今日でブログの開設から4000日になりました。
2007年2月25日にブログを始めてからちょうど11年経っています。
11年の間に、直前の記事の内容から見て、もしかしてこの人はもうこの世にいないのかなと思ったことがありました。
ある時を境にブログの時間が止まっていて、しかしその時までは確かにその人がこの世にいたことを示しているブログは、独特の静けさを持っています。
砂漠や廃墟といった言葉が思い浮かびます。
ネットの世界であっても生と死の温度差は伝わってくるなと思います。
この11年、私自身も色々なことがありました。
死にたいと思ったこともありますし、生きたいと思ったこともあります。
その繰り返しが人生なのかなと最近ふと思いました。
死にたい思いと生きたい思いは正反対なようでいて、互いにつながっていると思います。
死にたいと思っている時は生きたい気持ちが「待て、死ぬな」と生きるほうに引っ張っていきます。
生きたいと思っている時は、絶えず死にたい気持ちが後ろで気配を忍ばせていて、何かの拍子に落ち込んだ時はすかさず引っ張り込もうとします。
互いに引っ張り合っていて、自分自身の中にはどちらの気持ちもあるというのを認めてあげることが、自分自身を受け入れてあげるということかなと思いました。
常に生きる気持ちだけを持っていなくてはいけないのだ、死にたい気持ちなどわずかでもあってはならないのだと強迫観念のように思うよりは、健全な状態ではと思います。
11年、4000日ブログを見たり書いたりしてきた中で、ブログにはその人の魂が宿っているのを何度も実感しました。
他の人のブログでは根っからの明るさ、朗らかさを感じる文章が私の好きな文章で、これは私にはなかなか書けない文章だからです。
やはり生まれ持った性格の違いは自然と文章に現れると思います。
そしてどんな人にも「その人の特徴」があり、他の人の特徴を真似したり無理に偉そうな文章を使うより、自身の特徴を生かして書く文章がその人にとって一番良いと思います。
これからもこの気持ちを大事にしてブログを続けていこうと思います。
2007年2月25日にブログを始めてからちょうど11年経っています。
11年の間に、直前の記事の内容から見て、もしかしてこの人はもうこの世にいないのかなと思ったことがありました。
ある時を境にブログの時間が止まっていて、しかしその時までは確かにその人がこの世にいたことを示しているブログは、独特の静けさを持っています。
砂漠や廃墟といった言葉が思い浮かびます。
ネットの世界であっても生と死の温度差は伝わってくるなと思います。
この11年、私自身も色々なことがありました。
死にたいと思ったこともありますし、生きたいと思ったこともあります。
その繰り返しが人生なのかなと最近ふと思いました。
死にたい思いと生きたい思いは正反対なようでいて、互いにつながっていると思います。
死にたいと思っている時は生きたい気持ちが「待て、死ぬな」と生きるほうに引っ張っていきます。
生きたいと思っている時は、絶えず死にたい気持ちが後ろで気配を忍ばせていて、何かの拍子に落ち込んだ時はすかさず引っ張り込もうとします。
互いに引っ張り合っていて、自分自身の中にはどちらの気持ちもあるというのを認めてあげることが、自分自身を受け入れてあげるということかなと思いました。
常に生きる気持ちだけを持っていなくてはいけないのだ、死にたい気持ちなどわずかでもあってはならないのだと強迫観念のように思うよりは、健全な状態ではと思います。
11年、4000日ブログを見たり書いたりしてきた中で、ブログにはその人の魂が宿っているのを何度も実感しました。
他の人のブログでは根っからの明るさ、朗らかさを感じる文章が私の好きな文章で、これは私にはなかなか書けない文章だからです。
やはり生まれ持った性格の違いは自然と文章に現れると思います。
そしてどんな人にも「その人の特徴」があり、他の人の特徴を真似したり無理に偉そうな文章を使うより、自身の特徴を生かして書く文章がその人にとって一番良いと思います。
これからもこの気持ちを大事にしてブログを続けていこうと思います。