東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

父と生船(なません)

2014-05-01 | 淡路・神戸・明石・京都・大阪・関西

 今年3月に一族郎党で四国を旅行した。金比羅さん(こんぴらさん)に行った。金刀比羅宮(ことひらぐう)のことだ。金比羅さんは船乗りにとって特別な意味がある。金比羅さんには船主の多額の寄贈があり、船主と船乗りの祈りが込められている。「板子一枚下は地獄」船は木造船、板一枚で地獄と繋がっている。だから身の安全と生き残ることを祈るのだ。港には家族が待っている。今回の旅行で金比羅さんに行って、神社の天井を見上げていると親父のこと、昔のことが鮮明に蘇ってきた。

 子供のころ、たぶん私が小学生のころだった。父が家に戻ってきて言った。「金比羅さんに参ってきた。」

 父は兵庫県の淡路島の富島(としま)という町に生まれた。現在は兵庫県淡路市富島になっている。生まれは大正8年 1919年の生まれだ。幼いころ父の母親が他界した。父は地元の富島尋常小学校、富島高等小学校を卒業した後、16歳の時から船に乗った。父の父親、すなわち私の祖父も生船(なません)の船乗りだったので、父も当然ながら船乗りになった。

 生船(なません)とは瀬戸内海ではよく知られているように、船腹自体が生簀(いけす)になっている鮮魚運搬船のことで、船腹の栓を抜くと、金網を通して船外と船内の生簀との間で海水が自由に往来できる構造になっており、魚を生きたまま自由に泳がせながら運搬することができる。生きた魚を運ぶと鮮度が高く、大阪の料亭などでは珍重され、非常に高い価格で取引できたという。

 生船で生きたまま運ぶ魚の種類はタイ、ブリ、フグ、ハモなどの高級魚が主であり、九州の五島列島、天草、対州(対馬)、戦前は朝鮮からも遠路はるばる瀬戸内海を通って神戸や大阪まで運んだ。

 
 母親が言った。「多少は意気地のある男なら、皆んな生船に乗った。」

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モネの晩年 松方コレクション

2014-02-18 | 淡路・神戸・明石・京都・大阪・関西

 モネは印象派として有名ですが、どうも晩年の絵は陽炎のような、水蒸気に包まれたような景色が多い。
 
 ロンドンの連作などの時代は、これぞ印象派という絵から離れている気がする。不遜な表現を許して頂けるなら、これぐらいの絵はシロウトでも描けるのではないかと思うほどです。

 ちょっとピンボケのような絵が脳裏に焼き付いていること、逆説的に言えばそれが印象派の特徴なのかも知れない。

 人の一生を追いかけても、それは所詮、個人の生き様ですから、時代により変遷するのは当たり前のことですが、作風も変化するので一生をたどってみるのはいい経験になるでしょう。

 国立西洋美術館のモネの絵画は、松方コレクションに含まれます。

 松方コレクション、松方幸次郎は神戸の川崎造船所、現在の川崎重工業のオーナーだった。松方氏は戦前の不況前の軍備増強時代の利潤を、気概を持って絵画につぎ込んだという。

 神戸の実家の近くに県立の近代美術館があり、松方コレクションの言葉は子供のころだったか、ずいぶん昔に聞いた記憶がある。川崎重工は神戸の和田岬に三菱重工と並んで造船所があった。ただ子供心には松方氏の名前と川崎重工は関連付けられなかった。

 スケートのダイエー中内功氏、美術の川重の松方幸次郎氏、これも神戸のメセナの一つですね。

 

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函館と淡路島の架け橋

2014-01-29 | 淡路・神戸・明石・京都・大阪・関西


 函館に来た。そういえば高田屋嘉兵衛は函館に縁があったような気がしたので、少し街中を調べるとたくさんの史跡がある。何と嘉兵衛の銅像が町の一等地に建っているではないか。

 司馬遼太郎「菜の花の沖」は20年ほど前に読んだ実話に基づいた長編小説だ。司馬遼太郎は綿密な文献と現地の調査を行い、高田屋嘉兵衛の一代記をまとめている。嘉兵衛は北前船を組織し交易で財をなし、江戸後期から幕末にかけて蝦夷地開発の先駆けとなった凄い人物だ。もう一度読み返したいが文庫本はどこかに行ってしまった。

 高田屋嘉兵衛は淡路島の都志の生まれだ。淡路島といえば私と同郷になる。正確にいうと私が生まれたのは淡路島の富島という町で、富島と都志は同じ兵庫県津名郡であったものが、現在は富島が淡路市に、都志が洲本市に合併されたようだ。10kmほど離れたところが嘉兵衛の出身地、都志だ。
 私が「菜の花の沖」を読んだころ、まだ息子が小さかったころで、正月には横浜から両親が住んでいた神戸に里帰りして、正月の初詣には家族一同で車に乗って明石大橋を通り、日本誕生の神話で有名な淡路島の伊弉諾(イザナギ)神宮に行った。神宮には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が祭られ、2人が結婚し最初にできたしずくが淡路島だと子供のころ神話を教えられた記憶がある。
 伊弉諾神宮からそれほど遠くない距離に高田屋嘉兵衛の記念館、高田顕彰館があり、思いもかけず立ち寄った。嘉兵衛を知るにつれてこんなすごい人物が近くにいたのかと感動した。淡路には高田の姓の人も多く、もう何十年も会っていない幼少のころ一緒に遊びころげた親友も高田君でした。

 さて今回は函館にある高田嘉兵衛資料館を訪ねたが、冬期間は2月28日まで閉館との看板があった。そこで私は残念ながら雪の中に立ちすくんだという次第です。ただ高田屋嘉兵衛の銅像は函館山の麓から、背筋を伸ばして威厳を持って港を望んでいた。

 まだ少しは函館や北海道に引き寄せられる予感がした。

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阪神淡路大震災 19年目

2014-01-17 | 淡路・神戸・明石・京都・大阪・関西

神戸の実家のほうで地震があったようだが電話が通じなかった。
いつものことで大したことがないと思った。

いつもの通勤電車に乗った。
山手線に乗リ変えたとき、出入口ドアのテレビでは神戸で火災があり黒煙が昇っているのが見えた。
そのころは東池袋のNEDOに出向していた。
サンシャインビルに到着し1階の公衆電話から神戸へやっと電話が通じた。

電話口の向こうで、寝ている布団の目の前をタンスが1回転して飛んで行った、と親父が何事もなかったような口調で話した。
両親は無事だった。

1階から32階だったか、ビルの上の職場に戻ると、神戸の街が黒煙で覆われ、火の手が上がっているのを延々とテレビが中継していた。

あれから19年が経過した。

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旅立ちの島唄 十五の春

2013-06-16 | 淡路・神戸・明石・京都・大阪・関西

 昨日の映画は「 旅立ちの島唄~十五の春~

 明石高校の同窓会が銀座で開催されたので初めて出席した。
 どういうわけか高校卒業以来、ボクは高校の同窓会では行方不明だった。仙台の大学に入ったあと、大学院博士は京都で別のところへ移ったし、会社は横浜・東京で、入社した後も2度の出向があったり、住所が転々としたことも原因だったのでしょう。最後の大学の同窓会だけは繋がっていましたが、高校となると何十年も忘れることはよくある話なのでしょう。昨日の高校の同窓生も同じ状況の方も多かったようでした。つまりボクも含めてみんな生きることに精一杯だったのでしょう。半世紀振りぐらいに多くの旧友と会ったが、皆さん昔の面影があり意外なエピソードも出てきました。

  http://www.bitters.co.jp/shimauta/
 さて、映画のことですが、あるラジオ番組で、三吉彩花さんは吉永小百合の以来の雰囲気がある大型女優ですね、と映画評論家の浜村純さんがこの映画を絶賛していたので、気になっていた。
 映画は、南大東島を背景に、離島と家族の問題の物語を主題にしてましたが、少女が大人になる年代の三吉彩花さんが絶妙で、三線演奏しながらの島唄を見るだけでも艶があり見る価値がありました。年長の島唄の指導者が「唄っているときは決して泣いてはいけないよ」とプロ根性を諭してしているところなども良かったね。

 今回は映画のタイトルと高校の同窓会が重なったこともありました。ボクも15歳で親もとを離れて旅立ち、高校へ行った。見ていると、どうしても自分の青春が重なってくる。昨日はその高校の同窓会だった。結局、子供はみんな旅立つものです。みんな一人ひとりのドラマを持って生きていくものですね。

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Lipstick On Your Collar, Vacation, Navy Blue

2012-06-05 | 淡路・神戸・明石・京都・大阪・関西
コニー・フランシスのLipstick On Your Collar と Vacation, ダイアン・リネイの Navy Blueの歌を聞く。なんて明るいのだろう。アメリカの黄金期、自信に満ちていて軍隊さえも明るいアメリカンドリームそのものだ。ベトナム戦争の前だった。もちろんビートルズの前の時代の音楽さ。

Lipstick最後のフレーズのCollar の発音のなんという小気味の良さ、Vacationの奔放さ、Navy Blueの女の子らしさとトロンボーンのリズムの歯切れの良さ。
 
ボクが中学生のころ、たまり場にしていたまんじゅう屋(今でいうならパティシエの家)の2階に三々五々集まりみんなで聞いた電蓄、シングルレコードの針の擦れる音、それも青春。
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須磨 舞子 明石

2009-12-31 | 淡路・神戸・明石・京都・大阪・関西
気分転換にということで、神戸の須磨浦公園から鉢伏山に向うロープウエーに両親やカミさんたちと乗った。

 高校時代は舞子に住んでいたので土地勘はあるが、ロープウエーに乗った記憶がない。また六甲全山縦走は垂水から宝塚に向かって山道を確か50数kmを喘いで歩き切るが、博士課程の最終年の3月に歩いたきりで、早朝の薄明かりの中を確か近くを通ったはずだがロープウエーの終点に行った記憶がない。

 鉢伏山の頂上からは眼下に明石海峡大橋をはさみ淡路島が遠方に向かって繋がっている。六甲山系と淡路島の山なみは確かに繋がっている。十数年前にNEDOの仕事で関西空港から中国の青島に向けて飛んだとき、六甲と淡路の山系が同じなのだと機上で妙に実感した記憶がある。そのころ大震災がこの山系に沿って発生した。

 高校の国語古文の先生は人丸神社の中?に住んでおられ、非常に存在感のある方だった。淡路島 通う千鳥の・・・と詠々と謡われたのに感激し、古典の世界に思わず引き込まれた。国語はそんなに得意でなかったが、古文の先生に教えられていたころ、普段はそんなに成績が良くないはずが古文のテストで満点近くなり、どうも古文が難問で成績の優劣が極端に差があったらしく、その結果、実力テストで1番か2番かになって、他人ごとだと級友たちにはやしたてられ、身分不相応の妙な感激を味わったことがある。

「 淡路島 通う千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守 」(源兼昌)


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