今回ご紹介するのは「推し、燃ゆ」(著:宇佐見りん)です。
-----内容-----
推しが、炎上した。
デビュー作『かか』で文藝賞&三島由紀夫賞、第二作となる本作で芥川賞を受賞。
21歳、驚異の才能、現る。
2021年1月第164回芥川賞受賞作。
-----感想-----
今年1月の芥川賞発表の時期に書店でこの小説を見かけ、第164回芥川賞受賞を知りました。
宇佐見りんさんのことは初めて知り、21歳という年齢の若さがまず印象的でした。
私に大きな影響を与えた綿矢りささんの「蹴りたい背中」という作品が2004年1月に史上最年少19歳で第130回芥川賞を受賞した時のことを思い出しました。
21歳での受賞は19歳綿矢りささん、20歳金原ひとみさん(綿矢りささんと同時受賞)に次ぐ史上3番目の若さです
もう一つ印象的だったのが「推し」という言葉でした。
推しとはアイドルグループのファンもしくはオタクの人が、特定の人物を特に応援する時に「この人を推す」という意味で使われる言葉です。
2010年代の初頭、アイドルグループAKB48が全盛時代を迎えて国民の間に広く知られた頃から「推し」という言葉をよく聞くようになったと思います。
その「推し」という言葉がタイトルに入り、アイドルを推す人を主人公にした作品が芥川賞を受賞したところに時代の流れを感じました。
史上3番目の若さでの受賞とともに興味を引き読んでみようと思いました
語り手は上野真幸(まさき)というアイドルを推す高校二年生の山下あかりです。
冒頭、「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。」という言葉で物語が始まります。
「燃える」とはネットでの「炎上」のことで、アイドルや企業などの不祥事の際に非難が殺到すると炎上状態になります。
あかりと同じくアイドルを推す友達の成美との会話で「チェキ」という言葉が登場し、アイドルと一緒に撮る写真のことをチェキと言います。
これもAKB48によって広まった言葉だと思います。
しかし言葉を聞いても一般層には分からない人も多いと思われ、文脈から写真のことだと分かるようになっていました。
成美はメンズ地下アイドルにはまっていて「あかりも来なって、はまるよ、認知もらえたり裏で繫がれたり、もしかしたら付き合えるかもしれないんだよ」と誘っていました。
「裏で繫がれる」というアイドルとの関係には嫌悪感を持ちました。
現実世界では2018年末、新潟県を中心に活動するアイドルグループの特定メンバーと裏で繫がりのあるオタク達が、そのメンバーとは別のメンバーを待ち伏せして襲撃する事件も起き、全国ニュースで連日報道される大事件に発展したことがあります。
そのこともあり「繫がり」には非常にダーティな、犯罪を誘発しかねないというイメージがあります。
作者の宇佐見りんさんも事件のことを知っているのかも知れないなと思いました。
私は特定のファンもしくはオタクの人と裏で繫がっているような人は、他のファンやオタクの人全てを裏切っているのでアイドルとは呼べないと思います。
冒頭の季節は夏です。
あかりが「寝起きするだけでシーツに皺が寄るように、生きているだけで皺寄せがくる。」と語り、これは良い表現だと思いました。
誰かと喋ったり、お風呂に入ったり、爪を切ったりといった身の回りの些細なことがあかりにとっては負担が重いようでした。
病院の受診で二つ診断名が付いたとあり、あかりは精神面で何かの病気を患っているようです。
あかりが4歳の時、12歳だった推しがピーターパンの舞台でピーターパン役をしているのを観た時に思ったことは印象的でした。
重さを背負って大人になることを、つらいと思ってもいいのだと、誰かに強く言われている気がする。
このことからあかりは大人になっていくのを辛いと思っていることが分かりました。
「重さ」とは身の回りのことを自身でしながら生きて行くことだと思います。
あかりはラジオ、テレビなどでの推しのあらゆる発言を書いて20冊を超えるファイルに綴じて部屋に置いてあり、かなりのオタクだと思いました。
私はファンとオタクの違いを「ファンはライトに応援」「オタクはディープに応援」と解釈しています。
あかりの「アイドルとの関わり方」への考えは印象的でした。
アイドルとのかかわり方は十人十色で、推しのすべての行動を信奉する人もいれば、善し悪しがわからないとファンとは言えないと批評する人もいる。推しを恋愛的に好きで作品には興味がない人、そういった感情はないが推しにリプライを送るなど積極的に触れ合う人、逆に作品だけが好きでスキャンダルなどに一切興味を示さない人、お金を使うことに集中する人、ファン同士の交流が好きな人。
あかりはアイドルの応援には様々なスタンスがあると考えていて、それ自体はそのとおりだと思います。
そして私の場合はあかりが挙げた例のほとんどはそれで良いのではと思いますが、唯一「推しのすべての行動を信奉」には「宗教を狂信的に崇拝」と似た怖さを感じます。
あかり自身のスタンスは「作品も人もまるごと解釈し続けること」とありました。
またあかりが偉いのは「自身のスタンスこそが優れていて他は劣等」とは考えていないことだと思います。
私が実際に見た例では、自身のスタンスと周りのスタンスを比べて「周りは劣等」のようにマウンティングしたり、「そのスタンスはなってないから私のスタンスに従え」のように仕切ろうとするタイプの人もいました。
そのように考えるようになったらお終いだと私は思います。
あかりは上野真幸の「ガチ勢」として他の人からも有名とのことです。
またあかりは推しがファンを殴ったことを事実と認め、さらにまだ本人も事務所もまともな記者会見での説明をしていない状態で「これからも推し続けることだけが決まっていた。」と語っていました。
この心境がコアなオタクの人らしいなという気がしました。
一般層の人は不祥事に際してはまず不信の目で見るようになり、記者会見での説明が行われるならそれを見て判断し、まともに説明しないともなればずっとイメージが悪いままになります。
そこがコアなオタクの人と一般層の人で大きく違うと思いました。
あかりは高校では保健室の常連とあり、登校はするものの教室で勉学をするのは難しいようでした。
学内での場面の情景描写で、「廊下窓から差し込む日差しが一段と濃くなり、西日に変わっていく。頬の肉が灼かれる。」とありました。
これは芥川賞系の「純文学小説」らしい良い表現だと思いました
最後の一言があるのが大きく、短い文章の中で厚みのある表現になっていると思います。
上野真幸は「まざま座」という男女混合アイドルグループに所属していて、2021年度で29歳になります。
他には斎藤明仁、立花みふゆ、岡野美奈、瀬名徹(とおる)というメンバーがいます。
このグループでは人気投票があり、CDを一枚買うごとに投票券が一枚付いていて好きなメンバーに投票出来ます。
結果次第で次のアルバムの歌割りや立ち位置が決まるとあり、これは明らかにAKB48など48グループの「選抜総選挙」をモデルにしているのではと思いました。
あかりは「未来永劫、あたしの推しは上野真幸だけだった。」と語っていて物凄い執着だと思いました。
推しのメンバーカラーが青色だからカーテンなど身の周りの物を徹底的に青く染め上げたとも語っていて、これも並々ならぬ入れ込みようだと思いました。
夏休みについては「推しを推すだけの夏休み」と語り、綿矢りささんの「蹴りたい背中」で主人公が夏休みを「どこまでも続く暇の砂漠」と表現したのと似たものを感じました。
今回は推しを推す楽しみがあるという点は違うもののどちらも高校のクラス内で孤立しているのは同じです。
「まざま座」のオフィシャルサイトで、予定していたライブに上野真幸を予定通り出演させると発表があった時、SNSは非難囂々(ごうごう)とありました。
これは責任を取らせずに活動だけしようとすれば実際にそうなると思います。
あかりは推しを推す資金を稼ぐために「定食なかっこ」というお店でアルバイトをしています。
そしてお客さんがたくさん来て忙しく動くのはかなり苦手なようで、上手く動けていない描写がありました。
印象的だったのが常連のお客さんから「ハイボールをちょっと濃いめに作ってくれない?」と頼まれた時で、そのお客さんは有料にならない範囲で多少濃いめにしてくれないか(おまけしてくれないか)という意味合いで言っていました。
しかしあかりは「普通だとこの値段、濃いめだとこの値段、大ジョッキだとこの値段」のように事務的な切り返しをし、お客さんは興醒めしたようでした。
例えば「仕方ないですね~」と愛憎良く応じ、実際のおまけの量はほんの少しにしたり、店長の指示を仰いでも良かったと思います。
ただしそういう立ち回りは苦手な人は本当に苦手だと思うので、この場面はあかりを可哀想に思いました。
あかりの漢数字の書き方への感性は面白かったです。
「一は一画、二は二画、三は三画で書けるのに、四は五画。逆に、五は四画だ。」とあり、今までこう考えたことはなかったので興味を引きました。
あかりの姉はひかりと言い、あかりが母親からちゃんと勉強をしろと叱られて「頑張ってるよ」と適当に返事をした時、頑張っているという言葉を使ったことにひかりが激怒する場面がありました。
適当な返事での「頑張っている」という言葉を本気で頑張っている人が聞くと頭にくるのだと思います。
上野真幸は投票のシステムを「このシステムはあまり良心的じゃない、ファンの子に投票してもらえるのは本当にありがたいけど無理はしないでほしい」とラジオでこぼしたりもしていて、これは良いと思いました。
アイドルがこの感性を忘れて「一枚でも良いから多くCDを買って投票してくれ」と、懐具合を考えずに催促するようになったら一般層からは白い目で見られることになるのではと思います。
あかりは前回1位だった推しが不祥事が原因で転落しないようにCDを50枚も買って投票していて、私はこの行為は不健全だと思いました。
記者会見でのまともな説明もせずに活動だけを再開した場合、一般層のみならずコアなオタク以外のファン層からも反発を受けるのは必至で、当然投票してくれる人の数も減り、そこから目を背けるわけには行かないのではと思います。
仮にあかりのようにコアなオタクの人が1人で大量に投票する戦法で順位を守ることが出来たとしても、その順位は実態とかけ離れたものになっていて信用もされないと思います。
夏休みが終わって新学期になると、あかりの体調が目に見えて悪くなります。
にきびが顔中から噴き出し、母親がそのにきびを汚いと言ったのは酷いなと思いました。
年頃の娘さんの、本人が一番気にしているであろうことをそのように言うとは、この母親は娘を愛していないのだなと思いました。
精神面の病気を患うあかりにとってこの母親の存在は不幸だと思います。
やがて冒頭の炎上事件から1年以上が経ちます。
アイドルグループ「まざま座」にも転機が訪れ、やはりそうなるだろうと思いました。
この頃になるとあかりの日常生活を送るのが困難な状態が一層酷くなっているように見えました。
あかりは「まざま座」の転機を見て決意を新たにしていて、「推すことはあたしの生きる手立てだった。業(ごう)だった。」とまで語っていて壮絶さを感じました。
最後は一体どうなってしまうのかと思いました。
あかりというオタクの「本人としては至極真面目に一生懸命推しているが、傍から見ると完全に狂気じみている」という状態が上手く描かれていました。
あかりがオタク活動について淡々と語っているのを読む時、その淡々とした雰囲気とは真逆の狂気を感じ、事件が起きるわけでもないのに独特の緊張感がありました。
本人が「推しのいない人生は余生だった。」と語っているように、精神面に病気を抱え普通の日常生活を送るのが難しいあかりにとって、推しを推すことだけが生きる希望なのだと思います。
それでも物語の最後、もしかしたら推しに頼らなくても生きていけるのではという予感がしたので、ぜひ推しを推す時のパワーを少しでも日常生活を送るほうに向けられるようになって行ってくれたらと思いました。
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