日本史の内容が我々の学生の時と大きく変わっているそうだ。最も学校で教える「歴史」は、目次であり、それを手がかりに自ら調べるためにある。
内容が変わるのは新発見や歴史研究が進んでいることの証明でもある。一番評価が変わった人物は「犬公方」と呼ばれた徳川綱吉だそうだ。「生類哀れみの令」と言われる法であるが、現実にはその成文法としては存在しない。数々の「お触れ」の総称だそうだ。中には子供の養育遺棄罪や児童虐待禁止法などが含まれている。
諸説あるが、一般的に武断政治(武力優先政治)から文治政治(文官優先政治)への変革期にあたり、獣肉を食すことで自らの武辺を自慢する(体力バカ)風潮を押さえつけるため、獣肉の禁食を目的とした説。元禄期の犬には包丁の跡が残る骨が多い。当時は犬を食していた。
また、キリシタンは肉食の文化があるためこれを炙り出すためとする説。
この当たりに落ち着くのではないか?他にも元禄の飢饉により死人の肉を食した地域もある。それを禁止するお触れもこの中にある。
後世の人間がロクに調べもせず、この「生類哀れみの令」を非難しているが、明に悪意がある作り話のことが多い。戯曲や茶のみ(お天気レベル)の話としては面白くそれが後世に伝えられたということだ。因みに東京の中野にあった犬小屋には約10万匹の犬がいたらしい。それが江戸市中に放たれていたら野犬の被害は想像できないものになっていたことは確かである。