メキシコ旅行記2015/10/5~12 ⑫ウシュマルとカバー遺跡見物
ペリカントラベル手配の現地ツアー
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@昨年10月のメキシコ横断旅行記ゆっくり更新中@
少し前までは
事前に予約するのは
航空券と最初のホテルくらいだった。
ここ数年で旅のスタイルが変わった、
事前に殆んどを予約して
現地調達ということが
ほとんどなくなった。
以前のように時間を気にしないで
気軽に旅立つという旅行から
最近のように1週間以内くらいで
決めた日程で動くというスタイルへの変化で
考えて見れば
出発前に決めたコースを
現地でなぞってるだけなのかも。
とはいえ、短い日程なので
ツアーの利用は効率が良い。
本日の「ウシュマルとカバー遺跡見物」ツアーは
英語の混載ツアーなので
説明は詳しくは分からないので
最初から放棄して
トランスポート代わりと考えて乗り込んだ。
メリダ市内からさらに内陸方向へ
1時間あまり
細い一本道に入ると
「ウシュマル遺跡」に到着した。
すでに10時過ぎ、太陽は高く
物凄く暑い。
最初に目の前にドーン!と
登場するのは「魔法使いのピラミッド」と
呼ばれている、高さ38メートルの
巨大な建造物で小さな石組みで
中央には上まで続く階段がある、
以前は登れたようだが
現在は見るだけ。
青い空にそびえるように立っていて
その場を圧倒している。
きれいに修復され
内部にはいくつか部屋もあるそうだ。
伝説で、小人が一夜にして
作り上げたと言うところから
名付けられたが、
8世紀から11世紀の300年間で
現在の形に出来たとされている。
日本は大化の改新後の
奈良時代や平安時代に相当、
そうやって比べて見ると
こういう建造物はスゴイが
文化的には日本の方が
進んでいたようだ。
遺跡の間を進んでいくと
サッカー場のような施設に出る、
まるい円形のゴールに
ボールを入れて競技をしたようで
言い伝えによると
勝者が自分達の命を
喜んで神に捧げたようで、
説明を聞いていても
自分なら試合には勝ちたくても
勝ったら死んでしまうわけで
頑張れない競技だったような
不思議な感覚だった。
ガイドさんはこの近くの村の出身で
この遺跡を案内出来ることは
自分の喜びだと言い、
ここでは部族間の争いで
奴隷を生贄にするような事は無かった、
その意味でチェチェンイツァーとは
違うのだと力説していた。
この遺跡の方が素晴らしいと
何度も言っていたのが
印象的だった。
奥の大きな建造物の上から
遠くまでが見渡せる、
密林の遺跡にふさわしい景色、
とにかく暑いが
そんなことを一瞬忘れさせる
1000年くらい変わらない景色だ。
1時間程の解説を聞いたあとは
自由散策の時間、
歩き回るというより
日陰を探しては
時々写真というローテーション。
この旅行を計画するまでは
名前もよく知らなかった遺跡だが、
かなりの規模と遺跡の内容で
来て良かったと実感した。
この後は近くの小規模な
カバー神殿へ
ツアーバスに乗り込んだ。
クーラーガンガンで気持ち良い。
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事前に殆んどを予約して
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以前のように時間を気にしないで
気軽に旅立つという旅行から
最近のように1週間以内くらいで
決めた日程で動くというスタイルへの変化で
考えて見れば
出発前に決めたコースを
現地でなぞってるだけなのかも。
とはいえ、短い日程なので
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最初から放棄して
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メリダ市内からさらに内陸方向へ
1時間あまり
細い一本道に入ると
「ウシュマル遺跡」に到着した。
すでに10時過ぎ、太陽は高く
物凄く暑い。
最初に目の前にドーン!と
登場するのは「魔法使いのピラミッド」と
呼ばれている、高さ38メートルの
巨大な建造物で小さな石組みで
中央には上まで続く階段がある、
以前は登れたようだが
現在は見るだけ。
青い空にそびえるように立っていて
その場を圧倒している。
きれいに修復され
内部にはいくつか部屋もあるそうだ。
伝説で、小人が一夜にして
作り上げたと言うところから
名付けられたが、
8世紀から11世紀の300年間で
現在の形に出来たとされている。
日本は大化の改新後の
奈良時代や平安時代に相当、
そうやって比べて見ると
こういう建造物はスゴイが
文化的には日本の方が
進んでいたようだ。
遺跡の間を進んでいくと
サッカー場のような施設に出る、
まるい円形のゴールに
ボールを入れて競技をしたようで
言い伝えによると
勝者が自分達の命を
喜んで神に捧げたようで、
説明を聞いていても
自分なら試合には勝ちたくても
勝ったら死んでしまうわけで
頑張れない競技だったような
不思議な感覚だった。
ガイドさんはこの近くの村の出身で
この遺跡を案内出来ることは
自分の喜びだと言い、
ここでは部族間の争いで
奴隷を生贄にするような事は無かった、
その意味でチェチェンイツァーとは
違うのだと力説していた。
この遺跡の方が素晴らしいと
何度も言っていたのが
印象的だった。
奥の大きな建造物の上から
遠くまでが見渡せる、
密林の遺跡にふさわしい景色、
とにかく暑いが
そんなことを一瞬忘れさせる
1000年くらい変わらない景色だ。
1時間程の解説を聞いたあとは
自由散策の時間、
歩き回るというより
日陰を探しては
時々写真というローテーション。
この旅行を計画するまでは
名前もよく知らなかった遺跡だが、
かなりの規模と遺跡の内容で
来て良かったと実感した。
この後は近くの小規模な
カバー神殿へ
ツアーバスに乗り込んだ。
クーラーガンガンで気持ち良い。
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