メキシコ旅行記2015/10/5~12 ⑮メリダから移動し
後半のハイライト憧れのチチェン・イッツァ(スペイン語: Chichén Itzá)遺跡へ
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☆昨年10月のメキシコ旅行記をゆっくり更新中☆
メキシコ5日目は、早朝に起きだし
ホテルに頼んだタクシーで
バス乗り場まで、
まだ町は眠っている、
ADOバスステーションに着くと
まずは時刻表で自分達の乗る
バスを確かめ
売店で飲み物とサンドイッチを買った。
まだ6時を少し過ぎたところ。
定刻6:30バスは出発、
一番前の席を予約していたので
高い視線でまっすぐな道を眺めた、
道路はすぐに家も無い
この道路を作る為に
切り開いた林の中を
結構なスピードで突っ走っていく。
だんだん空が明るくなり
8時15分頃、
チチェン・イツァー遺跡の入口に到着、
待っていてくれた現地ツアー会社
ルートツアーズ / RUTO TOURSの
小林さんと合流した。
スーツケースを車に預かってもらい
身軽になっていよいよ
後半のハイライト
チチェン・イツァー遺跡見物だ。
すでに凄く暑く、
まだ遺跡を見る前なのに
何か冷たいものが飲みた気分、
かなり立派なゲートを抜け
少し通路を登ると
またしても眼前に
ドーンとエルカスティージョが現れる。
一気に別の時代に迷い込んだような
不思議な気持ちになるが
それよりもその圧倒的な美しさに
目を奪われる、
ククルカン神殿とも呼ばれ
春分と秋分の日に
太陽の影が蛇の体を形作るという
有名なアレ。
ここにはいくつかの大きな建造物が
残っているが
旧チチェンというマヤ独自の文明の
古典期とされる6世紀頃から
新チチェンとされるトルテカ文明と
融合した10世紀頃のものが
広大な密林の中に残された。
自分達はその1000年から1500年くらい
前の遺跡を同時に見ることになるが
同じ場所でも
マヤ人たちは周辺に移り住んでは
遷都を繰り返したとされている。
太陽を遮る場所が無いので
スゴク暑い、
また小さなハエなのか虫が結構いるのに
持ってきた虫よけスプレーは
預けたスーツケースの中・・・・意味ない。
戦士の神殿の上には
博物館でも見たチャックモールがあり
下からその姿がシルエットとなって
僅かに見える、
神殿には登れないので
近くで見られないのが残念だ。
マヤの天文台だったとされる遺跡は
かつてマヤ人たちは
夜空を見上げ、星の動きを計測し
かなり正確な暦を作っていて
そういうことを聞くと
現代に生きて
色んな知識があっても
自分には同じ様なことは出来そうもないわけで
そう考えると、知識って何だろう?
知っていることと
それを本当に理解している事の間には
結構深い溝があって、
詳しくは知らなくても使えるって
やはり凄いことだなぁと実感。
このチチェン・イツァーの時代は
祭壇には生贄の心臓が捧げられ
神殿の階段はそんな神に捧げられた
人間の地で真っ赤に染まっていたらしく
日本の飛鳥から平安時代に
この地では相変わらず天の神を恐れ
祈りには人の命が捧げられたわけで
文化、文明の差って
場所や歴史でこうも違うのかと考える。
それでもこういった遺跡に
何か大きな力を感じ
遠い日本から見に来る訳だから
現実としての遺跡と
そこに自分の寄せる想いは
なかなか言葉では言い表せない。
だからこうして自分の目で
実際のものを見て触って
確かめたいのだろう。
今日は朝早くから
久々にバックパッカー時代のように
自分でバスを手配し
遺跡前でガイドさんと待ち合わせ
念願だった遺跡を見る事が出来た。
このあとこの周辺にいくつかある
セノーテの一つに実際に入って
泳ぐらしい。
初めての場所での移動は
やはり現地ツアーが便利だ。
@@@
チチェン・イッツァ(スペイン語: Chichén Itzá)は
1988年に世界遺産に登録された
メキシコのマヤ文明の遺跡。
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メキシコ5日目は、早朝に起きだし
ホテルに頼んだタクシーで
バス乗り場まで、
まだ町は眠っている、
ADOバスステーションに着くと
まずは時刻表で自分達の乗る
バスを確かめ
売店で飲み物とサンドイッチを買った。
まだ6時を少し過ぎたところ。
定刻6:30バスは出発、
一番前の席を予約していたので
高い視線でまっすぐな道を眺めた、
道路はすぐに家も無い
この道路を作る為に
切り開いた林の中を
結構なスピードで突っ走っていく。
だんだん空が明るくなり
8時15分頃、
チチェン・イツァー遺跡の入口に到着、
待っていてくれた現地ツアー会社
ルートツアーズ / RUTO TOURSの
小林さんと合流した。
スーツケースを車に預かってもらい
身軽になっていよいよ
後半のハイライト
チチェン・イツァー遺跡見物だ。
すでに凄く暑く、
まだ遺跡を見る前なのに
何か冷たいものが飲みた気分、
かなり立派なゲートを抜け
少し通路を登ると
またしても眼前に
ドーンとエルカスティージョが現れる。
一気に別の時代に迷い込んだような
不思議な気持ちになるが
それよりもその圧倒的な美しさに
目を奪われる、
ククルカン神殿とも呼ばれ
春分と秋分の日に
太陽の影が蛇の体を形作るという
有名なアレ。
ここにはいくつかの大きな建造物が
残っているが
旧チチェンというマヤ独自の文明の
古典期とされる6世紀頃から
新チチェンとされるトルテカ文明と
融合した10世紀頃のものが
広大な密林の中に残された。
自分達はその1000年から1500年くらい
前の遺跡を同時に見ることになるが
同じ場所でも
マヤ人たちは周辺に移り住んでは
遷都を繰り返したとされている。
太陽を遮る場所が無いので
スゴク暑い、
また小さなハエなのか虫が結構いるのに
持ってきた虫よけスプレーは
預けたスーツケースの中・・・・意味ない。
戦士の神殿の上には
博物館でも見たチャックモールがあり
下からその姿がシルエットとなって
僅かに見える、
神殿には登れないので
近くで見られないのが残念だ。
マヤの天文台だったとされる遺跡は
かつてマヤ人たちは
夜空を見上げ、星の動きを計測し
かなり正確な暦を作っていて
そういうことを聞くと
現代に生きて
色んな知識があっても
自分には同じ様なことは出来そうもないわけで
そう考えると、知識って何だろう?
知っていることと
それを本当に理解している事の間には
結構深い溝があって、
詳しくは知らなくても使えるって
やはり凄いことだなぁと実感。
このチチェン・イツァーの時代は
祭壇には生贄の心臓が捧げられ
神殿の階段はそんな神に捧げられた
人間の地で真っ赤に染まっていたらしく
日本の飛鳥から平安時代に
この地では相変わらず天の神を恐れ
祈りには人の命が捧げられたわけで
文化、文明の差って
場所や歴史でこうも違うのかと考える。
それでもこういった遺跡に
何か大きな力を感じ
遠い日本から見に来る訳だから
現実としての遺跡と
そこに自分の寄せる想いは
なかなか言葉では言い表せない。
だからこうして自分の目で
実際のものを見て触って
確かめたいのだろう。
今日は朝早くから
久々にバックパッカー時代のように
自分でバスを手配し
遺跡前でガイドさんと待ち合わせ
念願だった遺跡を見る事が出来た。
このあとこの周辺にいくつかある
セノーテの一つに実際に入って
泳ぐらしい。
初めての場所での移動は
やはり現地ツアーが便利だ。
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チチェン・イッツァ(スペイン語: Chichén Itzá)は
1988年に世界遺産に登録された
メキシコのマヤ文明の遺跡。
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