教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

結果報告とこれからについて

2006年11月02日 23時44分09秒 | Weblog
 今日は運動してから登校。某先生のデータ作成をした後、PDの結果が気になって早めに帰宅しました。
 自宅に帰りついたところ、ポストに封筒が。先日より情報収集していたところによると、今年は採用も不採用も封筒だったそうなので、空けるまでは何とも考えられない。すぐに開封して内容を確認。採用か不採用かを指示する文章が見つからない。ただ、でかでかと表示された申請内容の評価(全体のABC判定と細目ごとの点数判定)が、まっさきに目に付きました。この評価は、「不採用者」中における評価判定であって、採用者には連絡されない性格のもの。評価の上の方に、ほんの一文、目立たないように知りたかった結果が記されていました。

 平成19年度日本学術振興会特別研究員(PD)申請結果は、不採用、でした。

 ショックでなかった、といえばウソになります。ですが、それ以上に、結果がわかってスッキリした、と感じたのも事実です。この結果は、来年度の身の振り方を左右します。今日結果が出て、来年度どうすればいいか決められないこれまでの状態から、ようやく脱することができるので、スッキリしたのです。まぁ、何年もオーバードクターしている人や、学会賞などをとった人などと同じ土俵で戦わなきゃいけなかったのですから、対戦相手全員がマスター生だったDC1と結果が同じになるわけがない。2ch理系全般スレや「仮に研究する人生」で収集した採用者・不採用者情報によると、DCをとっていた人がPD申請に何度も失敗した事例もあるみたいだし、もともと甘い道ではなかったわけです。とにかく、結果は、今の私の実力を示すものだと解して、厳粛に受け止める次第です。ただ、春の申請の際に関わった諸先生方には、何とも言い難い申し訳ない気分です。甚大な協力を受け、かつ多大な迷惑をかけてしまった関係者の先生方、ご期待に応えられず、本当に申し訳ありませんでした。

 さて、問題はこれからどうするか。博士課程後期3年生でいられるのは、もちろん3月末までですが、D3生の博士請求のリミットは1月末くらいだそうです。さらにいろいろな手続きも時間がかかるので、私が博士論文を書くために残された時間は、実質的には12月半ば(シビアに言えば11月末)くらいまでなのです。それより先のことを決めるには、主任指導教員のY先生に相談するしかありません。まだ日も完全に暮れていなかったので間に合うかなと思い、主任指導教員のY先生と相談するため、再登校しました。Y先生は忙しそうでしたが、納得するまで相談に乗ってくれました。
 Y先生と話をした結果を踏まえて、次のように計画を立てました。まず、12月半ばに某学会の投稿結果が出るので、結果が出ると同時に動けるよう、それまでに博士論文の構想を立てる。投稿論文が採用されても(されなきゃ論外)、12月半ばではスケジュール的に難しいので、このシナリオは期待薄なようですが… 12月半ばの実現が無理ならば、2月半ばに開かれる講座会議(教育学講座の先生方の会議)が次の目標になります。この時の講座会議では、博士課程後期4年生を認めるかどうかという判断が下されるとのこと。4年生進学は、この1年間で博士論文が書ける、という確信がある者にのみ認められるそうなので、ここでも博士論文の構想が立っているかどうかが判断基準になります。すなわち、今の私がすべきことは、12月半ばまたは2月半ばまでに博士論文の構想を立てることなのです。
 Y先生も、構想を立てるために、書いたものをどんどん持ってこい(もちろん、今までもこの姿勢だったようですが、私が逃げていた…)、と言ってくださったので、論文指導を受けられる体制も整いました。そして、先生に見せるべき次の課題もハッキリしました。来年度の最大の問題である生計を立てる方法については、親に土下座してでも援助をもらって、足りない分はアルバイトで補っていくしかない。なお、PD不採用の場合、就職活動のことも考えていましたが、Y先生は私に対して、「就職活動をしなさい(=博論は書かないでよろしい)」とは、今日も今までもひと言もおっしゃったことがないので、ここは博論執筆に専念するべきだろうと思います。2月時点でもダメなら……考える時間はたっぷりあるでしょうから、そのときに考えたいと思います。

 とにかく、今後やるべきことは、博論構想を立てることに専念することです。とくに、今まで書いてきた論文を如何にまとめるか、という問題に向き合わなければなりません。やるべきことは今までと変わっていないようですが、今日で明らかに変わったことが一つあります。それは、Y先生に対する私の信頼。数々の直接的・間接的経緯(状況証拠からの憶測も含む)から、今までどうしても一歩を踏み出せない自分がいましたが、ここはY先生を信じてやっていきたいと思います。学生が指導者を信じることができなければ、絶対に目的を達成することはできないから。ましてや、今までほぼ一人でやってきた(つもり)の私は、失敗続きで来ているのだから。そして何より、私のテーマに興味を持ってくださり、根気よくつきあってくださっているY先生の誠意に応えなくてはいけないから。
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