日本人の宗教と言うより「神様」に対する感覚は世界でも稀な民族である。よく言われるのが、正月神社で、お盆は仏教、クリスマスを祝うという何でもありの状況である。しかし多神教である以上何でもありである。インドのサラスバディが弁天様として祭られ、仏教の「宇宙の真理」であるブラフマが梵天と呼ばれ一神として大日如来の脇にある。さすがに平安時代「これはおかしい」と気付く学者が、「本地垂迹」説なる「神が仏になり、仏も神になる」などと言い出す。故に仏教と神道とは習合した。実際には仏教は奈良時代より山岳宗教と結びつき神仏習合を行っていたようだ。明治になり神仏分離運動が起こり、廃仏毀釈運動が盛んになる。
明治の元勲が憲法を制定しようとして困ったのが、西洋は神の下に憲法がある。多神教の日本では無理である。こちらの神様がダメならあちらの神様と言うように神様は絶対的なモノではない。現に天皇を「神」として広めると、「神さんですか」と他の神にうずもれてしまった。「天皇」が西洋の「神」に近い形で国民(臣民)に普及するのは、勝てる見込みの少なかった日清、日露両戦争に勝利したためだ。そのため他の神(仏やキリスト等)より優先される。ここに天皇制が西洋のキリスト教と似た状態となる。欧米の裁判は聖書に宣誓を行うが、明治憲法下の裁判は天皇の名の基に行う。だが日本人の根本は多神教である。
しかし、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は一神教でありこの習合を認めない。日蓮宗も認めない。ここに大きな争いの種が残る。シュメール、エジプト、ウガリット、ギリシア、アケメネス朝ペルシァ、ローマ、パルティア、など多神教である。BC1200年ごろモーゼが「神」を体系化?するまで一神教は普及しない。BC1300年ごろのエジプトのファラオ、アクエンアテンが人類史上最初に一神教を採用した王であると言われているが彼の暗殺で費えた。その後を少年王ツタンカーメンが継ぐが直に多神教に戻している。
歴史上唯一「宗教など人間が作りしモノ」として合理性を重んじたのが織田信長であり、一説によると彼は中国のような王朝交代を狙っていたふしがある。しかし信仰心は否定していない。逆に利用しようとさえしている。「ソウ見寺」で自らの変り身の石を拝ませたりしている。狂気とされるが現代人ならば理解できる。既存宗教勢力特に一向宗徒への当て付けである。その考えは秀吉、家康により費えた。
現在の先進国はある程度宗教を否定しているところが根本にある。宗教が人間の幸福のためにあるとしたら一部宗教を否定した先進国の方に幸福な国が多いのはなぜだ。少なくとも餓死者は少なく、新生児の存命率が高い。少なくともこの2件は個人の価値観の外にある。
宗教に政治が入り込むと碌な事にはならないことは歴史を学べばよく解ることだ。戦争より圧政が、圧政より病気が、病気より飢餓が、飢餓より「神の名」による宗教の犠牲が悲惨で多いことがわかる。
日本ほど宗教的正義と社会的正義とが分離独立している国は少ない。