PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



釈尊「涅槃会(ねはんえ)」でした。パチパチ!
2月15日にお釈迦さまはインドのクシナガラという町の郊外、サーラ樹林の中で弟子たちに囲まれ、北枕で涅槃に入ります。亡くなった方を北枕にするのはこの故事から来ています。
「オー!マイブッダ!あなたがいなくなったら、私たちはこれからどうしたらよいのですか!」
と泣く弟子たちにお釈迦さまは「これからは健康の為に青汁を飲みなさい」、、、、とは言わず
「これからは、私の説いた教えがあなたたちを導いてくれます。そして、その「教え」とそれを守り実践していく「あなたたち自身」が拠り所となるのです」
とおっしゃいました。
これが有名な「自灯明 法灯明」(自らをともしびとせよ 仏の教えをともしびとせよ)です。


昼間、「あなたがPRINCOちゃんですか?」という奇特なウォーキングのご夫妻がやってきて、「十九夜塔」ってなんですか?と聞かれました。
↓これが円東寺の十九夜塔です。正面には如意輪観音様のレリーフがあり、文政四年辛巳二月吉日と彫られていますから、今から200年ほど前のものです。


かつて、庚申講や念仏講、柴咲コウとか様々な「講」がお寺にはありまして、お檀家さんが集まり、お茶を飲んだり、おちゃけを飲んだりしていました。
その中で十九夜講は若い奥様方が懐妊や安産を観音様にお祈りする会で、毎月19日の夜にお寺に集まって、住職がお経を唱え、みんなはお祈りをして、そのあと食事をしたり、お茶を飲んで帰って行ったのでしょう。
当時、その家の跡取りを産むというのはお嫁さんに課せられたもっとも大事な仕事だったでしょうから、なんとかして子どもが欲しいと一生懸命神仏にすがり祈願をしたんだと思います。

始まりはもちろんそういうことでしたが、やがて、サロン化していくのは世の習い。
かつて農家のお嫁さんは朝早くから夜遅くまで馬車馬のように働かされ、息をつく暇もありませんでした。ですから、月に一度、大手を振って夜に出かけ、舅姑の愚痴を言いあい、子育ての不安や悩みを相談する、そんな講(集まり)だったんだと思います。そして、そこで仲良くなった奥様方が、観音様へのお礼、友情の証、集まりの記念として建立したのが全国あちこちにある十九夜塔なのでしょう。

私はそういうの大好きなんです。村の鎮守の祭りの準備で若い衆が、どこそこの娘は色白でべっぴんだ、とかで盛り上がり、念仏講で婆さまたちが嫁の文句を言いあい、庚申講で、朝まで酒を飲む、、、、こういう地域の繋がりをウザったいもの、面倒くさいものとして切り捨てていったことで、失ったものは計り知れないと思うのです。

とりあえず、24日の市野谷いきいきサロン(敬老会)でちょっと提案してみようかなー。自民もあかん!民主もあかん!これからは生姜糖だと(^^)



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