国内新聞の写真は『転載不可』と有りましたので、CNNから保存写真用にお借りしました。 記事も合わせて、引用させて頂いて置きたいと思います。
*** 以下引用 CNN.CO.JP 4/18付 ***
現役を引退した米航空宇宙局(NASA)のスペースシャトル「ディスカバリー」が17日、ジャンボ機の背に乗って米首都ワシントン郊外のダレス国際空港に到着した。 ディスカバリーにとってこれが最後のフライトとなり、今後は首都近郊のバージニア州にあるスミソニアン航空宇宙博物館別館で余生を送る。
*** 以下引用 終 ***
世界の富を集めた、アメリカ合衆国が其の威信を欠けて行った月旅行には、未だ持ってネット上では『嘘か真』かの論争が渦巻いておりますが、ディスカバリーが地球と宇宙の間を行き来したのは、紛れも無い事実。 今、其の最後の仕事が、観光資源に成るとのこと、真にうれしい話である。
上記の写真を見て、貧困層の中で生きる筆者に瞬間的に連想させられたのは、あの『緒形拳』主演の、 『楢山節考』である。 貧困の中で生きる庶民のムラとしての存在を守るために、役目を終えた年配者を山の中に捨てる、所謂口減らしと言う深刻なテーマである。
*** 以下引用 下記URLより ***
http://homepage2.nifty.com/kariba2/sakka/sakka11.htm
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『楢山節考』で深沢は食糧の乏しい飢えの村でひたすら棄老を生きる<おりん>という老婆を創り出した。 おりんは今年六十九歳で来年早々には姥捨山である<楢山>へ行かなくてはならない。
おりんはずっと以前からその心積りをして、準備万端整っているのだが、唯一の心残りは去年寡夫になった息子<辰平>の後妻がまだ決まっていないことだけであった。 それも運よく隣村から三日前に亭主の葬式がすんだばかりの後家が一人できたので、辰平の後添えにという話がきた。 それでは四十九日が済んだらすぐと話はその場でまとまった。 寡夫と後家は年さえ合えばそれでよいのである。 結婚など人生の些事にすぎない。 例えばその隣り村の後家<玉やん>は夫の四十九目もまだ終わらない祭りの日にやってくる。
うちの方でごっそうを食うより、こっちへ来て食った方がいいとみんなが云うもんだから、今朝めし前に来たでよ。
結婚の比重はついに一食の重さに及ばないかのごとくである。 そのうえ、おりんの家には誰も夢にも考えていなかった孫<けさ吉>の嫁<松やん>まで大きい腹をしてやって来たのである。 おりんはその松やんの食う量の多いのを見て
けさ吉の嫁に来たのじゃねえ、あのめしの食い方の様子じゃあ、自分の家を追い出されて来たようなものだ。
と思うのである。
こうして食いぶちが増えて、もし食糧の絶対量が足りなくなったらどうなるのか。 その飢えへの怯えを背景にして神がある。
もしほんとうに食糧が足りなくなって盗みが起こったら、どうするか。 そのときは<楢山さまに謝る>という神の名による制裁が行われる。 盗みが発覚するや即座に村人は跣(はだし)で喧嘩支度で現場に駆けつけねばならない。 そして駆けつけた者全員でその家の全食糧を奪い取って分配してしまうのである。
おりんの家で二人の家族が増えたころ、<雨屋>が楢山さまに謝ったのである。 おりんが駆けつけたとき、雨屋の亨主はすでに足腰が立たないほどなぐられており、それから<家探し>されて家中の全食糧は分配に給されたのである。 全食糧を奪われた雨屋の十二人の家族は夜陰にまぎれて村を立ち去って行く他ないのである。
盗みをしなくてはならないところまで追いつめられた雨屋の運命は例外ではない。 どの家でもぎりぎり崖っぷちに立たされていたのである。 だからこそ制裁はかくも厳しいのである。 食糧問題に対する無法な対処である盗みが厳しく咎められる一方で、その合法的な対処である棄老が推奨されるのである。
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*** 以上引用 終 ***
この信州のある村の出来事がそっくり、今の《 地球上 》で起きてている事と考えられないことも無いが、近い将来、地球が70億人を超える人口になったとき好むと好まざるとに関わらず、99%の貧困層はこうやって自分の体が、えぐられる様なお思いで家族を大自然の中に捨てるような時代が来ることに成らない様、一人ひとり《政治》の有り様、政治の進む方向に心して、行動する事を厭わない覚悟が必要と言う結論になるのだろうか・・・ 。
上記 CNN]の映像より
*** 以下引用 CNN.CO.JP 4/18付 ***
現役を引退した米航空宇宙局(NASA)のスペースシャトル「ディスカバリー」が17日、ジャンボ機の背に乗って米首都ワシントン郊外のダレス国際空港に到着した。 ディスカバリーにとってこれが最後のフライトとなり、今後は首都近郊のバージニア州にあるスミソニアン航空宇宙博物館別館で余生を送る。
*** 以下引用 終 ***
世界の富を集めた、アメリカ合衆国が其の威信を欠けて行った月旅行には、未だ持ってネット上では『嘘か真』かの論争が渦巻いておりますが、ディスカバリーが地球と宇宙の間を行き来したのは、紛れも無い事実。 今、其の最後の仕事が、観光資源に成るとのこと、真にうれしい話である。
上記の写真を見て、貧困層の中で生きる筆者に瞬間的に連想させられたのは、あの『緒形拳』主演の、 『楢山節考』である。 貧困の中で生きる庶民のムラとしての存在を守るために、役目を終えた年配者を山の中に捨てる、所謂口減らしと言う深刻なテーマである。
*** 以下引用 下記URLより ***
http://homepage2.nifty.com/kariba2/sakka/sakka11.htm
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『楢山節考』で深沢は食糧の乏しい飢えの村でひたすら棄老を生きる<おりん>という老婆を創り出した。 おりんは今年六十九歳で来年早々には姥捨山である<楢山>へ行かなくてはならない。
おりんはずっと以前からその心積りをして、準備万端整っているのだが、唯一の心残りは去年寡夫になった息子<辰平>の後妻がまだ決まっていないことだけであった。 それも運よく隣村から三日前に亭主の葬式がすんだばかりの後家が一人できたので、辰平の後添えにという話がきた。 それでは四十九日が済んだらすぐと話はその場でまとまった。 寡夫と後家は年さえ合えばそれでよいのである。 結婚など人生の些事にすぎない。 例えばその隣り村の後家<玉やん>は夫の四十九目もまだ終わらない祭りの日にやってくる。
うちの方でごっそうを食うより、こっちへ来て食った方がいいとみんなが云うもんだから、今朝めし前に来たでよ。
結婚の比重はついに一食の重さに及ばないかのごとくである。 そのうえ、おりんの家には誰も夢にも考えていなかった孫<けさ吉>の嫁<松やん>まで大きい腹をしてやって来たのである。 おりんはその松やんの食う量の多いのを見て
けさ吉の嫁に来たのじゃねえ、あのめしの食い方の様子じゃあ、自分の家を追い出されて来たようなものだ。
と思うのである。
こうして食いぶちが増えて、もし食糧の絶対量が足りなくなったらどうなるのか。 その飢えへの怯えを背景にして神がある。
もしほんとうに食糧が足りなくなって盗みが起こったら、どうするか。 そのときは<楢山さまに謝る>という神の名による制裁が行われる。 盗みが発覚するや即座に村人は跣(はだし)で喧嘩支度で現場に駆けつけねばならない。 そして駆けつけた者全員でその家の全食糧を奪い取って分配してしまうのである。
おりんの家で二人の家族が増えたころ、<雨屋>が楢山さまに謝ったのである。 おりんが駆けつけたとき、雨屋の亨主はすでに足腰が立たないほどなぐられており、それから<家探し>されて家中の全食糧は分配に給されたのである。 全食糧を奪われた雨屋の十二人の家族は夜陰にまぎれて村を立ち去って行く他ないのである。
盗みをしなくてはならないところまで追いつめられた雨屋の運命は例外ではない。 どの家でもぎりぎり崖っぷちに立たされていたのである。 だからこそ制裁はかくも厳しいのである。 食糧問題に対する無法な対処である盗みが厳しく咎められる一方で、その合法的な対処である棄老が推奨されるのである。
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*** 以上引用 終 ***
この信州のある村の出来事がそっくり、今の《 地球上 》で起きてている事と考えられないことも無いが、近い将来、地球が70億人を超える人口になったとき好むと好まざるとに関わらず、99%の貧困層はこうやって自分の体が、えぐられる様なお思いで家族を大自然の中に捨てるような時代が来ることに成らない様、一人ひとり《政治》の有り様、政治の進む方向に心して、行動する事を厭わない覚悟が必要と言う結論になるのだろうか・・・ 。
上記 CNN]の映像より