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映像作品とクラシック音楽 第49回 『地獄の黙示録』

2022-01-08 09:00:21 | 映像作品とクラシック音楽
年が明けました。昨年は好き勝手に色々書かせていただきありがとうございました。今年も似たような感じで書いてまいりますので、温かい目で見守っていただければ幸いです。
さて、2022年最初の投稿は、ついに来ました、ワルキューレの騎行を鳴り響かせながら米軍のヘリが飛来する『地獄の黙示録』です。


私はコッポラという映画作家には、スピルバーグやキューブリックほどの思い入れはありません。とは言え一般教養としてゴッドファーザー三部作はそりゃ観て楽しみましたし、『カンバーセーション』も、『タッカー』も『レインメイカー』もいい映画だと思います。
とは言え『地獄の黙示録』はそれらコッポラ作品群の中においても異彩を放つ、やり過ぎを超えてイッちゃってる凄まじさがあります。
戦争におけるの人間の狂気を描くにはまず自分から狂わなきゃならないとでも思ったのでしょうか。
アジア人の描き方が差別的であるとか言われていましたし、反戦ではなく戦争への反省もなくむしろ戦争を楽しんでいるようにもとれますが、そもそもまともな感性でこの作品に対峙してはいけないような気がするのです。
ヴィットリオ・ストラーロの撮影はバカ騒ぎのような映画に変な神々しさを与えて恍惚すら呼びます。
CGのない時代、ジャングルを焼き尽くすようなナパームの本物の爆発は、映画のためとはいえ森を焼いてよいのか?とか、戦争ってすげーだろ!ガハハハ!という狂気の高笑いが重なってくるようで複雑な気持ちになりつつ、そのヤバさも含めた映像の迫力に心を持っていかれます。
いけないと思いつつ抗えない快楽に身を委ねる危険なドラッグのようなやばさあふれる映画だと思います。
だから何と言いますか、コッポラの最高傑作はゴッドファーザーシリーズのどれかには違いないでしょうが、一番すごいのは『地獄の黙示録』だと思うのです。


そんなヤバい映画には、音楽も大人しいものではだめで、映像のヤバさに負けないヤバい音楽が必要なのです。
で、有名なシーンが物語の中盤というかまだ序盤くらいのキルゴア中佐のヘリコプター部隊が北ベトナムの海辺の村を攻撃するシーンです。
「朝日を背に突っ込んで音楽をスタートさせる。ワーグナーを鳴らすんだ。奴らは震え上がる。こちら隊長機。神経戦だ。音を上げろ。行くぞ。Shall we ダンス」
などと本作で最もイカれたキャラのキルゴア中佐は、ワーグナーのワルキューレの騎行をスピーカーからでかでかと鳴らしながら、北ベトナム軍の軍事拠点となっている村を襲うのです。

映画でクラシック音楽を使う場合、もちろん雰囲気に合っているから使うわけですが、変な先入観を与えたくないのであまり有名ではない曲を使う場合と、むしろ先入観を利用する使い方の二通りがあります。
キューブリックは比較的前者の使い方をする人で、『2001年』におけるツァラトゥストラは、映画で有名になりましたがそれまではあまり一般には有名な曲ではありませんでした。
コッポラの『地獄の黙示録』は明らかに後者の使い方で、映画がなくてもワーグナーのワルキューレは超有名曲だったわけです。
空から多数のヘリが飛来するのは、ワーグナーの歌劇の中で9人のワルキューレたちが空を翔けて集まるシーンのパロディであるわけです。(もしや劇中のヘリも9機かと思いましたが、目視で数えたところ11機でした)
また不幸な歴史からワーグナーといえばナチスの音楽という先入観もあったわけです。
ナチスはワーグナーを好んで使っていたため、『地獄の黙示録』公開当時というか今もイスラエルではワーグナーの演奏は禁じられています(ワーグナー自身もユダヤ嫌いだったという困った事情もあるのですが)。ユダヤ人の多いハリウッドでもワーグナーはどこか白眼視されていたりナチスパロディで使われたりという扱いでもあったのですが、そんな背景を逆手に利用しようとしたのかもしれません。
火力で圧倒する米軍の攻撃、民家も民間人も関係なく機銃掃射していく描写に、ナチスの姿がついダブって見えてしまうことを意図しています。
キルゴア中佐は神経戦と言いましたが、ワーグナーにのって攻撃することの威圧感はベトナム人よりむしろ欧米の人間の方が感じるでしょう。彼はああは言ってますが別に敵に対する心理的効果を狙っているわけでなく、単に自分が気持ちよくなりたくてワーグナーをかけているのです。
そもそも基地を攻撃するのも戦略的な意図などなく、その基地の浜辺がサーフィンするのにいい波が立つからだったりするわけです。サーフィンのために戦略上無用な攻撃をして民間人も殺し仲間も危険にさらす自分勝手にもほどがある最低な野郎です。
しかし爆音ワルキューレの迫力はそんなイカれた攻撃も無理やり正当化するような力強さがあります。

このシーンは編集も素晴らしく、曲の緩急に合わせて、引きと寄りのショットを使い分けあたかも映画のために作曲された曲のように聞かせます。

演奏はショルティ指揮のウィーンフィルです。
ユダヤ人ショルティによる録音を使ったことに何か意図があったのかはわかりません。単に権利の問題だったかもしれないし、純粋にコッポラの求めるサウンドだったからかもしれません。
ただ作品全体が戦争を繰り返してきた人間の愚かさを狂騒の中で描いている感があるので、「ユダヤ人によるワーグナー」に何か深読みしたくなってきます。

この辺はさておいて、本作のおかげでワルキューレの騎行を聴いた人はワーグナーの歌劇よりもヘリコプター部隊による攻撃シーンを思い浮かべる人が多くなったことと思います。
もともと歌劇ワルキューレのパロディ的な場面だったわけですが、この映画以降ワルキューレの騎行はむしろ『地獄の黙示録』のパロディとして使われるようになりました。
私もこの曲を聴いて血がたぎるのを感じる時脳裏に浮かぶのは、笑顔でヘリから攻撃しまくる危険なキルゴア中佐の顔です。私の場合、ランニングのBGMで強制的にアドレナリン放出させるために聞きます。
やっぱり戦争よりも平和が一番ですね。独裁とか戦争とかでなく、国籍も民族も関係なくみんなでいい音楽を楽しむ社会が一番です。

てなところでまた、今回はこの辺で
また素晴らしい音楽と映画でお会いしましょう

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