今日は、昨日同様曇りです。
それ程、暑くもないので気持ちいいです。
今日は、先日亡くなられた、故ジエリー藤尾氏のことを書きたい。
芸能生活60年!、、結構、彼への世間の目は、厳しいが、そこには、誤解もあったようだ。
オイラも、彼のことは、少し誤解していたこともあったようだ。
今日は、先日2021年9月6日BS日テレで
「歌謡プレミアム追悼▽ジエリー藤尾」の番組と、ウイキペデイアから。。
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ジエリー藤尾(1940年6月26日~2021年8月14日)81歳。
慢性閉塞性肺疾患(COPD)のため。。
彼は、父:藤尾薫宏氏(NHK,英語アナウンサー)と、母:英国国籍の
オリビア・ヒース・ゴンザレスさんの子供である。
戦後、母は、言葉で差別を受け、アルコール依存症になってしまい、
吐血して、台所で、28歳の若さで亡くなった。
中1だったジエリーが帰宅した時に、発見している。。。
可哀そう、、まだまだ甘えたい年齢のはず。。
厳しい家庭環境、、おいら的には、強く同情したい。。
素行は、結構乱暴だったが、東京で、ジャズ喫茶で飛び入りで歌を歌ったのがきっかげで、
シンガーの道が開かれる。。歌がうまかったんだね。
1958年、「ダニー飯田とパラダイスキング」バンドに入ったが、坂本九氏が入ってきて
たった15日間で首になり、「水原弘とブルーソックス」のメインシンガーとなる。
1962年「夢で逢いましょう」出演し、今月の歌で「遠くへ行きたい」が大ヒットしている。
彼は、この曲のレコーデングで、翌朝までかかって、大変だった、という。
間違えれば、全て最初から、、、バンドマン達の嫌な顔をみて、
「しょうがないだろう!歌えないんだから、、」と言ったら、みんなあきらめたとか(笑)。
(後に、ジエリーは、この歌は、中村八大氏が、アメリカで日本恋しい、、で曲ができ、
それに唄を永六輔氏が付けた、と言っている)
彼の人生の中で、大きな事件があった。
1985年に、夫婦不仲が生まれ、1986年に離婚した。
当初、まわりでは、ジエリーの素行が、問題視された、、
が、娘2人はジエリー側についた。。
子供達が、父親についた、、どういうこと?
大分時間が経ってからだが、母親の方の素行や、男性関係があることが分かった。
ジエリー藤尾は、ずっと、何も言わなかった!
男だねえ、、このあたり、オイラは、彼を見直した。
ジエリー藤尾は、自分のバンドとして「パップ・コーンズ」がある。
このメンバーには、高木智之(後の、高木ブー)、仲本興喜(後の仲本工事)がいた。
ここに来て、「ゆめあい」(夢で会いましょう)の出演仲間がなくなっていることは
当時を知る者として、とても寂しいです。
・中島弘子氏(司会)、1926年~2021年7月、95歳
・坂本スミ子氏(歌手)、1936年11月25日~2021年1月23日、84歳
・梓みちよ氏(歌手)、1943年6月4日~2020年1月29日、76歳
・ジエリー藤尾氏(歌手)、1940年6月26日~2021年8月14日、81歳
夢であいましょう、、すごい番組でした。
この番組の今月の唄から、以下の大ヒット曲がうまれていますね。
幼い時に、母を亡くし、家庭的には、苦労したと思うけど、自分の人生を
正直に、しっかり生き抜いた方だと思います。
改めて、ジエリー藤尾氏の、ご冥福をお祈り致します。。
ご冥福をお祈り致します!
「夢で逢いましょう」は、民放の「シャボン玉ホリデー」と相対する歌・コメント番組で、多くのヒット曲が生まれています。
サブちゃん「俺も、<帰ろかな>は のびのびと気持ちを込めて歌ってたよ」