春風の強い日が続く.
今日は、藤沢周平氏の「一茶」のご紹介.
別冊文藝春秋1977年春~1978年新春にて出版
小林一茶は、1763年に生まれ、1827年に65歳にて
亡くなったが、その間に2万句を作ったと言われている.
信州は、柏原で生まれ、江戸との往復が何回かあったが
結局同じ柏原で一生を終える.
以前北陸へのドライブで、一茶の家を見たことがありました.
小さな土蔵って感じでした.
俳諧師という聞こえはいいが、半分乞食のような生活、、
実母が早くなくなり、継母に追い出された一茶は当てもなく
江戸に行かされる.
初めから俳諧師等というものになる意思はなかったが、
今日の食事も確保できない環境に追いやってしまった.
継母、父は、やはり親としての責任は問われるでしょう.
皮肉にも苦労した故、一茶らしい俳句ができたんでしょう.
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(文春文庫ふ1-42ブックカバーより一部引用させて頂きました)
代表作
・秋寒むや ゆく先々は 人の家
・秋の風 乞食は我を 見くらぶる
・瘠蛙 まけるな一茶 是にあり
・やれ打つな 蠅が手を摺り 足をする
ついでに私から
・春風が 運んできたよ 花粉をね オソマツ.
今日は、藤沢周平氏の「一茶」のご紹介.
別冊文藝春秋1977年春~1978年新春にて出版
小林一茶は、1763年に生まれ、1827年に65歳にて
亡くなったが、その間に2万句を作ったと言われている.
信州は、柏原で生まれ、江戸との往復が何回かあったが
結局同じ柏原で一生を終える.
以前北陸へのドライブで、一茶の家を見たことがありました.
小さな土蔵って感じでした.
俳諧師という聞こえはいいが、半分乞食のような生活、、
実母が早くなくなり、継母に追い出された一茶は当てもなく
江戸に行かされる.
初めから俳諧師等というものになる意思はなかったが、
今日の食事も確保できない環境に追いやってしまった.
継母、父は、やはり親としての責任は問われるでしょう.
皮肉にも苦労した故、一茶らしい俳句ができたんでしょう.
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(文春文庫ふ1-42ブックカバーより一部引用させて頂きました)
代表作
・秋寒むや ゆく先々は 人の家
・秋の風 乞食は我を 見くらぶる
・瘠蛙 まけるな一茶 是にあり
・やれ打つな 蠅が手を摺り 足をする
ついでに私から
・春風が 運んできたよ 花粉をね オソマツ.