個人的評価: ■■■■■□
[6段階評価 最高:■■■■■■、最悪:■□□□□□]
見出しの写真は「とりあえず逆光で撮っておけば偉人っぽく見える効果」を狙った名カメラマン、ヤヌス・カミンスキーの、ありがちだがツボ押さえまくりのグッジョブなショット。
----
ひさーーーーしぶりに映評書こう。
だーいぶ前に観た映画ですが、「映画監督と聞いて思いつく人言ってごらん」と言われたら大多数のひとが最初に名前をあげる気がする、あのスピルバーグさんの映画です。
そんな有名な監督が描くのは、これまて歴代アメリカ大統領で一番有名かもしれないリンカーンさんの物語です。
結論から言うと、めちゃめちゃ面白かったんです。今年のベストワンかな~なんて思っていたら、世界で一番有名かもしれないアニメ監督の「風立ちぬ」がまた良くて…まあ、それはおいといて「リンカーン」について書きましょう。
彼自身が映画史的な英雄に思えちゃうくらい、こうした写真がかっこよい。
冒頭、きっとこいつがリンカーンに違いない人物の背中が写り、彼は北軍の一兵卒たちの話に耳を傾けています。
その「多分リンカーンに違いない人物」はなかなかその顔を見せません。ここがすでにスピルバーグ節です。
スピルバーグ演出における主人公初登場シーンの2大パターン。
彼は主人公を演じる役者がスターかどうかで演出を変えません。主人公がヒーローか普通の人かで初登場シーンを変えます。
主人公がヒーローの場合そう簡単に顔を見せません。インディ・ジョーンズ4作全部、「シンドラーのリスト」そして本作です。シンドラーは初登場シーンの自宅では体の一部や持ち物しか映さず、次のシーンのナチス将校たちが集うパーティ会場でようやくリーアム・ニーソンの顔が映ります。当時リーアム・ニーソンなんて俳優、だれも知らなかったのに。
対して主人公が普通のおっさんの場合、すぐにその顔をアップで映します。「ジョーズ」のロイ・シャイダー、「ジュラシック・パーク」のサム・ニール、そして「プライベート・ライアン」のトム・ハンクスです。そうですね、「プライベート・ライアン」のトム・ハンクスは超人的な能力を持った英雄などではなく実はただの高校教師でしたね。初登場のファーストカットこそふるえる手のアップですがすぐにトム・ハンクスの顔がドアップになりました。当時トム・ハンクスなんてすでにオスカー2回受賞の大スターだったのに。
そんなわけで、そう簡単に顔を映さないオープニングですでにスピルバーグ節が炸裂しつつ、これはヒーローの物語であることが提示されます。
こいつがリンカーンに違いない的なカット割りをそのように楽しみつつも、油断はできません。「きっと○○に違いない」と思わせて実は違う…というのもスピルバーグの得意技です。
「未知との遭遇」でさんざん騙されましたよね。きっと車に違いないと思ったらUFOだったり、多分UFOだろうと思ったらヘリコプターだったり。インディの三作目でもありましたよね。きっとあいつがインディ・ジョーンズに違いないと思ったら盗掘団のリーダーだったり。
けど、「リンカーン」では、冒頭でそんな騙しはしませんでした。やっぱりリンカーン本人で、みんなが大好きなダニエル・デイ=ルイスの顔が映ります。
さてリンカーンと言えば奴隷解放宣言や「人民の人民による人民のための政治」というゲティスバーグ演説が有名なわけでして、リンカーンの伝記映画を作るならそうした超有名エピソードをクライマックスに持ってきたいところですが、スピルバーグはそんな誰でもやりそうな映画にはしません。
冒頭シーンでの黒人兵士との会話から、すでに南北戦争も終盤に近いこと、奴隷解放宣言も、ゲティスバーグ演説もすでに過去のこととなっていることが分かります。
その有名なゲティスバーグ演説を映像化せず、冒頭シーンでその演説を聞いていたという黒人兵士が語るところが巧いです。
自慢話というやつは自分で語るより、他人に語らせる方が効果的です。
「俺はアマチュア映画監督としてはかなりの域に達している」と私が言っても、それを聞く人は「はいはい、そうですか、よかったですね」としか思わないでしょう。
でも、私とは別の誰かが「齋藤ってやつはアマチュア映画監督としてはすごい実力者なんだ」と言ってくれたら、それを聞いている人は「へぇぇ、じゃあそいつの映画観てみようかな」などと思ってくれるわけです。
だからみんな「食べログ」で高評価の店に食べに行き、amazonのレビューで購入の判断をして、いいねのいっばいついたfacebookの記事を読むのです。
だからスピルバーグの狙いは明確です。
リンカーンが自ら「奴隷解放宣言」を語ったり、「人民の人民によるなんちゃら」を語るシーンを撮らずに、別の誰かの口から語らせることで、伝聞の方が凄さが増す効果を利用して、ヒーローとしてのリンカーンを印象づけているのです。リンカーンの顔をなかなか映さない演出とあわせて、もうこれは「リンカーンも普通の父親だった」映画ではなく、「リンカーンは歴史上のヒーローなのだ」映画にしようとしているのです。
我々は最初の数分で偉人伝を観るモードに強制的に切り替えさせられてしまいます。
そんなこんなで物語は本題に入って行きます。
リンカーンは、なんとかして内戦(南北戦争)を集結させようとしていること、そして、理想論の表明に過ぎなかった奴隷解放宣言をアメリカ憲法に明文化し実体化させようとしていることが分かります。
いいこと言うのは簡単です。戦争始めるのも簡単です。
それらは理想主義だけでできます。そしてそうした理想主義だけでも割と面白い映画にすることはできます。
でも理想だけではできないのが、すでにあるものを変えることです。そして始めたことを終わらせることです。
理想と実力、信念はもちろん汚いことでもやる覚悟と、そして時勢を味方につけることが必要です。
ちょっと話はそれますが、ゴルゴ13は自分が死なずに済んでいた理由を自分で分析して「10%の才能、20%の努力、30%の臆病さ、あとの40%は…運かな…」と語っていました。
ゴルゴを読んでいる人なら彼が運任せのデタラメな暗殺者じゃないことはわかります。運とはゴルゴの謙遜だろうと私は思いました。ゴルゴにその質問をした自称ゴルゴの親友のユダヤ人も運と聞いて笑っていました。
しかし今の私にはゴルゴが「運」と言ったことの真意が分かる気がします。
彼の言う「運」とは、「時代が彼を必要としていた」、あるいは「彼のような者が必要とされた時代に生まれた運」という意味でしょう。彼はアメリカにもソビエトにも必要とされたからこそ(狙われたことも沢山ありましたが)強大な国家の間接的な庇護のもとで命をつなぐことができたのです。
リンカーンの話に戻りますが、リンカーンもまた、単なる人格者でも有能な政治家であっただけでなく、歴史の流れの中で絶妙なタイミングに生まれた運の持ち主でした。
歴史上の重大な転換点で、それをやり抜く力を持っていた彼は、躊躇せずやり抜きました。
汚い政治工作、買収まがいのこともやり、戦争終結のためと憲法改正のため、よく言えば政治的駆け引き、悪く言えば嘘をついて、それでも過程より結果を求めてやり抜きます。
昨今流行の「いつやるの? 今でしょ!」のごとく、彼はやり抜きます。狙ったわけじゃないでしょうが映画の中でリンカーンは閣僚たちに奴隷制を永久に葬ることの重要さと必要性を説いて、長ゼリフの最後に「Now! Now! Now!」と叫びます。ついつい「今でしょ! 今でしょ! 今でしょ!」と意訳したくなりますよね。
その「今でしょ!」連呼シーン
盲目的なリスペクトではありません。ずる賢い面も、人間的に弱い面も見せながら、それでも歴史における役割を演じきった彼をスピルバーグはリスペクトから「一歩引いた位置」から見つめます。「一歩踏み込んでしまった位置」から見つめた「シンドラーのリスト」よりも、「リンカーン」の方が歴史映画としてはフェアであると言えましょう。
そして歴史における役割を終えたとき、歴史は無情にも彼を捨て去ります。
奴隷制を永久に禁じる一文を憲法に書き込み、内戦を集結させた後で、時間的にもそろそろラストシーンなころに観劇シーンが入ります。
リンカーンが観劇中に、ジョン・ウィルクス・ブースによって背後から銃で撃たれて暗殺されることは、リンカーンマニアでなくても知ってる有名な出来事です。
「ははあ、リンカーンの暗殺シーンだな」と不覚にも思い込んでしまった私は、またスピルバーグの得意技にまんまと引っかかりました。最初の方で書いた『「きっと○○だろう」と思わせておいて実は違う』作戦です。
その芝居を観ているのはリンカーンではなく、リンカーンの息子でした。そのころリンカーンは別の劇場で観劇していたのです。そしてステージに劇場の支配人とおぼしき男が駆け込んできて、別の劇場で大統領が撃たれた旨を観客に伝えます。それを聞いて動揺する息子。最後にきてやりやがったなスピルバーグ。
そして静かに息を引き取るリンカーン。
何かその姿を観ていると、坂本龍馬の姿がだぶってきました。彼もまた薩長同盟と大政奉還を成し遂げるという歴史的役割を果たしたところで、歴史の意思によって排除されたのです。二人とも暗殺されたところや、リンカーンの没年が1865年で龍馬暗殺が1867年と近いところも、ちょいと私の主義には反するのですが「歴史の意思」というスーパーナチュラルなロマンを感じるのでした。
ちなみに、めちゃくちゃどうでもいいことですが、リンカーンの没日と私の誕生日は同じです。もしかしてリンカーンの生まれ変わりだったりして~~などとさらに馬鹿なロマンに浸ってみるのでした。
追記
ジョン・ウィリアムズの音楽がね、これがまたむちゃむちゃいいの!!
年取って仕事量減らしただけに一作ごとの気合いが違う。アクション映画、スペクタクル映画ではないから、音楽は比較的緩急の少ないムード音楽主体だけど、その割には沢山のテーマを書いて久しぶりにメロティメーカーとしてのジョン・ウィリアムズの良さを堪能できる。
中でも一番印象的だったのは、戦場跡のシーンでかかるピアノソロの曲。悲壮感あふれるフルオーケストラで盛り上げて良さそうなところをピアノ一つでしっとり聞かせるの。
重厚なブラスで歴史的英雄の偉業を讃えるテーマ曲も、トミー・リー・ジョーンズがらみでかかる彼の過激さの裏に秘めた優しさを伝えるテーマも、名曲ぞろい。
ベテラン作曲家たちがどんどん亡くなり(ジェリー・ゴールドスミス、モーリス・ジャール、エルマー・バーンスタイン、ベイジル・ポールドゥリス、ジョン・バリーなど)か、ハンス・ジマーもジェームズ・ホーナーもアラン・シルベストリもダニー・エルフマンもなんか最近ぱっとせず、若手は大した奴が延びてこず、ハリウッドの作曲家の小粒化を懸念している昨今、正真正銘の巨匠ジョン・ウィリアムズがいまだ健在であることはとても嬉しいのです。
追記2
憲法改正に命をかけた信念の男リンカーンの姿に感動したからって、9条改正に執念燃やす男を支持すると思うなよ!!
*********
スタジオゆんふぁ制作の自主映画
罪と罰と自由
日本芸術センター映像グランプリ受賞
ダマー映画祭inヒロシマ 入選
上映情報
2013年1月26日~27日 神戸芸術センター
2013年1月27日 商店街映画祭ALWAYS松本の夕日
2013年2月9日~10日 いわきぼうけん映画祭
********
ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン
↑この度、「ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン」を選出しました。映画好きブロガーを中心とした37名による選出になります。どうぞ00年代の名作・傑作・人気作・問題作の数々を振り返っていってください
この企画が講談社のセオリームックシリーズ「映画のセオリー」という雑誌に掲載されました。2010年12月15日発行。880円
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
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だーいぶ前に観た映画ですが、「映画監督と聞いて思いつく人言ってごらん」と言われたら大多数のひとが最初に名前をあげる気がする、あのスピルバーグさんの映画です。
そんな有名な監督が描くのは、これまて歴代アメリカ大統領で一番有名かもしれないリンカーンさんの物語です。
結論から言うと、めちゃめちゃ面白かったんです。今年のベストワンかな~なんて思っていたら、世界で一番有名かもしれないアニメ監督の「風立ちぬ」がまた良くて…まあ、それはおいといて「リンカーン」について書きましょう。
彼自身が映画史的な英雄に思えちゃうくらい、こうした写真がかっこよい。
冒頭、きっとこいつがリンカーンに違いない人物の背中が写り、彼は北軍の一兵卒たちの話に耳を傾けています。
その「多分リンカーンに違いない人物」はなかなかその顔を見せません。ここがすでにスピルバーグ節です。
スピルバーグ演出における主人公初登場シーンの2大パターン。
彼は主人公を演じる役者がスターかどうかで演出を変えません。主人公がヒーローか普通の人かで初登場シーンを変えます。
主人公がヒーローの場合そう簡単に顔を見せません。インディ・ジョーンズ4作全部、「シンドラーのリスト」そして本作です。シンドラーは初登場シーンの自宅では体の一部や持ち物しか映さず、次のシーンのナチス将校たちが集うパーティ会場でようやくリーアム・ニーソンの顔が映ります。当時リーアム・ニーソンなんて俳優、だれも知らなかったのに。
対して主人公が普通のおっさんの場合、すぐにその顔をアップで映します。「ジョーズ」のロイ・シャイダー、「ジュラシック・パーク」のサム・ニール、そして「プライベート・ライアン」のトム・ハンクスです。そうですね、「プライベート・ライアン」のトム・ハンクスは超人的な能力を持った英雄などではなく実はただの高校教師でしたね。初登場のファーストカットこそふるえる手のアップですがすぐにトム・ハンクスの顔がドアップになりました。当時トム・ハンクスなんてすでにオスカー2回受賞の大スターだったのに。
そんなわけで、そう簡単に顔を映さないオープニングですでにスピルバーグ節が炸裂しつつ、これはヒーローの物語であることが提示されます。
こいつがリンカーンに違いない的なカット割りをそのように楽しみつつも、油断はできません。「きっと○○に違いない」と思わせて実は違う…というのもスピルバーグの得意技です。
「未知との遭遇」でさんざん騙されましたよね。きっと車に違いないと思ったらUFOだったり、多分UFOだろうと思ったらヘリコプターだったり。インディの三作目でもありましたよね。きっとあいつがインディ・ジョーンズに違いないと思ったら盗掘団のリーダーだったり。
けど、「リンカーン」では、冒頭でそんな騙しはしませんでした。やっぱりリンカーン本人で、みんなが大好きなダニエル・デイ=ルイスの顔が映ります。
さてリンカーンと言えば奴隷解放宣言や「人民の人民による人民のための政治」というゲティスバーグ演説が有名なわけでして、リンカーンの伝記映画を作るならそうした超有名エピソードをクライマックスに持ってきたいところですが、スピルバーグはそんな誰でもやりそうな映画にはしません。
冒頭シーンでの黒人兵士との会話から、すでに南北戦争も終盤に近いこと、奴隷解放宣言も、ゲティスバーグ演説もすでに過去のこととなっていることが分かります。
その有名なゲティスバーグ演説を映像化せず、冒頭シーンでその演説を聞いていたという黒人兵士が語るところが巧いです。
自慢話というやつは自分で語るより、他人に語らせる方が効果的です。
「俺はアマチュア映画監督としてはかなりの域に達している」と私が言っても、それを聞く人は「はいはい、そうですか、よかったですね」としか思わないでしょう。
でも、私とは別の誰かが「齋藤ってやつはアマチュア映画監督としてはすごい実力者なんだ」と言ってくれたら、それを聞いている人は「へぇぇ、じゃあそいつの映画観てみようかな」などと思ってくれるわけです。
だからみんな「食べログ」で高評価の店に食べに行き、amazonのレビューで購入の判断をして、いいねのいっばいついたfacebookの記事を読むのです。
だからスピルバーグの狙いは明確です。
リンカーンが自ら「奴隷解放宣言」を語ったり、「人民の人民によるなんちゃら」を語るシーンを撮らずに、別の誰かの口から語らせることで、伝聞の方が凄さが増す効果を利用して、ヒーローとしてのリンカーンを印象づけているのです。リンカーンの顔をなかなか映さない演出とあわせて、もうこれは「リンカーンも普通の父親だった」映画ではなく、「リンカーンは歴史上のヒーローなのだ」映画にしようとしているのです。
我々は最初の数分で偉人伝を観るモードに強制的に切り替えさせられてしまいます。
そんなこんなで物語は本題に入って行きます。
リンカーンは、なんとかして内戦(南北戦争)を集結させようとしていること、そして、理想論の表明に過ぎなかった奴隷解放宣言をアメリカ憲法に明文化し実体化させようとしていることが分かります。
いいこと言うのは簡単です。戦争始めるのも簡単です。
それらは理想主義だけでできます。そしてそうした理想主義だけでも割と面白い映画にすることはできます。
でも理想だけではできないのが、すでにあるものを変えることです。そして始めたことを終わらせることです。
理想と実力、信念はもちろん汚いことでもやる覚悟と、そして時勢を味方につけることが必要です。
ちょっと話はそれますが、ゴルゴ13は自分が死なずに済んでいた理由を自分で分析して「10%の才能、20%の努力、30%の臆病さ、あとの40%は…運かな…」と語っていました。
ゴルゴを読んでいる人なら彼が運任せのデタラメな暗殺者じゃないことはわかります。運とはゴルゴの謙遜だろうと私は思いました。ゴルゴにその質問をした自称ゴルゴの親友のユダヤ人も運と聞いて笑っていました。
しかし今の私にはゴルゴが「運」と言ったことの真意が分かる気がします。
彼の言う「運」とは、「時代が彼を必要としていた」、あるいは「彼のような者が必要とされた時代に生まれた運」という意味でしょう。彼はアメリカにもソビエトにも必要とされたからこそ(狙われたことも沢山ありましたが)強大な国家の間接的な庇護のもとで命をつなぐことができたのです。
リンカーンの話に戻りますが、リンカーンもまた、単なる人格者でも有能な政治家であっただけでなく、歴史の流れの中で絶妙なタイミングに生まれた運の持ち主でした。
歴史上の重大な転換点で、それをやり抜く力を持っていた彼は、躊躇せずやり抜きました。
汚い政治工作、買収まがいのこともやり、戦争終結のためと憲法改正のため、よく言えば政治的駆け引き、悪く言えば嘘をついて、それでも過程より結果を求めてやり抜きます。
昨今流行の「いつやるの? 今でしょ!」のごとく、彼はやり抜きます。狙ったわけじゃないでしょうが映画の中でリンカーンは閣僚たちに奴隷制を永久に葬ることの重要さと必要性を説いて、長ゼリフの最後に「Now! Now! Now!」と叫びます。ついつい「今でしょ! 今でしょ! 今でしょ!」と意訳したくなりますよね。
その「今でしょ!」連呼シーン
盲目的なリスペクトではありません。ずる賢い面も、人間的に弱い面も見せながら、それでも歴史における役割を演じきった彼をスピルバーグはリスペクトから「一歩引いた位置」から見つめます。「一歩踏み込んでしまった位置」から見つめた「シンドラーのリスト」よりも、「リンカーン」の方が歴史映画としてはフェアであると言えましょう。
そして歴史における役割を終えたとき、歴史は無情にも彼を捨て去ります。
奴隷制を永久に禁じる一文を憲法に書き込み、内戦を集結させた後で、時間的にもそろそろラストシーンなころに観劇シーンが入ります。
リンカーンが観劇中に、ジョン・ウィルクス・ブースによって背後から銃で撃たれて暗殺されることは、リンカーンマニアでなくても知ってる有名な出来事です。
「ははあ、リンカーンの暗殺シーンだな」と不覚にも思い込んでしまった私は、またスピルバーグの得意技にまんまと引っかかりました。最初の方で書いた『「きっと○○だろう」と思わせておいて実は違う』作戦です。
その芝居を観ているのはリンカーンではなく、リンカーンの息子でした。そのころリンカーンは別の劇場で観劇していたのです。そしてステージに劇場の支配人とおぼしき男が駆け込んできて、別の劇場で大統領が撃たれた旨を観客に伝えます。それを聞いて動揺する息子。最後にきてやりやがったなスピルバーグ。
そして静かに息を引き取るリンカーン。
何かその姿を観ていると、坂本龍馬の姿がだぶってきました。彼もまた薩長同盟と大政奉還を成し遂げるという歴史的役割を果たしたところで、歴史の意思によって排除されたのです。二人とも暗殺されたところや、リンカーンの没年が1865年で龍馬暗殺が1867年と近いところも、ちょいと私の主義には反するのですが「歴史の意思」というスーパーナチュラルなロマンを感じるのでした。
ちなみに、めちゃくちゃどうでもいいことですが、リンカーンの没日と私の誕生日は同じです。もしかしてリンカーンの生まれ変わりだったりして~~などとさらに馬鹿なロマンに浸ってみるのでした。
追記
ジョン・ウィリアムズの音楽がね、これがまたむちゃむちゃいいの!!
年取って仕事量減らしただけに一作ごとの気合いが違う。アクション映画、スペクタクル映画ではないから、音楽は比較的緩急の少ないムード音楽主体だけど、その割には沢山のテーマを書いて久しぶりにメロティメーカーとしてのジョン・ウィリアムズの良さを堪能できる。
中でも一番印象的だったのは、戦場跡のシーンでかかるピアノソロの曲。悲壮感あふれるフルオーケストラで盛り上げて良さそうなところをピアノ一つでしっとり聞かせるの。
重厚なブラスで歴史的英雄の偉業を讃えるテーマ曲も、トミー・リー・ジョーンズがらみでかかる彼の過激さの裏に秘めた優しさを伝えるテーマも、名曲ぞろい。
ベテラン作曲家たちがどんどん亡くなり(ジェリー・ゴールドスミス、モーリス・ジャール、エルマー・バーンスタイン、ベイジル・ポールドゥリス、ジョン・バリーなど)か、ハンス・ジマーもジェームズ・ホーナーもアラン・シルベストリもダニー・エルフマンもなんか最近ぱっとせず、若手は大した奴が延びてこず、ハリウッドの作曲家の小粒化を懸念している昨今、正真正銘の巨匠ジョン・ウィリアムズがいまだ健在であることはとても嬉しいのです。
追記2
憲法改正に命をかけた信念の男リンカーンの姿に感動したからって、9条改正に執念燃やす男を支持すると思うなよ!!
*********
スタジオゆんふぁ制作の自主映画
罪と罰と自由
日本芸術センター映像グランプリ受賞
ダマー映画祭inヒロシマ 入選
上映情報
2013年1月26日~27日 神戸芸術センター
2013年1月27日 商店街映画祭ALWAYS松本の夕日
2013年2月9日~10日 いわきぼうけん映画祭
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ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン
↑この度、「ブロガーによる00年代(2000~2009)の映画ベストテン」を選出しました。映画好きブロガーを中心とした37名による選出になります。どうぞ00年代の名作・傑作・人気作・問題作の数々を振り返っていってください
この企画が講談社のセオリームックシリーズ「映画のセオリー」という雑誌に掲載されました。2010年12月15日発行。880円
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