今日は起床失敗。運動してから登校しようと思ったら、体育館の臨時休館日でした。振替休日か?(笑)
登校後、某先生のデータ作成。ついでに国立国会図書館の近代デジタルライブラリーを利用して、史料のプリントアウト。少しずつしかプリントアウトできないので、ちょっと不便。でも、大量の明治期の史料が無料で使えるのは、とてもうれしい。思った以上に時間がかかってしまい、キリがいい時にはすでに暗くなってしまいました。データ作成ははかどったけども、予定の仕事はほとんどできず。また、次に読む予定の図書館の本をコピーする。
最後に、中村著をまとめて今日は終わり。
今日まとめる論文は、中村春作「いま、『儒教』を論じるということ」(『江戸儒教と近代の「知」』第1章、ぺりかん社、2002年、11~44頁)です。この章で論じているのは、現代の日本思想史研究者にとっての儒教論とは、近代における「アジア論」の中になぜどのように儒教論が現れるか、なぜ中国対日本を往復する形で儒教論が収束するのか、といことを問題にする論だ、ということです。
現代のアジアでは、冷戦後のイデオロギーの権威喪失や情報・商品等の世界的同時化を受け、国民国家のあり方や国民としての自己認識が揺らいでいます。現代のアジア論は、アジア内部から出された西洋文明へのナショナリズム的な対抗言説として、非西洋的価値としての幻想的な儒教像を拠り所としてきました。とくに1980年代~90年代半ばにかけては、東アジア共通の議題であるかのように、「儒教文化圏」(または「漢字文化圏」)を中心概念として、議論が展開されました。儒教文化圏論争の特徴は、個人主義・法律万能主義が問題になった西欧社会に対する西欧知識人の問題意識を土台とした、「アジアの一貫性」というオリエンタリズムに基づいて発生したことです。儒教文化圏論の問題は、M・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と精神』のアジア版として、儒教を東アジア諸地域の社会的環境のなかに合目的的に読み込んでいった点にありました。儒教文化圏論の中では、儒教文化が東アジアの近代化・資本主義経済発展に効率よく働いた理由として扱われ(近代化を促進する儒教文化)、儒教文化の権威主義的政治システムや官僚制度の硬直化などの問題に対する視点は十分ではありませんでした。しかし、次第に儒教文化が一様でないことが確認され、儒教文化圏という概念は、文化類型の区分として適用可能な一般的モデルたりえないことが確認されていきました。
儒教文化圏(漢字文化圏)論争は、文化類型論としては不十分な結果に終わりましたが、他方で2つの儒教研究の新しい視点を生み出した。第1の新視点は、従来のような「教義や学説の歴史的解読にみられる儒教」だけではなく、「当該社会の文化構造(社会制度)としての儒教」という視点でした。第2の新視点は、西欧からアジアを論じるのではなく、アジア内部からアジアを論じる視点でした。アジア内部からのアジア論は、冷戦後におけるイデオロギーの権威喪失や情報・商品等の世界的同時化を受けて国家・国民像の揺らぎに対応するため、自らの国家・自己認識の拠り所として儒教を論じていきました。云々…
と、前半3分の2ほどをまとめましたが、どうしても本文では理解できない部分が出てきて2時間以上悩む。儒教文化圏論争において見られる、東アジア諸国における国家・国民像形成における儒教像の役割と、18~20世紀前半までの知識人たちの教養内部でなされた儒教の意味変容やコード変換およびその国民国家形成における役割とが、私の頭の中でどうしてもつながらないのですよ。近代国民国家形成期の儒教論が現代のアジア論まで歴史的・思想的につながるものだと言おうとしているのか、単に現代のアジア論の考察から18~20世紀の儒教研究の新しい視点・方法を得ようとしただけなのか。前者なら、同著では日中戦争中の東洋思想までしか論じていないので消化不良だし、後者なら、なぜ現代のアジア論と18~20世紀の儒教研究がつながるかわからないし。どちらでもないなら、私には読みとれないし。まぁ、儒教論とはこういう問題に関わる論なんだ!ということがわかれば、第2章以降は読めるんだけど…
うぅ~。以前最初に読んだときもそうだったのですが、やっぱり今日も理解し切れなくて、思考がぐるぐるまわっています(苦笑)。もうダメ~…
登校後、某先生のデータ作成。ついでに国立国会図書館の近代デジタルライブラリーを利用して、史料のプリントアウト。少しずつしかプリントアウトできないので、ちょっと不便。でも、大量の明治期の史料が無料で使えるのは、とてもうれしい。思った以上に時間がかかってしまい、キリがいい時にはすでに暗くなってしまいました。データ作成ははかどったけども、予定の仕事はほとんどできず。また、次に読む予定の図書館の本をコピーする。
最後に、中村著をまとめて今日は終わり。
今日まとめる論文は、中村春作「いま、『儒教』を論じるということ」(『江戸儒教と近代の「知」』第1章、ぺりかん社、2002年、11~44頁)です。この章で論じているのは、現代の日本思想史研究者にとっての儒教論とは、近代における「アジア論」の中になぜどのように儒教論が現れるか、なぜ中国対日本を往復する形で儒教論が収束するのか、といことを問題にする論だ、ということです。
現代のアジアでは、冷戦後のイデオロギーの権威喪失や情報・商品等の世界的同時化を受け、国民国家のあり方や国民としての自己認識が揺らいでいます。現代のアジア論は、アジア内部から出された西洋文明へのナショナリズム的な対抗言説として、非西洋的価値としての幻想的な儒教像を拠り所としてきました。とくに1980年代~90年代半ばにかけては、東アジア共通の議題であるかのように、「儒教文化圏」(または「漢字文化圏」)を中心概念として、議論が展開されました。儒教文化圏論争の特徴は、個人主義・法律万能主義が問題になった西欧社会に対する西欧知識人の問題意識を土台とした、「アジアの一貫性」というオリエンタリズムに基づいて発生したことです。儒教文化圏論の問題は、M・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と精神』のアジア版として、儒教を東アジア諸地域の社会的環境のなかに合目的的に読み込んでいった点にありました。儒教文化圏論の中では、儒教文化が東アジアの近代化・資本主義経済発展に効率よく働いた理由として扱われ(近代化を促進する儒教文化)、儒教文化の権威主義的政治システムや官僚制度の硬直化などの問題に対する視点は十分ではありませんでした。しかし、次第に儒教文化が一様でないことが確認され、儒教文化圏という概念は、文化類型の区分として適用可能な一般的モデルたりえないことが確認されていきました。
儒教文化圏(漢字文化圏)論争は、文化類型論としては不十分な結果に終わりましたが、他方で2つの儒教研究の新しい視点を生み出した。第1の新視点は、従来のような「教義や学説の歴史的解読にみられる儒教」だけではなく、「当該社会の文化構造(社会制度)としての儒教」という視点でした。第2の新視点は、西欧からアジアを論じるのではなく、アジア内部からアジアを論じる視点でした。アジア内部からのアジア論は、冷戦後におけるイデオロギーの権威喪失や情報・商品等の世界的同時化を受けて国家・国民像の揺らぎに対応するため、自らの国家・自己認識の拠り所として儒教を論じていきました。云々…
と、前半3分の2ほどをまとめましたが、どうしても本文では理解できない部分が出てきて2時間以上悩む。儒教文化圏論争において見られる、東アジア諸国における国家・国民像形成における儒教像の役割と、18~20世紀前半までの知識人たちの教養内部でなされた儒教の意味変容やコード変換およびその国民国家形成における役割とが、私の頭の中でどうしてもつながらないのですよ。近代国民国家形成期の儒教論が現代のアジア論まで歴史的・思想的につながるものだと言おうとしているのか、単に現代のアジア論の考察から18~20世紀の儒教研究の新しい視点・方法を得ようとしただけなのか。前者なら、同著では日中戦争中の東洋思想までしか論じていないので消化不良だし、後者なら、なぜ現代のアジア論と18~20世紀の儒教研究がつながるかわからないし。どちらでもないなら、私には読みとれないし。まぁ、儒教論とはこういう問題に関わる論なんだ!ということがわかれば、第2章以降は読めるんだけど…
うぅ~。以前最初に読んだときもそうだったのですが、やっぱり今日も理解し切れなくて、思考がぐるぐるまわっています(苦笑)。もうダメ~…