先月1月28日、BSプレミアムで、「加山雄三 密着!最後のステージ」と題した番組が
ありました。
加山雄三さん、、御存じ、お父さんは上原謙さん、お母さんは、小桜葉子さん、
実家は、茅ケ崎市でした。
オイラの実家も茅ケ崎市だったので、勝手においらには、身近な存在の方でした。
茅ケ崎の駅の南口から海の方へ「雄三道路」を、まっすぐ歩けば、ほどなく実家がありました。
幼少の頃の雄三少年
若い頃は、茅ヶ崎海岸から見える「烏帽子岩」まで(約1.7Km)泳いでいた、という。
烏帽子岩は、オイラの実家のあったラチエン通りからまっすぐの方向にある。
ので、当然海の好きなオイラ、26歳位だったが、烏帽子岩へ泳いだことが、
あったが、近くになると、江の島方向(東南)の海流が強く、沖の方向なので
戻れなくなるのでは?、、危険を感じて断念した記憶があります。
(注:ラチエン通り近辺の海は、「遊泳禁止」でした!愚かな若輩者!スミマセン)
茅ケ崎海岸に彼がオーナーだった、「パシフイックホテル」がありました。
オイラの実家からも、ホテルは近かったので、結構な頻度で訪れていました。
夏には、ホテル前の海岸は、遊泳禁止なので、ホテルのプールにも
行ったことあります。確か2時間で、¥1200。
又、ここには、ボーリング場があって、朝7時前は、早朝割引がありました。
¥100/ゲームと、当時の相場の3分の1、、若者にとって見逃すはずありません。
ピンク色のスコアペーパーが早朝割引ペーパー、ここには、結構通いましたね。
ボーリング場から窓越しでプールがありました、そこでプールでの加山氏を
見たことがあります。真っ黒でしたが、テレビより、細くみえました。
ここでは、兄の結婚披露宴もやった記憶があります。
ともかく、オイラにとって身近な散在でした。。
沢山のエレキの若大将等で、人気だった雄三氏でしたが、突然悲劇がやって来ました。
オーナーだった、パシフイックホテルが、倒産!!
一気に天国から地獄のような事態になりました。
地方のキャバレー等での生活が、6年間続きました。
でも、彼は、頑張りました。。
見事に、負債の返済を完了したのです。。
その後、今度は、身体の不調、、脳閉塞、小脳出血!
特に、小脳出血の時は,危険で、身内さんには、覚悟を言われたようです。。
つらい事が重なりましたが、彼は、不死鳥の様に頑張りました!
「いいとこの坊ちゃんと言われたくない」、、加山氏は、そう言っています。
歩まれてきたこういう人生を知れば、
「そうですね、御苦労された!」と、言いたいです。
また、彼は素晴らしい絵画も書いています。
毎年藤沢駅前のさいか屋で展示会やってました。オイラは何回も見ていますが
とても繊細な、素晴らしい作品でした。
更に80歳過ぎても、野外ライブにも出演しています。
最近になって、指が動きにくい→得意のピアノ、ギターがうまく弾けない、、
更に、声も高い音が、出にくい。。
この辺が引き際かな?、、と、雄三さんは、そう思われたのだと思います。
最後の演奏は、海の男らしく、ASUKAⅡで、昨年12月7日~8日に行いました。
彼にふさわしく、庭みたいな、相模湾一周、、、
その日の船長という立場で、お客様に最後のお礼を発しています。
これで最後のつもりでしたが、NHKから、紅白出場のお願いがありました。
加山氏は、名誉な事と、快諾して、昨年2022年紅白に最後の出演をしました。
2022年12月31日NHK紅白歌合戦、
加山雄三氏最後のテレビ出演。。
永遠の若大将!ありがとう!
会場からは、割れんばかりの拍手、、でした。。
紅白終了後、お迎えの車には、めぐみ夫人が同乗されてました。
めぐみ夫人の献身的な支えがあったればこそ、、、だと思います。
そう思うと、めぐみ夫人は、偉大な存在だと思います。
注:(今は、卒婚して、めぐみ夫人は、アメリカに行っていますが、
夫婦不仲ではありません。お二人共、グリーンカード’(米永住権)お持ちですが
加山氏は、エンターテナー、、でも、めぐみ夫人は、そういう特権がないので年間に
半年?は米本国にいないといけませんから、アメリカに行っているのです。)
なんという素晴らしい夫婦、、
加山雄三さん!いつも元気をくれました!
ありがとうございます。。
めぐみ夫人といつまでもお元気で!
スキーも上手くスポーツ万能、絵画など何でもこなすスーパーマン。
85歳にして、永遠の若大将です。
10年程前、飛鳥Ⅱに乗ったことがありますが、客席はそんなに多くないけど、若大将には「海」という 大舞台だったんでしょう。
70歳現役バリバリコンビニオーナー爺です雄三さんは
青春でした
銀座のケネディハウスの
ライブ。ものすごく狭い
しかし目の前^_^のライブは
最高❣️でした👍