると良いと、思ったりしています。

今回も口語〜2句、ご教示お願いします🙇
ハナミズキ
赤き蕾に 光さし
頬に優しい
風心地よし

まだ緑
モミジの葉にも
紅にじむ
クロのつま先
絡む枯れ葉よ
返信する
クロママさんへ (ポエット・M)
2024-10-15 14:53:30
クロママさん こんにちは。

「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。
本作品の歌評、解説等は明日、10月16日付け「水曜サロン(その153)」に
掲載させて頂きます。

なお、「ノーベル平和賞」の記事にも、コメント頂きありがとうございます。
クロママさんも「20歳の頃、長崎資料館、更に広島の資料館」に行かれた
とのこと。おっしゃる通りですね。核爆弾の酷さを余すところなく語る実態と
資料の数々は、私達の感性を打ちのめすかに訴えてきたとの想いが鮮明に
蘇ります。

「今回のノーベル平和賞」が、核兵器禁止への取り組みをさらに盛り上げ、
うねりとなり、核兵器を使わせない国際世論の高まりに寄与することに
なればと思っています。現実をみると決して楽観視は出来ませんが…。

これからも、よろしくお願い致します。
返信する
Unknown (knsw0805)
2024-10-16 01:48:24
24年10月16日分短歌投稿
Shouさん、おはようございます。
浅間山明鏡止水です。
短歌投稿します。

源氏物語巻名歌は「源氏物語に登場する個性豊かな15~20人の女性たち」を中心に返歌を楽しみたいと思っています。主に光源氏と女性たちの贈答短歌が中心です。今週は源氏物語巻名歌から2首提出しますのでご指導よろしくお願いします。巻名歌は過去分と重複するところもありますが、返歌自体は新規で作成しています。私は再度研究しますので、Shouさんにおかれましてはお世話かけますので、返歌のみのご指導で簡潔に願います。

9葵(あおい)
桐壺帝が譲位をして弘徽殿の女御が産んだ皇子が帝(朱雀帝)となると、右大臣家が権勢を強めた。譲位に伴って六条御息所の娘が斎宮に定められると、源氏に冷遇される六条御息所は娘とともに伊勢へ下向することを考え始める。葵祭の日、源氏も行列の供に加わると知り、懐妊中の葵の上は見物に出かける。そこで、身分をやつして見物に出ていた六条御息所の車と鉢合わせ、従者たちが御息所一行を辱めてしまう。底知れぬ恥辱を受けた六条御息所は病に伏せ、夢の中で葵の上に憎しみをぶつける。同じ頃、葵の上には物の怪が取り憑き、左大臣家では加持祈祷が繰り返されていた。やがて葵の上は出産するが、生霊にとらわれ急逝する。源氏は悲しみにくれるが、喪が明けて二条院に戻ると、美しく成長した紫の上と新枕を交わす。
「はかりなき 千尋の底の 海松(みる)ぶさの 生ひゆくすゑは 我のみぞ見む」光源氏
限りなく深い海底に生えている海松のように豊かに成長してゆくあなたの黒髪は私だけが見届けよう
「千尋とも いかでか知らむ 定めなく 満ち干る潮の のどけからぬに」紫の上
深い愛情を約束されてもどうして分りましょう落ち着きなく満ちたり干いたりする潮のようなあなたですから
返歌
「着飾った 紫の君 眺めては 千尋までもと 祝い言口に」
「姫君は 手近の紙に 書きつけて 初々しくも 満たされる思い」
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日々の歩み」カテゴリの最新記事